毎日の暮らしの中で、ひょっとしたら無駄な時間だなと思える時がままある。
ほんのしばしの時間、ぼやっとすることが。
会社の机の上でも5秒や10秒。休みの日なら5分10分と続くかもしれない。何かを見て、何かを思ってはいるのだが、それがはっきりしない。つまりぼけっとしているということか。
昭和の時代はとにかく忙しかった。
世の中に自分を合わせて駆けていた。
会社へ行って、毎日暗くまで仕事して、時には休日出勤も多々あった。
そういう一日の忙しさは主婦にもいえること。日常の家事をするにも、電化製品が今より少なく、この令和よりずっと忙しかった時代のはずである。
青空の中へ吸い込まれるような飛行機雲。
あるいは雨上がりの虹。庭の花の咲いたのに気づいた朝。
洗濯物をベランダに干しているときに、どこからかやって来た名知らぬ小鳥。
ふとしたことに、日々の忙しさの中から見つけた、ほんのひと時の瞬間。それが毎日の暮らしの中で、けっこう少なくないのだと思う。「あら~」と感じることがしばしである。季節の変わり目や、梅雨の時にはなおのこと。
こういう時の5分や10分は、はたからはきっと放心だと思えることだろう。
でも本人にとってはそれどころか、忙しさの中の貴重な時間かもしれない。いわば心の、ほんの瞬間の休息なのであろう。
忙しいからこそ、少しの心のやすらぎが必要なのは、、ひょっとすると今も昔も案外変わってないのかもしれない。
車社会になり、世の中が便利になればこそ、こういう無為の時間がますます今後必要になってくるのかとさえ思う。
「つれづれ(26)無為の時間」