あべっちの思いをこめた雑記帳

正月に出てきたものは

 正月が終わった。今年は実家に行きそびれてしまったが、いつもの年とたいして変わることのない三が日をほぼ家で過ごした。
 昨年まで毎年元日か2日に行っていたその実家。父が亡くなり母も亡くなると、こんなものかと自分でも不思議に思う。
 毎年何も変わりばえのない家のたたずまい。大きいし、古いし、広いし、昔と何一つ変わっていない。近所もまわりの風景も、ここ何十年も同じ正月の印象だった。
 帰るたびにやさしい顔で迎えてくれた父母の姿が今は見られない。去年に限らず、今年以降ももう見ることができなくなってしまった。仏壇のその母に手を合わせ、弟と在りし日の母の思い出をあれこれ話した昨年元日。母の不在と、弟たちとの会話の中身は今までの正月と大きく変わった。

 ふと家を継いだ二番目の弟が言った。 
「母親の遺品を見てたら兄貴たちの通信簿がいっぱい出てきたよ」。そしてタンスの引き出しから古びた通信簿をいくつも出してきた。
小学一年から高校三年まで全部、それも兄弟四人分がきしっと揃っている。その中から私は自分のものだけを拾いだす。そして中身は・・・。
 トホホと涙が出るくらい、良い内容ではなく、あまりにもひどいものであった。弟は、ひどすぎだよ、成績も行動のようすもとあきれている。妹は、見ないとはっきり言っている。
 小学校低学年の主要科目では社会が特にひどすぎる。現在は苦手となっている理数系はまあまあ。これでは今とはまったくの逆。その頃は、旅行会社で働くなどとは想像がまったくできないくらいの社会オンチ。なぜこんな成績なんだろうかと自分で自身を不思議がる。
もっとも小学一年生では地理も歴史も、あってないようなもの。三つ子の魂ではないが、やがて地理や歴史の絡んだ職業を選択するとは一年生の心には何一つまだ芽生えてなかったと思う。
 「この通信簿見て、親はさぞかし嫌だったろうな」。弟は大きな声でしみじみと、私が心で思ったことを代弁したかのごとく呟いた。
 今年の正月は、その会話さえなかった。


              「つれづれ(85)正月に出てきたものは」

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