お月さまをしみじみと見た。
忙しさに追われてゆっくりと眺めたなんて、ここのところなかった。と言えばかっこいいが、それはウソ。じっくり見るなんてことは、頭の中からデータとして消えこんでしまっていたのかもしれない。
唱歌にも「菜の花畠に···」とあるように、春はおぼろ月なのだろう。「おぼろ」とはかすかにという感じで、くっきりと見えるの反対ことば。
清少納言も「春はあけぼの」と書いているように、今の季節は「はっきり·くっきり」よりも、「かすかに·ほのかに」がイメージとして良いのかも。いや、イメージではなく、現実としてもそうなのかもしれない。
きびしい冬が終り、空も地面もまわりの景色も暖かく感じ、心がどこかウキウキしてくる。
単に「月」といえば俳句では秋の季語となり、春は「春の月」といわなければならない。だからかな、月をしみじみ見るのは「秋」にまかせておいて、春はぼんやり、ほのぼの見ればいい。
ふと見上げた時に、月がそうっと顔を見せている。
そういうのどかさが春の夜空には一番似合う。
「つれづれ(12)春の月は、ほのかにかすかに」