DAY by DAY

日々の出来事、覚書

12月3日

2023-12-03 21:16:35 | 日記

今日12月3日は、年始から337日目、年末まであと28日。

 

画像は、華岡青洲。

 

以下、今日の出来事一覧とその後にメモ記載。

 

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1800 - ナポレオン戦争・第二次対仏大同盟: ホーエンリンデンの戦い。

フランス軍がオーストリア軍を破る。

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1805(文化2年10月13日) - 華岡青洲が世界初の麻酔を使った手術に成功。

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1828 - 1828年アメリカ合衆国大統領選挙の結果、

アンドリュー・ジャクソンが大統領に選出。

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1888 - 愛媛県から香川県が分割。

現在の日本の全ての都道府県の領域が確定する。

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1904 - チャールズ・パーラインが木星の第6衛星ヒマリアを発見。

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1906 - イタリアのサッカークラブ・トリノFCが発足。

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1910 - ジョルジュ・クロードがネオン管を初めて公開。

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1926 - 推理作家アガサ・クリスティが自宅を出たきり失踪。

11日後に発見される。

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1926 - 改造社が1冊1円の『現代日本文学全集』の刊行を開始。

他社が追従し円本ブームとなる。

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1946 - NHKラジオで日本初のクイズ番組『話の泉』の放送が開始される。

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1947 - テネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』が

ニューヨーク・ブロードウェイで初演。

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1950 - 鹿児島県鹿児島市で大規模火災。バラックなど300戸が全焼。

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1955 - 鹿児島県名瀬市で大規模火災。

市全体の約1/3にあたる1413戸が全焼。

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1959 - 現在のシンガポールの国旗が制定。

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1959 - 東京で日本初の個人タクシーの営業認可。

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1966 - マカオで一二・三事件がおこる。

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1967 - クリスチャン・バーナードの執刀によって世界初の心臓移植が

南アフリカのケープタウンで行われる。

世界初のレシピエントは移植18日後に死亡。

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1967 - 福岡国際マラソンでデレク・クレイトンが史上初の2時間10分を

切る2時間9分36秒を記録。

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1971 - 第三次印パ戦争勃発。

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1972 - 日本でアニメ「マジンガーZ」放送開始。

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1973 - アメリカの惑星探査機「パイオニア10号」が初めて木星の

接近画像を送る。

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1979 - 電電公社が東京23区内で自動車電話のサービスを開始。

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1985 - NTTがフリーダイヤルのサービスを開始。

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1989 - ジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領とミハイル・ゴルバチョフ

ソ連最高会議幹部会議長兼ソ連共産党書記長がマルタ島で会談し、

冷戦の終結を宣言。(マルタ会談)

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1994 - 智頭急行智頭線が開業。

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1994 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが家庭用ゲーム機

PlayStationを日本国内で発売。

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1997 - 対人地雷禁止条約(オタワ条約)に調印。

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1999 - アメリカの火星探査機「マーズ・ポーラー・ランダー」が火星に

到着するが、同日の大気圏突入の直前の通信を最後に通信途絶。

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2009 - メドヴェージェフロシア大統領とローマ教皇ベネディクト16世が

会談し、ロシアとバチカンが外交関係を樹立することで合意。

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2010 - 中国高速鉄道のCRH380Aが試験走行で最高速度486.1 km/hを記録。

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2011 - 平成23年台風第12号に伴う豪雨の被害により和歌山県内の一部の

区間で不通となっていた、JR紀勢本線が約3カ月ぶりに全線で運転を再開。

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2014 - 宇宙航空研究開発機構が小惑星探査機「はやぶさ2」を打ち上げ。

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2018 - アメリカの小惑星探査機「オシリス・レックス」が

小惑星ベンヌに到着。

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===メモ===============================

下線部分情報ソース未確定。以前日記に記した件は再記せず。

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1805文化21013華岡青洲が世界初の麻酔を使った手術に成功。

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華岡 青洲

宝暦10年10月23日(1760年11月30日) - 

天保6年10月2日(1835年11月21日)。

江戸時代の外科医。

 

諱は。字は伯行。通称は雲平。号は青洲、随賢。

 

記録に残るものとして、世界で初めて全身麻酔を用いた乳癌手術を成功させた。

欧米で初めて全身麻酔が行われたのは、青洲の手術の成功から約40年後となる。

 

天明5年(1785年)2月、帰郷して父の直道の後を継いで開業した。

父は同年6月2日(7月7日)に64歳で死去した。

 

手術での患者の苦しみを和らげ、人の命を救いたいと考え、麻酔薬の開発を始める。

研究を重ねた結果、薬用植物ではあるが、強い有毒成分を含む毒草としても有名で

ある曼荼羅華の実(チョウセンアサガオ=別名キチガイナスビ)、草烏頭(トリカブト)を

主成分とした6種類の薬草に麻酔効果があることを発見。

 

動物実験を重ねて、麻酔薬の完成までこぎつけたが、人体実験を目前にして行き詰

まる。動物実験に関しては、近年の研究によると、マウス、ラット、ウサギ、イヌなどへ

の投与で、種差によって効果が大きく異なり、ヒトへの投与量等の検討に動物実験が

役立ったかは疑問とされるが、ヒトへの投与試験は非常に重要だったと考えられて

いる。

 

実母の於継と妻の妹背加恵が実験台になることを申し出て、数回にわたる人体実験

の末、於継の死、加恵の失明という大きな犠牲の上に、全身麻酔薬「通仙散」(麻沸

散)を完成させる。

ただし、母と妻が投与試験に参加したことを裏付ける資料は見つかっていない。

 

青洲の医術

前述の通り、青洲は文化元年10月13日(1804年11月14日)、全身麻酔手術に

成功している。これは、1846年にアメリカで行われた、ウィリアム・T・G・モートンによ

るジエチルエーテルを用いた麻酔の手術よりも40年以上前のことであった。

 

青洲の麻酔手術成功以前にも、三国時代の医師の華佗や、インカ帝国でコカを使っ

た麻酔手術が行われたという伝承がある。康熙28年(元禄2年)11月20日(168

9年12月31日)に、王世孫であった後の尚益王の口唇口蓋裂形成手術を成功さ

せたという琉球国の高嶺徳明も、一説によれば全身麻酔を用いたという。

 

しかしいずれも詳細は不明であり、実例として証明されている全身麻酔手術は青洲の

物が最古となる。青洲は華佗の医術を意識しており、通仙散の別名、麻沸散とは、華

佗が使ったとされる麻酔薬の名である。

 

医師医学者でありかつ麻酔史、青洲の研究家でもある松木明知弘前大学名誉教授

に拠れば、青洲が春林軒で乳癌の手術を行った患者143人の内、術後生存期間が

判明するものだけを集計すると、最短で8日、最長は41年で、平均すれば約3年

7か月となる。

 

当時の医療水準から、外見から明らかにわかるほど進行した乳癌が主体だと推定さ

れることを考えれば、乳癌手術として大変な好成績であるとしている。同時期、ヨーロ

ッパで乳癌の手術は試みられていたが、治療成績は芳しくなく、19世紀後半を代表

するドイツの外科医ビルロートでさえ、手術後の再発率は80%を超え、3年生存率は

4~7%程度だったとされている。

 

また、青洲はオランダ式の縫合術、アルコールによる消毒などを行い、乳癌だけでな

く、膀胱結石、脱疽、痔、腫瘍摘出術などさまざまな手術を行っている。

前述の通仙散の他、彼の考案した処方で現在も使われているものに十味敗毒湯、

中黄膏、紫雲膏などがある。

 

青洲は常に「内外合一 活物窮理」を唱えた。

日本伝統の漢方医学と近年外国から伝わったオランダ医学を区別せず、机上の空論

ではなく実験や実証を重んじる、という意味である。

 

前述の全身麻酔手術の成功を機に、華岡青洲の名は全国に知れ渡り、手術を希望す

る患者や入門を希望する者が殺到した。青洲は全国から集まってきた彼ら門下生たち

の育成にも力を注ぎ、医塾「春林軒」を設け、生涯に1000人を超える門下生を育てた。

 

青洲の弟子からは、本間玄調、鎌田玄台、熱田玄庵、館玄竜、難波立愿、三村玄澄と

いった優れた外科医が輩出している。その中でも特に優れていたのが本間玄調であり、

膝静脈瘤の摘出などの手術を行い、また医術についての著作を残した。

 

しかし、玄調はその著作の中で青洲から教わった秘術を無断で公開したとして、破門さ

れている。とはいえ、青洲は自分の医術の詳細を書物に書き残さなかったため、玄調の

著作は今日、青洲の医術の実態を知る上で貴重な資料となっている。

 

青洲には、自分の医術を限られた弟子にしか公開しないという、秘密主義的な面が存

在した。門下生たちには、通仙散の製造方法を家族や友人にすら教えてはならないと、

血判まで提出させていた。

 

その本間玄調の記録によると、通仙散の配合は、曼陀羅華八分、草烏頭二分、二分、

当帰二分、二分であった。これらを細かく砕き、煎じて滓を除いたものを温かいうちに

飲むと、2~4時間で効果が現れた。しかし、やや毒性は高かったらしく、扱いは難しか

ったという。

 

また曼陀羅華のどの部分を利用したのか、それぞれの正確な調合分量は記録されて

おらず、通仙散の現物も残されていない。だが、後世、松木明知により、同一処方が

ヒトに対して追試され、意識レベルが8時間にわたって低下し、1週間にわたって散

瞳が続いたことが実証された。

 

この秘密主義が、後世の医学に貢献しなかったという批判はあるが、通仙散による

全身麻酔そのものは日本全国に普及した。例えば、津軽では1864年以前に鼻の

再接着手術が行われ、福井藩では橋本左内が1852年から1854年にかけて全身

麻酔下の乳癌手術を行っている。

 

和歌山県出身の小説家である有吉佐和子によって、小説『華岡青洲の妻』が昭和

41年(1966年)に新潮社から出版されベストセラーとなる。この小説により、医学

関係者の中で知られるだけであった青洲の名前が一般に認知される事となった。

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1828 - 1828年アメリカ合衆国大統領選挙の結果、

アンドリュー・ジャクソンが大統領に選出。

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アンドリュー・ジャクソン

1767年3月15日 - 1845年6月8日。

アメリカ合衆国の軍人、政治家、黒人奴隷農場主で、第7代アメリカ合衆国大統領。

 

ジャクソンは民主党所属としては初の大統領。

オールド・ヒッコリー」の愛称で呼ばれた。

 

「アメリカン・フロンティア」に暮らし、独立13州に関係しなかった最初の大統領。

米英戦争における活躍をきっかけに大統領になり、任期中の強権ぶりから「アンド

リュー1世」とも揶揄されたほどであった。アメリカ独立戦争と南北戦争の間、その

時代は「エイジ・オブ・ジャクソン」「ジャクソン・エラ」としばしば呼ばれた。

 

史上唯一、議会から不信任決議をされた大統領であり、またアメリカ大統領史上

初めて暗殺の標的になった(未遂)。

 

夫人のレイチェル・ジャクソン(第7代アメリカ合衆国のファーストレディ)は夫が大

統領に就任する2か月前に急死したが、ジャクソンは彼女の死の原因になったと

して政敵のジョン・クインシー・アダムズとその支持者を激しく非難した。

 

邸宅を構えたハーミテージはアメリカ合衆国国定歴史建造物に登録されている。

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1904 - チャールズ・パーライン木星6衛星ヒマリアを発見。

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チャールズ・ディロン・パーライン

1867年7月28日 – 1951年6月21日。

アメリカ生まれで、アルゼンチンで活躍した天文学者。

 

オハイオ州に生まれた。

1893年から1909年までリック天文台で働いた。

 

1909年から1936年まで国立アルゼンチン天文台(現在の Observatorio Astronó

mico de Córdoba)で働いた。

 

1901年にジョージ・リッチーとともにペルセウス座の1901年の新星のまわりの星雲

の“見かけの速度”が光速を大きく超えて観測される超光速運動を観測した。

1904年にヒマリア、1905年にエララの2つの木星の衛星を発見した。

これらの衛星は"Jupiter VI" 、"Jupiter VII"呼ばれ、名前が付けられたのは1975年

になってからである。

18D/パーライン-ムルコス周期彗星はじめいくつかの彗星の共同発見者となった。

アントニーン・ムルコスは小惑星(6779)を、Perrineと命名した。

 

アルゼンチンの天文学研究を組織し、大望遠鏡の建設を推進したが、大望遠鏡の

完成はパーラインの引退後の1942年になった。1936年の引退後もアルゼンチン

に留まり、アルゼンチンのes:Villa General Mitre で没した。

アルゼンチンのコルドバに葬られた。

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1910 - ジョルジュ・クロードネオン管を初めて公開。

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ジョルジュ・クロード

1870年9月24日 – 1960年3月23日。

フランスの化学者、エンジニア、発明家である。

フランス・パリ生まれ。

 

ダニエル・マクファーラン・ムーアの発明、ムーアランプに影響を受け、

不活性なネオンガスを封入したガラス管に電気放電する照明器具ネオン

管を発明した。

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1926 - 推理作家アガサ・クリスティが自宅を出たきり失踪

11日後に発見される。

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アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティ(Dame Agatha Mary Clarissa Christie、DBE)

1890年9月15日 - 1976年1月12日。

イギリスの推理作家。

 

66冊の探偵小説と14冊の短編集で知られ、発表された小説の多くは世界的なベスト

セラーとなり「ミステリーの女王」と呼ばれた。

 

特に架空の探偵エルキュール・ポアロと ミス・マープルを主人公とする小説で有名で

ある。メアリ・ウェストマコット名義の小説が6作品ある。

 

1971年、大英勲章第2位(DBE)に叙され「デイム・アガサ」となる。

英国推理作家のクラブであるディテクションクラブの第4代会長。

 

ユネスコのインデックス・トランスラチオヌムによると、最も翻訳された作家である。

小説『そして誰もいなくなった』は、約1億部を売り上げ、史上最も売れた本の一つ

である。戯曲『ねずみとりは、演劇史上最長のロングラン記録を持っている。

1952年11月25日にウエストエンドのアンバサダー・シアターで開幕し、2018年

9月までに27,500回以上上演された。2020年3月にロンドンで新型コロナウイル

ス感染症流行のロックダウンのため一時休演し、2021年5月に再演した。

 

日本語表記は「クリスティ」と「クリスティー」がある[注釈 1]

 

失踪事件

アガサ・クリスティ失踪事件とは、ロンドン近郊の田園都市サニングデールに住んで

いたアガサ・クリスティ(当時36歳)が1926年12月3日、自宅を出たまま行方不

明となった事件を指す。

 

警察は自身の失踪として探す一方、事件に巻き込まれた可能性も視野に入れて捜査

をした。後述のように、アガサと夫のアーチボルドは問題を抱えていたことからアーチ

ボルドの犯行という推測も出た。

 

有名人の失踪、複雑な背景は結果として新聞の興味を掻き立て、報道により事件を

知った大衆から多数の目撃情報が寄せられた。その検証のために大勢の人間が動

いた。捜査機関を含む関係筋から動員されたのは、延べ人数で数千人に及んだと

される。

 

マスコミの盛り上がりによりドロシー・L・セイヤーズやアーサー・コナン・ドイルもコメ

ントを出した。

 

11日後、保養地のホテルに別人名義(夫の愛人の名からテレサ・ニールの名)で

宿泊していた彼女が家族の確認の上で保護されることで決着した。そのため、

Agatha Eleven Missingと呼ばれる。

 

当時のアガサは、ロンドンの金融街で働いていた夫のアーチボルド、一人娘のロザ

リンド(当時7歳)と田舎の大邸宅で暮らしていた。休日にはアーチボルドはゴルフ

に熱中していたが、アガサはゴルフをしなかった。

家事はメイドを雇い、執筆の仕事では秘書のシャーロットを住まわせていた(シャー

ロットはアガサの信頼を得て、長く彼女の側で勤めることになる)。

 

キャリアにおいては、『アクロイド殺し』(1926年)によりベストセラー作家の仲間入り

を果たす一方で、事件の前には最愛の母親を亡くし、また夫には恋人がいた事実に

傷つけられていた。事件の起きた日、アガサは住み込みのメイドに行き先は告げず

に外出すると伝え、当時は珍しかった自動車を自ら運転して一人で出かけている。

その際に彼女は秘書のシャーロットと夫に手紙を残している。

 

なぜ失踪したのかについては諸説あり、伝記作家の間でもこの件については、心身

が耗弱していた、意図的な行動であった等、意見が分かれているが、自伝では事件

について触れていない。しかし、事件の結果としてマスコミや世間の好奇の対象とさ

れたアガサが心に傷を負った点、そしてこれ以降の彼女の内面世界が徐々に変化

を見せた点に関しては諸説一致している。

 

この失踪事件を題材に、独自の解釈でアガサ・クリスティをめぐる人間模様を描いた

映画『アガサ 愛の失踪事件』が1979年に公開された。

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1947 - テネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』が

ニューヨークブロードウェイで初演。

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テネシー・ウィリアムズ

1911年3月26日 - 1983年2月25日。

アメリカ合衆国のミシシッピ州コロンバス生まれの劇作家。

 

本名はトマス・レイニア・ウィリアムズ

愛称の「テネシー」はその南部訛りからセントルイスでの学友に付けられた。

 

ルイジアナ州ニューオーリンズのフレンチ・クオーターで長年暮らした。

牧師の祖父、音楽教師の祖母、両親、姉弟とともに祖父の牧師館で育つ。

靴のセールスマンをしていた父親は留守が多く、粗野で暴力的、酒と賭博が好きで、

病気がちでひ弱なテネシーに失望していた。両親は夫婦仲が悪く、喧嘩が絶えなか

った。2歳違いの姉とは大の仲良しで、双子と間違われるほどだった。

 

母親は神経質でヒステリックな人だったが、優しい黒人の乳母がいて、毎夜いろいろ

なおとぎ話を聞かせてくれていた。

 

8歳のときに、父親の仕事の関係でミズーリ州セントルイスに引っ越し、特権階級だ

った南部の穏やかな暮らしから、工業都市のアパート暮らしに一変した。

新しい環境になかなかなじめず、友人もなく、家で過ごす日々が続いた。

この異なる環境の変化とそれに苦悶する人々は、テネシーの作品によく現れるモチ

ーフである。

 

ウィリアムズの家庭には問題が多かった。

彼の姉ローズは恐らく彼に対する最も大きな影響を与えた。

彼女は精神障害で精神病院の中で生涯のほとんどを過ごし、両親は結局彼女に対

するロボトミー手術を許可した。ウィリアムズはこのことで両親を許さなかったし、愛

する姉を救えなかった自分自身の罪の意識にも苦しんだ。

 

彼の作品の登場人物はしばしば家族に対する直接の抗議であると見られる。

『欲望という名の電車』のブランチ・デュボワ、『ガラスの動物園』のローラ・ウィングフ

ィールドは姉のローズ、アマンダ・ウィングフィールドは、彼の母親がモデルであると

される。また『去年の夏 突然に』のセバスチャン、『ガラスの動物園』のトム・ウィング

フィールドを含めて、彼のキャラクターの多くは自叙伝的である。

 

彼はゲイだったことで知られている。

秘書のフランク・マーロとの関係は、出会った1947年から1963年の癌によるマー

ロの死まで続いた。1979年の1月に、ヘイトクライムの犠牲者としてフロリダ州キー

・ウェストで5人の10代の少年によって殴打された。

 

晩年は死や孤独に対する恐怖からアルコールやドラッグが手放せない生活になり、

1983年、ニューヨークのホテルで目薬か点鼻薬のキャップを喉に詰まらせ窒息死

した。

 

しかし、彼の弟デーキン・ウィリアムズなど幾人かはそれが殺害だと信じている。

 

死後、遺体はハート・クレインが亡くなったカリブ海に散骨してほしい、という趣旨の

遺書が発見されたが、弟デーキンにより1980年に死去した母エドウィナが眠るセン

トルイスのカルヴァリー墓地に埋葬された。

 

墓石には、代表作の一つ『カミノ・レアル』の一節

The violets in the mountains have broken the rocks.」が刻まれている。

 

後に、1996年に死去した姉のローズ、2008年に死去した弟デーキンも同じ墓地に

埋葬された(1957年に死去した父コーネリアスだけはテネシー州ノックスビルの

墓地に埋葬されている)。

 

1948年には『欲望という名の電車』で、1955年には『熱いトタン屋根の猫』でピュー

リツァー賞を受賞している。

 

1956年にニューヨークの路上で三島由紀夫と出会って以来親交をもち、数回来日

している。ウィリアムズの死後発表された戯曲の一つで、画家ジャクソン・ポロックの

死をきっかけに書かれた『男が死ぬ日』は三島に捧げられ、1957年に英訳出版され

た「近代能楽集」に倣って「西洋能」という副題がつけられた。

 

欲望という名の電車

テネシー・ウィリアムズによる戯曲。

1947年にブロードウェイで初演された。

 

ニューオーリンズを舞台に、落ちぶれた名家出身の女性が隠していた過去を暴かれ、

破滅するまでを描いている。

 

本作品は、性に関していまだ保守的だった当時のアメリカ社会の倫理観に照らし、

同性愛、少年愛、レイプといったきわめて衝撃的な内容を含んでいた。そのため

大きな話題となり、1951年に同名で映画化、1998年にオペラ化されている。

 

映画化の際には多くの自主規制が加えられ、ストーリーも改変されている。

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1966 - マカオ一二・三事件がおこる。

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一二・三事件

1966年12月3日にポルトガル領マカオで発生したマカオ史上最大の暴動。

 

事件が与えた影響

この事件以降、ポルトガル政府並びにマカオ政庁の権威は失墜し、マカオはポルト

ガル領でありつつ事実上中華人民共和国の影響下に入ることになった。

 

後に中国に返還されたマカオで初代行政長官を務める何厚鏵の父親で「マカオの王」

「影のマカオ総督」と呼ばれた親中派実業家の何賢の影響力は絶大なものになり、

何賢はポルトガル政府と友好的な関係を持ったことから当時のアフリカのポルトガル

植民地とは対照的に政情は安定した。

 

そして、本国のポルトガルが中華民国との国交を維持しているにもかかわらず、マ

カオは独断で中華人民共和国との国交を結び、その結果これまでマカオで活動して

いた中華民国の各機関は締め出された。中華民国の国旗の掲揚や国民党支持

者の活動も禁止された。また、中国共産党の弾圧などから逃れてくる中華人民

共和国からの難民の入国を禁止し、強制送還を行った。

 

これに中華民国は抗議して大使召還を行い、ポルトガル政府は中華民国を国連

から追放する国際連合総会決議2758に賛成するまで外交関係は冷却化した。

香港の中国共産党勢力はこの暴動の勝利に勇気づけられ、半年後に香港で起き

る六七暴動(六七事件)に間接的に影響を与えた。

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1971 - 第三次印パ戦争勃発。

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第三次印巴戦争

1971年12月3日から同年12月17日にかけて勃発したインドとパキスタンの

国家間の戦争である。

 

同年3月にパキスタン内部で東パキスタンの独立戦争が勃発し、同地域から

多くの難民がインドへ避難していった事で印巴両国の対立が激化し緊張が高

まった。また同年8月にインドがソビエト連邦(ソ連)と軍事同盟である印

ソ平和友好協力条約を締結した事も対立の激化につながり、インドは対パキ

スタン強硬政策を採った。

 

そして同年11月21日にはインド軍が東パキスタン西部の街ジョソール付近

に展開。11月23日にパキスタンは全土に非常事態宣言を発出し、12月3日

にはインドも非常事態宣言を出して国家総動員体制に移行。両国は全面戦争

に突入した。

 

東パキスタンでは開戦1日目でインド空軍が制空権を奪取し、地上ではイン

ド軍25万人が国境を越えて東パキスタンに侵攻。

同地域の主都ダッカに迫った。

 

そして12月16日、同地域に駐留していたパキスタン軍は無条件降伏し、

西部のカシミール地域でも12月17日午後8時にインド側が一方的に停

戦を宣言し、パキスタン側がそれに応じた事で、この戦争は終結した。

 

なお戦時中にインドはパキスタンからの独立を宣言したバングラデシュ

を承認し、インド側の勝利によって同国は独立を果たした。

そして戦後にはインドは南アジアで軍事的に不動の地位を確保するに

至った。

 

その後、1972年7月にはインドのシムラーでインドの首相インディラ

・ガンディーとパキスタンの首相ズルフィカール・アリー・ブットーが

シムラー協定を締結し、戦後処理を行った。

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1994ソニー・コンピュータエンタテインメントが家庭用ゲーム機

PlayStationを日本国内で発売。

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PlayStation(プレイステーション、略称: PSPS1

ソニー・コンピュータエンタテインメント(略: SCE)が1994年12月3日に発売した

家庭用ゲーム機。

 

1990年代中期に「次世代機」と呼ばれた家庭用ゲーム機の一つ。

家庭で本格的なテクスチャ付き3Dグラフィックを実現した初めてのゲーム機である。

 

開発を主導した久夛良木健の独特の技術論や、丸山茂雄らによる従来のゲーム機

ビジネスとは異なるレコードビジネス仕込みの戦略で、セガ・エンタープライゼス(現・

セガ)のセガサターンや任天堂のNINTENDO64と共に次世代機戦争と呼ばれた市

場競争に勝利し、ファミリーコンピュータのヒット以来任天堂が独占していた市場でトッ

プシェアとなった。

 

同社の次世代機である『PlayStation 2』が2000年3月4日に発売されて以降も

本機は2006年まで生産された。

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2018 - アメリカの小惑星探査機「オシリス・レックス」が

小惑星ベンヌに到着。

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オサイリス・レックスOrigins, Spectral Interpretation, Resource Identification, Security, 

Regolith Explorer。OSIRIS-REx

 

アメリカ航空宇宙局のゴダード宇宙飛行センター (NASA/GSFC) が、アリゾナ大学

の月惑星研究所などと共同開発した、小惑星ベンヌからのサンプルリターンを目的

とした宇宙探査機である。

 

なお、オサイリスはエジプト神話の神の名であり、レックスは「王」を意味するラテン語

になるように、語呂合わせが行われた名称である。片仮名転記では「オサイレス・レッ

クス」「オシリス・レックス」などとも表記され、日本では「アメリカ版はやぶさ」と呼ばれ

る場合もある。

 

2023年9月24日にサンプルが入っていると見られるカプセルを地球へ投下、推定

250gの試料を採取することに成功した。

 

なお探査機本体は、再突入カプセルを分離後にミッション名をOSIRIS-APEXと改め、

小惑星アポフィスの周回探査に移行した。

 

概要

NASAにおけるニュー・フロンティア計画において、ジュノー、ニュー・ホライズンズに

次いで3番目に選定されたミッションが、オサイリス・レックスである。

 

炭素などが含まれているだろうと言われてきたC型のスペクトルを有した地球近傍

小惑星であるベンヌの詳細観測と、ベンヌからのサンプルリターン、さらに、ヤルコフ

スキー効果の観測を、オサイリス・レックスは主目的としている。

 

また、NASAが2020年代に実施したいとしてきた、有人小惑星探査のための重要

な準備として位置付けられた。総事業費は約8億ドルである。

2016年9月8日に打ち上げが成功した。

 

2017年2月にNASAは、ベンヌへ向けて飛行中のオサイリス・レックスに、地球と

太陽の系におけるラグランジュ点の1つである、L4に存在する可能性が考えられて

きた地球のトロヤ群を観測するミッションを追加した。

 

2018年12月3日にベンヌの上空19 kmへ到達し、ベンヌとのランデブーに成功

した。2018年12月31日にはベンヌから2 km以内に接近し、周囲を約62時間で

1周する軌道に入った。これにより、ベンヌは宇宙機が公転軌道に乗った最小の天体

となった。2020年10月20日にはベンヌ表面から試料を採取し、2021年に地球へ

向けて航行を開始した。

 

2023年9月24日にベンヌからサンプルが入ったと見られるカプセルをアメリカ合衆

国、ユタ州の砂漠にあるユタ試験訓練場に投下した。10月12日にサンプルの画像

が初公開され、250gのサンプルを採取できたと推定されている。

 

ベンヌからのサンプル採取が終了したことに伴い、ミッション名がOSIRIS-APEXと

改名され、オサイリス・レックスは小惑星アポフィスに向けての航行を開始した。

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2023年、今日。

ブロッコリーがハヤシライスにこんなに合うとは思わなかった。

2日連続ハヤシライスである。

あと1か月ほどは食わなくていいと思う。

 

 

 



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