学校との関係
ここの小学校の校長は「逃げの校長」と父兄やPTAの人からあだ名されているらしい。
これまでに書いた文章の印象では、PTAと校長がグルになって合唱を妨害しているような印象を受けたかもしれないが、PTAの幹部も学校もそれぞれ一枚岩ではない。各々が合唱回避策を考え、仲のいいもの同士で口裏を合わせている程度のようである。
それで校長のあだ名だが、面倒や厄介をとにかく回避するための処世術であるらしく、モンスターペアレントのような口やかましい親のいうことをひとまず受け入れて動いてしまうそうである。
(※この情報はあくまで伝聞である)
先代の校長は合唱に関して積極的でいろいろと介入していたらしいが、今の校長はまったく協力的ではない。
前年の合唱は大変に揉めたらしい。そのあおりを受けて、今年は合唱そのものに関わりたくないという父兄やPTAへのトラウマがあるような話を聞いた。
昨年はピアニストが見つけられなかったので、父兄でピアノの経験がある人にお願いし、そのために、以前にも書いた、8年くらいピアノ伴奏をしていた先生のところにもレッスンに行っていたそうである。ところが、どうしても指揮者が見つからなかった。そこで仕方なく校長が人伝に指揮者を連れてきた。
すると、指揮者が父兄みたいな一般人のピアノで指揮なんかできないようなことを言ったらしく、完全に紛糾した。結局、父兄の伴奏者は降板し、指揮者が連れてきた伴奏者で合唱をやったらしいが、父兄・PTA側との折り合いが悪かったことは容易に想像できる。
その指揮者の発言、特に父兄伴奏者の音を聴いたこともない段階での発言で、指揮者自身、声楽や指揮の専門家ではなかったそうである。
前年の合唱担当は完全にやる気をなくし、代わりに別の人が何とか取りまとめつつコーラス交歓会には出場したそうである。
こういう状態だから、前年の指揮者もピアニストも二度とこの学校とは関わりたくない、となり今年私にお鉢が回ってきたということである。
去年の今年で校長がますます関わりたくなくなるのは、何となく無理もないが、それ以前に、上述の性格と(おそらく)合唱への関心も薄い。
人が集まりにくい状況が状況なので、学校の先生からも有志で合唱に参加してもらえないか、ということを学校側に頼んだところ、校長からはPTAのことなので一切協力しないとの返答だったそうである。
今回のようなことがあって、筆者はインターネットでPTAについて触れたブログなどを検索していくつか読んでみた。実は今ここに書いているような事例(特定個人の四面楚歌、いじめのような行為)で、そのことを校長に泣きついた時、「PTAのことだから学校は関与しません」という言葉は、いくらでも出てくる。
何のためのPTAかよくわからない。子供の健全な教育のために教職員と親が連携するのがPTAかと思っていたが、どうやら違うらしい。
一時、合唱担当夫妻が合唱を降りるという悶着があったあとか、改めてお願いをしたところ、校長(男声)と教頭(女声)だけ参加することになった。
そうした経緯を聞いていて、練習が始まると、やはり校長は合唱に消極的である。校長はうつむいたりすることが多く、歌っているのかどうかよくわからなかった。
9月後半から校長は練習に姿を見せなくなった。
練習に出なくなったといえば、PTA会長も「モルダウ」を予告した練習には来ず、「栄光の架け橋」を予告した練習には姿を見せている。
ここの小学校の校長は「逃げの校長」と父兄やPTAの人からあだ名されているらしい。
これまでに書いた文章の印象では、PTAと校長がグルになって合唱を妨害しているような印象を受けたかもしれないが、PTAの幹部も学校もそれぞれ一枚岩ではない。各々が合唱回避策を考え、仲のいいもの同士で口裏を合わせている程度のようである。
それで校長のあだ名だが、面倒や厄介をとにかく回避するための処世術であるらしく、モンスターペアレントのような口やかましい親のいうことをひとまず受け入れて動いてしまうそうである。
(※この情報はあくまで伝聞である)
先代の校長は合唱に関して積極的でいろいろと介入していたらしいが、今の校長はまったく協力的ではない。
前年の合唱は大変に揉めたらしい。そのあおりを受けて、今年は合唱そのものに関わりたくないという父兄やPTAへのトラウマがあるような話を聞いた。
昨年はピアニストが見つけられなかったので、父兄でピアノの経験がある人にお願いし、そのために、以前にも書いた、8年くらいピアノ伴奏をしていた先生のところにもレッスンに行っていたそうである。ところが、どうしても指揮者が見つからなかった。そこで仕方なく校長が人伝に指揮者を連れてきた。
すると、指揮者が父兄みたいな一般人のピアノで指揮なんかできないようなことを言ったらしく、完全に紛糾した。結局、父兄の伴奏者は降板し、指揮者が連れてきた伴奏者で合唱をやったらしいが、父兄・PTA側との折り合いが悪かったことは容易に想像できる。
その指揮者の発言、特に父兄伴奏者の音を聴いたこともない段階での発言で、指揮者自身、声楽や指揮の専門家ではなかったそうである。
前年の合唱担当は完全にやる気をなくし、代わりに別の人が何とか取りまとめつつコーラス交歓会には出場したそうである。
こういう状態だから、前年の指揮者もピアニストも二度とこの学校とは関わりたくない、となり今年私にお鉢が回ってきたということである。
去年の今年で校長がますます関わりたくなくなるのは、何となく無理もないが、それ以前に、上述の性格と(おそらく)合唱への関心も薄い。
人が集まりにくい状況が状況なので、学校の先生からも有志で合唱に参加してもらえないか、ということを学校側に頼んだところ、校長からはPTAのことなので一切協力しないとの返答だったそうである。
今回のようなことがあって、筆者はインターネットでPTAについて触れたブログなどを検索していくつか読んでみた。実は今ここに書いているような事例(特定個人の四面楚歌、いじめのような行為)で、そのことを校長に泣きついた時、「PTAのことだから学校は関与しません」という言葉は、いくらでも出てくる。
何のためのPTAかよくわからない。子供の健全な教育のために教職員と親が連携するのがPTAかと思っていたが、どうやら違うらしい。
一時、合唱担当夫妻が合唱を降りるという悶着があったあとか、改めてお願いをしたところ、校長(男声)と教頭(女声)だけ参加することになった。
そうした経緯を聞いていて、練習が始まると、やはり校長は合唱に消極的である。校長はうつむいたりすることが多く、歌っているのかどうかよくわからなかった。
9月後半から校長は練習に姿を見せなくなった。
練習に出なくなったといえば、PTA会長も「モルダウ」を予告した練習には来ず、「栄光の架け橋」を予告した練習には姿を見せている。
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