戸田から横浜への引越しは、これまた劇的に急だった。
ほぼ3ヶ月後には転居を完了し、
そしてそれまでの7年間、あれほど潜行していたことがウソのように急浮上。
そして 「 ハイ、スイッチ入りました」 と、これまたOFFがONになったことが明らかにわかるしかない背中の押されっぷり。
横浜に越してからすぐに受け取ったメッセージが「お茶」・・・
それって日本茶なの?紅茶なの?
どれも「NO!」のサイン
結局GOサインが出たのは中国茶だけだった。。。
そして動き出した途端にあれよあれよと繋がってくるご縁。
背中を押されるどころか、 蹴り飛ばされて前につんのめるくらいの勢い
そして不思議なシンクロは途絶えることなく起こり続け・・・
プロ用講習をやっていたのも当時は華泰だけ、
せっかく渋谷まで行ってインスト申し込もうとしたら来期分は既に締め切られていて、
それでも今日ここまで来たからにはきっと何か違うアクションが起こるはずと、
諦めきれずにカウンターで思案していたら、
そこにタタタタッピーッとまさに目の前に届いたのが
中国茶葉学会からきた、日本で初めての茶藝師日本受講OKの許可FAX。
「やった!」と興奮する林さんを前に、
横にいた常連さんが早速その場で申し込みを始め、
その場にいたわたしも、詳細はわからないけどとにかくナゼか勢いで申し込み完了。
帰りの電車の中で「これだったの?」といぶかしみつつも受け入れる。
こんな風に、こんなタイミングで、いつも何かが起こるのだ。
他の人に説明しようにも、根拠や理由がないことが余りにも多すぎて
説明すればするほど不可解で、
「導かれてるんです」ともいえず、いつも後付けの言い訳探しに苦労する。
そんなこんなで始まった資格装備と茶縁の再会。
もともとお茶を伝えていったのには、世界中ドコでもお坊さんが関わっている。
かつてナニガシカの「道」を伝えようと、一生を捧げた魂が集っっているのだろう・・・
13年前に確認させられた仏教僧の過去生からも、
それはごく当たり前のような気がして腑に落ちた。
それだからこそ、ただただそのインスピレーションだけを頼りにひたすら邁進してこれたのである。
とはいえ、それを安心して進むことが出来たのも、両親の元に生まれたお陰。
味と淹れ方のこだわり、焼き物の見立ては筋金入りの母から、
世界中の日本茶・紅茶・中国茶、なかなか手に入らないようなお茶を若い頃から飲んでこれたのは父のお陰。始める時にはある程度素地が出来上がっていたことさえ台本通りだったとしても。全てに感謝せずにはいられない。
そしていつもそこにあったのは
「今回は最終的にはどこにも所属せず、己の道を確立せよ」。
なので、結果束縛が生まれそうになるほどに、そこから離れることになるのである。
そして中国茶を受け入れてのち、出会う方一人一人、みんなすっごく濃いご縁
全ては必然。
必要な時間、必要なだけ、同じ空間にて同じ時間を共有する場をもらえる。
それぞれのエピソードは人に言ってもわかるまいが、なんにせよ、再会。
今はただただ感謝あるのみ。
そしてそれは茶縁だけに関わらず、出会う全ての友人にもいえること。
全ては再会。
ここでこうして会えて嬉しい。
みんなみんな、ちゃんと自分が組んだプログラム通りに動いてます