昨日足利まで車を走らせた。
開けた里山のあたりのはずれに野菊らしいものがちらっと目に写った。ひょっとしたら野菊ではない、畑の人があるいは植えた花なのかもしれない。
何気なく普段野菊と呼んでいる花も、よく調べてみると思いもよらず複雑なことを知る。野路菊(のじぎく)、野紺菊(のこんぎく)、油菊(あぶらぎく)など野山に咲く菊の総称のことをさして一般的には野菊と呼んでいるらしい。
。
俳句の世界では、小浜菊(こはまぎく)、磯菊(いそぎく)も含めて、野山に咲く菊一般のことに対象を広げてさしているようだ。
野菊という花が存在すると思っている人がけっこう多いが、実際にはそういう名前の花は実在しない。あくまでもこれらの総称のことらしい。
華美な菊の花に対し、ひかえめに咲く野の菊にも心惹かれるのは、日本人だからだろうか。それとも私の身勝手さと偏見きわまりない見方からだろうか。
どことなくうら寂しく、哀愁があって、文芸作品にもよく出てくる野菊。
唱歌の「野菊」は有名だ。そして伊藤左千夫の小説「野菊の墓」は「野菊の如き君なりき」として昭和30年に映画化され、当時としては空前の大ヒットとなった。
歌や映画や小説にはなぜか菊よりも野菊のほうが有名なものが多い。判官びいきも多少は影響しているのかなとも思ってみる。
いたる所に自生している野菊だからか、無造作にあちこち咲いているので、あまり大切にされない傾向がある。でもよく見れば、野育ちの少女のような自然の美しさがあり、野路菊は兵庫県では県花にしている。
花言葉は真実、忘れられぬ人、他たくさん。
小さな花ののびやかに広がる野菊は、恋の花占いにもよく似合う、ささやかな野花だと思う。
今頃はきっとあちこちの秋の野山に可憐なその姿をいっぱいに見せていることであろう。
足許に日のおちかかる野菊かな
小林一茶
秋草のいづれはあれど露霜に痩せし野菊の花をあはれむ
伊藤左千夫
「季節の花(35)野菊」