毎年秋になると「今年の流行語」というのが話題になる。最初に候補をピックアップし、その中から流行語大賞というのを決めている。近年はめっきりカタカナ語が多くなり、中には聞いただけではいったい何のことなのかさっぱり見当がつかないものもある。今年の候補の中にも、まったく見当のつかない新語もけっこうある。
そして12月に入ると「今年の漢字一文字」というのも何かと世間の間で話題になる。マスコミや政府がタッチしてないこのようなものも面白いと今までずっと傍観してきた。清水寺という発信地も良いが、一文字というのがユニークで、いかにも興味深い。漢字を見慣れている者には、うんなるほどと思いながらその一文字を考察したりしている。
そこへいくと国民の間に浸透した言葉でもまた違った出展方法の言葉もたくさん近年はあった。
「三本の矢」や「美しい国」などはここのところ耳にする機会がまったくなくなってきた。美しくないとは言わないが尻つぼみに聞かれなくなっていったのは寂しい。そのあたりのことについて「ていねいな説明」をしてほしかった。最初が潔くても、国のやることはいつの間にか消えてしまうようなことが不思議と多いような気がする。
28日から臨時国会が始まった。10月の衆院選後、初の野党との本格的な論争の場となる。会期は12月21日までの24日間だが、貴重な時間を国の大切な課題に当ててほしいと思っている。
桜はまだ咲かないが、「説明責任」は本来はお偉いさんそれぞれが個々の会見等で説明されればよいはずなのに、それがなされずに国会の場で討論なり説明なりの時間をさかれるのは何とももったいない話である。
説明責任というこの言葉もいつか自然と消えていってしまうのだろうか。
「つれづれ(170)消えた言葉はたくさんある