近代日本経済の父といわれる「渋沢栄一」は天保11年(1840)深谷市の血洗島の農家の家に生まれました。幼い頃から家業である藍玉の製造・販売・養蚕を手伝い、父市郎右衛門から学問の手ほどきを受けました。
7歳になると下手計のいとこの尾高惇忠のもとへ論語をはじめとする学問を習いに通いました。
20代で倒幕思想を抱き、惇忠や惇忠の弟の長七郎、いとこの渋沢喜作らとともに、高崎城乗っ取りを計画しましたが、長七郎は京都での見聞からこれに反対し計画は中止されます。
その後、喜作とともに京都へ向かい、一橋(徳川)慶喜に仕官することになりました。
一橋家で実力を発揮した栄一は27歳の時、慶喜の弟徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会を見学し、欧州諸国の実情に触れることができました。
明治維新となって帰国すると日本で最初の合本(株式)組織「商法会所」を静岡に設立し、その後明治政府の大蔵省に仕官します。栄一は富岡製糸場設置主任として製糸場設立にも関わりました。
大蔵省を辞めた後、一民間経済人として株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れるとともに「道徳経済合一説」を唱え、第一国立銀行をはじめ、約500もの企業の設立に関わったといわれています。
また約600もの社会公共事業、福祉・教育機関の支援と民間外交にも熱心に取り組み、数々の功績を残しました。
惜しまれながら1931(昭和6)年11月11日、91歳の生涯を閉じました。
2024年度上半期に執行予定されている紙幣改定により一万円札に、渋沢の肖像が採用されることになった。
今年は生誕180年とのことです。
そう、今日は「渋沢栄一」の生誕の地である、「深谷市」に行ってみます。
何と、4時30分に目覚ましが鳴り起床する。
5時15分になり、「おにぎりとパン」を持って出発します。
当然ですが「真っ暗」です(笑)
日が長い時なら5時出発でも明るいので問題ありませんが、この時期に自転車で5時出発はどうなんだろう?(笑われそうですが・・)
さて、往路は最短距離を走って行くので、一般道オンリーとなります。
先ずは「川越」を目指します。
川越まで後6㎞位の所で、薄明るくなってくる。(5時50分)
そして「川越」の「一番街」を通過します。
「落合橋」から「太陽」に向けシャッターを切る。
この先、R254号線~R407号線をひたすら走って行きます。
暫し走って行き、荒川に架かる「荒川大橋」を渡ります。
この先はR17号線を深谷方面に走って行きます。
やがて、「深谷駅」に到着です。
最初に目に留まったのは・・・
「ふっかちゃん」の看板でした(笑)
そして「北口公園」の「渋沢栄一 像」です。
そして「駅舎」です。
ミニ東京駅とも言われている深谷駅のこのデザインは、1996年の改築時に、東京駅の赤レンガ駅舎をモチーフにつくられたもの。
因みに、東京駅の煉瓦は深谷市産です。
深谷駅は何故か閑散としています。(何時もこんな感じなの?)
エスカレーターで上がって改札口へ。(今は工事中の様です)
「からくり時計」ですね。
駅ロータリーを2周して退散します。
「渋沢栄一記念館」方面に走って行こうとすると・・・
廃墟の様な建物があります。
寄ってみます。
「深谷シネマ」があった。
深谷市で300年以上続いた酒造の「七ッ梅酒造跡地」にあるのか。
映画館は今日は定休日らしい。
退散します。
走って行きます。
この先、「右手」には・・・
チョット覘いて、帰りに寄ります。
左折すると、その先には「尾高惇忠」の生家です。
言い方はどうなのか?「渋沢栄一」の師匠ですね。(富岡製糸場初代場長である)
この先を走って行くと「渋沢栄一記念館」があります。
「アンドロイド講演会」の予約は11時からですので、写真だけ撮って、次に向かいます。(只今、9時30分です。)
ココは「完全予約制」だが、それにしても空いていますね。
10時30分に来ます。(予約の30分前に資料室を見学できます。)
着いた所は、旧渋沢邸「中の家(なかんち)」です。
旧渋沢邸「中の家(なかんち)」主屋は、渋沢栄一生誕地に建ち、栄一の妹夫妻によって明治28年上棟された建物です。渋沢栄一が多忙な中で帰郷した際に頻繁に立ち寄り、寝泊まりした場所です。
自転車ラックもある。
若かりし日の「渋沢栄一」の像がある。
渋沢栄一も携わった藍玉(あいだま)、藍の葉から作られる。
退散します。
予約時間まで、たっぷりあります。
「青淵公園」を散策します。
イルミネーションの飾り付けをしていた。
昭和12年に皇太子明仁親王の生誕奉祝記念事業として、八基村青年団により建てられました。
清浦奎吾揮毫、栄一の甥にあたる渋沢治太郎撰書。
栄一の雅号を冠した公園を流れる清水川にかかる橋には、郷土の偉人たちの名がつけられています。
「葱畑」ありました(笑)
では、まだ時間は10時10分ですが「渋沢栄一記念館」に行きます。
着いて駐輪します。
先ずは「銅像」です。
入館します。
受付で11時の予約したが、振替できるか聞くと、余裕があるので10時30分は「OK」とのこと。
助かりました。
「資料館」は撮影禁止でした。
やがて時間となり「講義室」で「渋沢栄一・アンドロイド」による講義です。
講義室前の写真です。
今日のテーマは、例の「道徳経済合一説」です。
これを唱え、数多くの企業の設立に関わったのですよね。
講義後は写真タイムとなりましたが、撮ったのは「アンドロイド」だけです。
それにしても「リアル」過ぎです。
写真を撮ろうとすると、手を挙げました。
では退散します。
先ほどの「中の家」の隣にあった「うどん屋」に向かいます。
まだ「準備中」、11時30分からの様です。
近くの「諏訪神社」に行きました。
諏訪神社は旧血洗島村の鎮守で、拝殿は栄一翁が寄進したものです。
境内には、栄一翁の喜寿を祝って諏訪神社の氏子中の拠金により建てられた「渋沢青淵翁喜寿碑」が建っています。 徳川慶久題額、萩野由之撰、坂正臣書によるものです。
では、昼食です。
「営業中」です。
注文は「煮ぼうとう・とろろご飯セット」です。
待ってる間に「書」でも見てくださいとのこと。
25日(日)から公開したって、閉店したらしまうらしい。
相当の「値」が付く様です。
そうこうしていると来ました。
これが「栄一」が好んで食した「煮ぼうとう」です。(絶対、今の方が美味しいでしょうね。)
美味しくいただきました。
帰路に向かいます。
寄ったのは、朝チョット覘いたココです。
「誠之堂」です。(渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちの出資により建築されました。)
「清風亭」です。(清風亭は、大正15年(1926)に、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して、清和園内に誠之堂と並べて建てられました。)
では退散です。
「小山川CR」を走って行きます。
着いた所は「旧煉瓦製造施設」です。
ここで製造された煉瓦は、東京駅丸ノ内本屋や旧東宮御所(現迎賓館赤坂離宮)などに使用されており、日本の近代化に大きく寄与しました。
見学は「土・日」だけだった。
仕方ないので「深谷駅」方面に向かいます。
着いた所は「深谷城址公園」です。
では、熊谷方面に向かいます。
そして「荒川大橋」へ。
ココからは「荒川CR」をひたすら走って行きます。
やっと「水管橋」です。
「糠田橋」を渡って右岸に出ます。
「コスモス畑」があった。
「入間大橋」でOUT、「伊佐沼」に寄ります。
また「セイタカシギ」が居ました。
「イソシギ」ですね。
一気に走って行きます。
そして、16時45分に帰ってきました。
本当はもっと走っています。(一時サイコンがストップしたから)
今日は、改めて「渋沢栄一」の偉大さを感じました。
5;15出発ですか!私は今朝その時間に起きたけどホント!暗いよね。でもまだ寒さが厳しく無いから許せるかな?
うわぁ~148キロ、早朝から暗くなる一歩手前までだもんね。凄い、久々に頑張りましたね。
私は笹目川を荒川の方に向けて自転車で行って見ました。今回は路も間違わずに、30分かかってしまった。だから往復で1時間だね。(のんびりキョロキョロ走ったからネ)
変わりますよ❗️
少しでも余裕が欲しく、暗い中での出発でした。結果は余裕有りすぎでした(笑)
今度は宿場巡りかな、中山道は鴻巣宿までは取材済み、その先ですね。
その様に自転車も頑張ってください。