今日から甲子園で高校野球が始まった。正直言って興味がない。プロ野球も高校野球も昔は、好きだったし、よく見たが、いつの間にか全く見なくなった。
プロ野球は巨人の江川卓が引退したころから見なくなったので、30年以上、まともに見て居ない。したがってルールなども変わり、よく分からない。
野球で観るのは東京6大学野球の東大野球部のみ。昨年来のコロナ禍でリーグ戦、新人戦以外、見られなくなったがそれ以前は東大球場のオープン戦は、全試合見て居るので年間、東大の試合は平均60試合程度は見ていた。
私が東大野球部の試合を見始めた頃は坪井忠郎監督だった。他大学の監督は、あまり覚えていない。
法政の松永玲一氏は覚えている。早稲田の石井藤吉郎氏は、監督だったか、もう監督を辞めた後だったか。その中で明治の島岡吉郎氏は、はっきり覚えている。
「人間力野球」「精神力野球」「スパルタ式野球」の代名詞で多くの名選手を生み出した。
島岡氏は明治高監督時代は3回甲子園出場を果たしているが、自身が明大応援団出身だったので明大野球部就任時にはOB会などの反対もあったやに聞く。それでも、しっかり実績を残した名監督だった。
何といっても戦時中、日本海軍の特務機関員である。スパルタ教育は必然。それでも、愛情を持った愛の鞭だったので、後に尾をひかなかった。
歴代主将で殴られなかったのは元巨人の高田繁と元中日の星野仙一の2人だけ。星野仙一氏の監督スタイルは島岡氏のスタイルをアレンジしたもの。
島岡監督は人の嫌がることを4年生にやらせた。さらに4年生の就職活動の際、各選手の志望企業すべてへ島岡監督自身が赴き、教え子を自らひたすら推薦した。
主力選手は、放っておいても好きな所へ行けると言う理由から裏方・控え選手が最優先。6大学の他大学OBの力を借りることもあったという。
教え子の元巨人の鹿取義孝は台湾遠征の時、ホテルのロビーで馬乗りになって殴られたそうで、周りの人が引いているのを見て、海外で、これをやっちゃあ駄目だなとおもったそうだ。
それでも、島岡監督のやり方は今では無理だが、あの当時の自分達の事を否定されたくはないと言っている。
東大野球部に対しても気を遣い、今でも秋のリーグ戦終了後には両校選手の親睦会を行っている。これは東大、井手監督の現役時代、島岡御大の発案で始まったらしい。享年77歳。
参照動画は「明治M紫紺」約30秒。