全体での練習
10月17日(金)
この日は前回同様、比較的多くの人が練習に来た。会長も来た。当たり前といえば当たり前なのだが、15~20人程度の人が集まると驚くくらいには出席率が悪いということか。
いよいよ切羽詰ったスケジュールになったので、2曲ともを通しながら練習。それにしても男声は音を取っておらず、ソプラノは音程が悪い。毎回、体のかたちやバランスを意識するよう伝えて発声練習をしているが、曲を歌う段になると皆地声で歌う。
アルトはなかなか優秀に思う。主旋律でもなく、中間音で取りにくい音程であるのにしっかり声を出して音程が響いて聴こえる。
10月24日(金)
翌日25日(土)には小学校で学校名を冠した「フェスティバル」が開催される。その準備のため多くのPTA幹部が合唱を休んだ。これも例年11月に行われるらしいのだが、今年はその日である。どうしても合唱の練習に準備をぶつけて休みたいのか。結果、参加者は10人少々。男声は賛助会員の1人だけ。
少人数でも普通に練習をした。「栄光の架け橋」だけで大半を費やしてしまった。それだけ仕上がりが悪い。女性の状況は上に書いたとおりである。とにかくソプラノは地声で歌う人が多いので指揮をしながら聴こえてくるものがとても気持ち悪い。上のEの音は発生をきちんとして、出し慣れていなくても腹式の反動で体をバウンドさせるように声を出せば私でもそれほど苦もなく出る音である。ソプラノのお母さんたちの中には〆られる鶏かよ、と思うような、いかにも気道を細くして、しぼり出すように声を出す人がいる。
辛い。
そして、唯一の男声、賛助会員の方は合唱には熱心だが、「栄光の架け橋」のパート別音取りのときに2回とも欠席しており、この日も音は取れていない。さらには、「難しいから男声はメロディを歌うことにしてはどうか」と言い出した。
何を言っているのだ。合唱だぞ、これは。
どうでもよいことだが、多くの幹部が準備で欠席した小学校のフェスティバル。これは子供も大人も楽しむようなイベントのようである。何か、竹細工や編み物のようなワークショップがあったり、レクリエーションがあったり、伝統や食育に触れるものがあったり、というものであった。
「あった」と過去形にしたのは、今はそうでないらしいからである。それまでのフェスティバルは、学校もPTAも準備が大変だったが、子供たちが毎年楽しみにしているから、大人たちも準備して催していた。
整形外科医をやっている今の会長が立候補で就任してから、彼の大好きな陸上イベントになったということである。とにかく体力測定や球技ばかりやって、準備が大変だからという理由で文化的なものがめっきり少なくなってしまった、とのことである。
とにかく、体力測定、体力測定の連続で、かつてPTAの報告会のようなところで保護者が「子供がフェスティバルがしんどくてもう嫌だ」と(半分笑い話で)言っていたという報告もあったらしい。
こういう話を聞くと、もう本当に誰のためのPTAかわからない。
次回練習日の教養講座は結局どうなったのか、このおかげで10月30日(金)の練習は中止である。合唱担当の方に聞いてみたところ、行事は本当に入っているが、名称が「教養講座」ではないという。「某さんを囲んでお話を聞く会」か何か、そういう名前らしい。座談会のような体であろうか。
まあ、敢えて意地悪に勘ぐってみるなら、合唱が嫌だからハッタリで教養講座をぶつけてみたものの、それも実行すると例年のパターンと異なるので本当に教養講座をここに移すのは都合が悪い。でも、何も行わずハッタリであったことがわかると、我々音楽陣の心証が悪くなる。これで合唱担当がキレてまた降りると言い出したら交歓会には出られなくなり、地域の「大人」に叱られる。とにかく誰か適当に呼んできて座談会をでっち上げて既成事実をしつらえた。
こんなところであろうか。
いずれにしても、前回と今回の練習で全く間に合う状況の出来ではなく、次週が休みで、その次が実質最後の練習日である。どう考えてもステージではグダグダの演奏をすることになる。
実は合唱をサボりたいPTAの連中なんかより、ずっと私のほうが合唱を投げ出して休みたくてたまらない。
10月17日(金)
この日は前回同様、比較的多くの人が練習に来た。会長も来た。当たり前といえば当たり前なのだが、15~20人程度の人が集まると驚くくらいには出席率が悪いということか。
いよいよ切羽詰ったスケジュールになったので、2曲ともを通しながら練習。それにしても男声は音を取っておらず、ソプラノは音程が悪い。毎回、体のかたちやバランスを意識するよう伝えて発声練習をしているが、曲を歌う段になると皆地声で歌う。
アルトはなかなか優秀に思う。主旋律でもなく、中間音で取りにくい音程であるのにしっかり声を出して音程が響いて聴こえる。
10月24日(金)
翌日25日(土)には小学校で学校名を冠した「フェスティバル」が開催される。その準備のため多くのPTA幹部が合唱を休んだ。これも例年11月に行われるらしいのだが、今年はその日である。どうしても合唱の練習に準備をぶつけて休みたいのか。結果、参加者は10人少々。男声は賛助会員の1人だけ。
少人数でも普通に練習をした。「栄光の架け橋」だけで大半を費やしてしまった。それだけ仕上がりが悪い。女性の状況は上に書いたとおりである。とにかくソプラノは地声で歌う人が多いので指揮をしながら聴こえてくるものがとても気持ち悪い。上のEの音は発生をきちんとして、出し慣れていなくても腹式の反動で体をバウンドさせるように声を出せば私でもそれほど苦もなく出る音である。ソプラノのお母さんたちの中には〆られる鶏かよ、と思うような、いかにも気道を細くして、しぼり出すように声を出す人がいる。
辛い。
そして、唯一の男声、賛助会員の方は合唱には熱心だが、「栄光の架け橋」のパート別音取りのときに2回とも欠席しており、この日も音は取れていない。さらには、「難しいから男声はメロディを歌うことにしてはどうか」と言い出した。
何を言っているのだ。合唱だぞ、これは。
どうでもよいことだが、多くの幹部が準備で欠席した小学校のフェスティバル。これは子供も大人も楽しむようなイベントのようである。何か、竹細工や編み物のようなワークショップがあったり、レクリエーションがあったり、伝統や食育に触れるものがあったり、というものであった。
「あった」と過去形にしたのは、今はそうでないらしいからである。それまでのフェスティバルは、学校もPTAも準備が大変だったが、子供たちが毎年楽しみにしているから、大人たちも準備して催していた。
整形外科医をやっている今の会長が立候補で就任してから、彼の大好きな陸上イベントになったということである。とにかく体力測定や球技ばかりやって、準備が大変だからという理由で文化的なものがめっきり少なくなってしまった、とのことである。
とにかく、体力測定、体力測定の連続で、かつてPTAの報告会のようなところで保護者が「子供がフェスティバルがしんどくてもう嫌だ」と(半分笑い話で)言っていたという報告もあったらしい。
こういう話を聞くと、もう本当に誰のためのPTAかわからない。
次回練習日の教養講座は結局どうなったのか、このおかげで10月30日(金)の練習は中止である。合唱担当の方に聞いてみたところ、行事は本当に入っているが、名称が「教養講座」ではないという。「某さんを囲んでお話を聞く会」か何か、そういう名前らしい。座談会のような体であろうか。
まあ、敢えて意地悪に勘ぐってみるなら、合唱が嫌だからハッタリで教養講座をぶつけてみたものの、それも実行すると例年のパターンと異なるので本当に教養講座をここに移すのは都合が悪い。でも、何も行わずハッタリであったことがわかると、我々音楽陣の心証が悪くなる。これで合唱担当がキレてまた降りると言い出したら交歓会には出られなくなり、地域の「大人」に叱られる。とにかく誰か適当に呼んできて座談会をでっち上げて既成事実をしつらえた。
こんなところであろうか。
いずれにしても、前回と今回の練習で全く間に合う状況の出来ではなく、次週が休みで、その次が実質最後の練習日である。どう考えてもステージではグダグダの演奏をすることになる。
実は合唱をサボりたいPTAの連中なんかより、ずっと私のほうが合唱を投げ出して休みたくてたまらない。
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