今日は朝から「雨」、風も強くなっています。
昨夜NHKの番組「所さん!大変ですよ」で、「伊東四朗83歳の役者魂」が放送された。
若手時代、多大な影響を受けた森繁久彌や渥美清の話のなかで、森繁さんの曲「知床旅情」には元歌があると言っていた。その曲は「オホーツクの舟歌(唄)」で、調べてみるとどうやら歌詞が違い、旋律は同様であった。
1960年(昭和35年)の出来事だった。 北海道東部に位置する知床半島の羅臼(らうす)で、東宝映画『地の涯に生きるもの』の長期ロケが行われた。 “知床”という地名は、アイヌ語の「シレトク(siretok)」で“地の涯(はて)”を意味する言葉が由来とされている。 映画の原作は戸川幸夫の小説『オホーツク老人』で、国民的俳優の森繁久彌(当時47歳)が主演を務めたことで話題作となった。 ロケの最終日、森繁は「さらば羅臼よ(別題:オホーツクの舟歌(唄))」という歌を作って羅臼の人達に贈った。 それは知床住民の間で昔から歌われてきた曲を基にした歌だった。 歌詞には冬の厳しさ、春の訪れの喜び、そして望郷の想いが描かれている。 森繁が紡いだその歌は、マスコミ発表を意図としたものではなく、村をあげて大人から子供たちまで撮影に協力してくれた羅臼の人々への感謝の気持ちで作られたものだった。(倍賞千恵子も歌っています)
「オホーツクの舟歌(唄)」の歌詞は・・
♪ オホーツクの海原 ただ白く凍て果て 命あるものは 暗い雪の下~ で始まる。
オホーツクの舟歌(唄)/森繁久彌
「知床旅情」の歌詞は・・
♪ 知床の岬に ハマナスの咲く頃 思い出しておくれ 俺たちのことを ~ ですね。
1962年(昭和37年)の年末、森繁はNHK紅白歌合戦で「知床旅情」として同曲を歌うこととなる。 それによって、この歌は多くの人びとに知られるようになったが、レコードの売り上げはあまり伸びなかったという。 それから10年後の1970年に加藤登紀子がリリースしたアルバム『日本哀歌集』で取り上げ、同年にシングルカット。徐々に人気に火がつき、大ヒット曲となった。
知床旅情/ 森繁久彌
森繁さんって、元NHKのアナウンサーだったとは、知りませんでした。
只今検索中でした、そのようですね。
有り難うございます。
他のCDもありますが、アレンジが異なります。
お立ち寄り、またコメントいただき有り難うございます。
楽しい旅の思い出となっていることでしょうね。因みに私は未だ知床には行っていません😭
CD情報有り難うございます。購入したいと思います。
当時はレコードのみでしたが、森繁久彌さんは3回ほど収録していたようで、中でも「北海道の詩情」という7インチLPのアレンジが、北の海を連想する厳しさをよく表していました。CDは(COCA-13619)です。その後倍賞千恵子さんが歌われ、最近では神野美伽さん、山内惠介さんがカバーしているようです。