最近はめっきり行くことが少なくなったカラオケ。みんなどうしてんだろうなと、その仲間たちを思うことも時たまある。
まあ少なくなったカラオケだが、先日ふと開催日の前日になって思い出したかのように行く気になった。
会場に着くやいなや主催者から、おーしばらくだね~などと挨拶をすばやくかわされた。もちろんこっちも、言い訳せず、しばらく~と元気にこたえる。
最初に歌ったのは、もずが枯れ木でである。次はしばらく考えた。
そうだ、琵琶湖には「琵琶湖周航の歌」というのがあった。大正6年(1917年)に小口太郎が思いついたというけれど、しみじみとしたいい歌だと思う。ようし歌ってみよう。
この歌は、当時の第三高校(現京都大学)の小口氏が詩を書き、東京に住んでいた吉田千秋氏が曲を作っている。小口氏はたしか長野県諏訪湖近郊の人と聞いているが、吉田氏は新津市(現新潟市)の人。二人が会うことは一度もなかったようである。
小口氏は26歳で生涯を閉じ、吉田氏は若干24歳になったばかりであった。二人のあまりにも早い死が惜しまれてならない。
詩を書いた小口さんの頭の中には、きっと故郷の諏訪湖のイメージを重ねて書いていたのではないかと思う。そう思えてならない。
じゃあ、作曲の吉田さんはどうなんだろうか。きっと音楽一家として育った彼のこと。お父さんが作曲した唱歌「みなと」などを物心ついた時から聞いていたから、その影響は多分にあったと思われてならない。
今年はこの歌が生まれてちょうど107年目の年となる。私にとっては琵琶湖周航の歌の年となりそうだ。
「童謡唱歌歌謡曲(32)琵琶湖周航の歌」