あべっちの思いをこめた雑記帳

りっぱな人も、いい人も 

 衆議院が解散し、いよいよ選挙戦が始まろうとしている。つい先ほどの総裁戦では、もう少し先になるような感じであったのに、ご祝儀相場の支持率の高いうちにやってしまおうという意図が見え見えである。

 わが町でも市長選の立候補者の予想が出揃い、町中あちこちでこれから選挙カーが走ることだろう。先日もある候補者本人がわが家に挨拶にやってきた。

 選挙戦が本格的にスタートすれば、ポスターには良い言葉が並び、この町のためにという意思表示が盛んになる。候補者はさぞかしいい人なんだろうなというひらめきが脳裏をよぎる。それと同時にこういう約束事は大丈夫なのかなという疑問のようなものも浮かんでくる。人間というのは深く入り込んでみないと真意はわかりにくいものだから。

 世間では立派な人で通っていてもあまり好きになれない人もいるし、反対にあいつはどうしようもないヤツだとまわりから言われている人でも、何となく近づいてみたいと思えてくるような人もいる。
 若い頃に接した人たちを、後になって振り返ってみるとそういうことがわかってくる。それを瞬時に見分けるのはなにも選挙に限ったことではない。

 三十代や四十代頃に知り合った頃、「いい人ですよ」と紹介されても、私にはそうは思えない人がずいぶんいた経験から、人の紹介もあてにはならない。紹介してくれたその人にとってはいい人であったり、都合のいい人であったかもしれないが、私にとってはそうは思えないケースが何回かあった。趣味が合ったり、商売がからんだり、あるいは単に性格的にお互いがウマが合っての紹介だったなと思えるような場合にも出くわした。

 自分自身がいくら望んでも、その人から嫌われたりするケースがある。反面、さほど思わない相手から近づいてこられたり、人間関係はさまざまだ。
 一言で、見る目を養えばいいと言ってしまえば簡単だが、なかなか見る目のない私にはやはりむずかしい。そうかといって決してあきらめているわけではない。
 見る目を養うということは、自分自身を磨くということだとわかりかけてきているのだから。
 それは選挙に限らず、人生すべてに言えてくる。

            「つれづれ(166)りっぱな人も、いい人も」

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