九月も半ばだというのに、夏を惜しむかのような蝉の声が聞こえる。
来年の夏には自分がもういないということを察しているかのごとくに。来夏どころか、おおかたは来週にはその姿を消す。
自分の命のはかなさをわかっているからこそ一層激しく鳴いているのだろうか。それともその蝉の命があまりにもはかなすぎるから、私たちの耳によりせつなく聞こえてくるのかもしれない。
長い短いの極端な差はあるけれど、蝉は人間の命をどうみているのか、一度は聞けるものなら聞いてみたい。
もしそれが叶ったとしたら、もっと日々の時間を大切にしなさいと言われるかもしれない。
虫
虫が鳴いてる
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いてる
「貧しき信徒」 八木重吉
「つれづれ(35)夏を惜しむ声」