気功法は危険な修行法a
「トレーニングの危険性というと?」「いわゆる荒行が危険なことは当然です が、実は瞑想法、呼吸法、座禅などの、ごくふつうの修行法も、やり方を間違 えると大変に危険なのです」昔から、廃人になったり、精神病になった例は数 多く報告されている。だから、この種の東洋的修行法は、必ずしっかりした指 導法で、確かな指導者について、十分に注意をして実行しなければならな い。精神面における指導や、戒律がしっかりしている伝統的な宗教なら、比 較的安全だろう。長い年月の淘汰に耐えて、指導法が工夫されてきた「気功 法」や「ヨーガ」の流れをくむ方法なら、おすすめできる。新興宗教の中には、 危険なものもかなりあるだろう。こういう危険性に言及しないで修行法だけを 解説した「気功法」や「ヨーガ」、「超能力」の本は、要注意だ。興味本位の低 俗な本を見て、独習するなどというのはもっての外だ。江戸時代の白隠慧鶴 (1685~1768)といえば、臨済宗を復興し、白隠禅と呼ばれる座禅の大き な流れを確立した人としてよく知られている。白隠は熱心に座禅の修行をした が、トレーニング法が悪かったらしく、ひどい「禅病」に見舞われた。
1757年 に発行された彼の著書「夜船閑話(やせんかんな)」に、そのあたりの詳しい記 述がある。「心火逆上し、肺金は焦枯し、両足は氷のよう、耳鳴りがひどく、肝 胆は脆弱になり、いつも恐れ、疲れはて、幻覚にさいなまれ、脇の下はいつ も生汗、両眼はいつも涙……」今日でいえば、強度の心身症、ノイローゼ、あ るいは原因不明の難病として、検査が繰り返されるかもしれない。白隠が30 歳前後のときのことだ。このとき彼は、白幽子という名前の「仙人」に会い、 「なんその法」と呼ばれる内観法を教わる。色も香りも良い清浄なクリーム状 の大きな卵が頭の上にあることをまず想像し、それがだんだん体全体に流れ て浸透していくイメージを頭の中で繰り返す。この方法により、彼の「禅病」は 全快したのみでなく、他の人の「禅病」やいろいろな病気の治療に効果があっ たと記述されている。ただし、これであらゆる「禅病」が治るわけではなく、救う ことができなかった場合の、修行者の精神的な心得などにも触れている。こ のことから、当時の座禅の修行者の中では「禅病」はかなり一般的であり、中 には治らないで一生苦しみ続けた者も多かったと推定される。「気功法」で は、トレーニングにより生じたる障害を「偏差(へんさ)」と総称する。その症状 は大変幅広く、簡単な分類は困難だが、その主なものを示す。
「トレーニングの危険性というと?」「いわゆる荒行が危険なことは当然です が、実は瞑想法、呼吸法、座禅などの、ごくふつうの修行法も、やり方を間違 えると大変に危険なのです」昔から、廃人になったり、精神病になった例は数 多く報告されている。だから、この種の東洋的修行法は、必ずしっかりした指 導法で、確かな指導者について、十分に注意をして実行しなければならな い。精神面における指導や、戒律がしっかりしている伝統的な宗教なら、比 較的安全だろう。長い年月の淘汰に耐えて、指導法が工夫されてきた「気功 法」や「ヨーガ」の流れをくむ方法なら、おすすめできる。新興宗教の中には、 危険なものもかなりあるだろう。こういう危険性に言及しないで修行法だけを 解説した「気功法」や「ヨーガ」、「超能力」の本は、要注意だ。興味本位の低 俗な本を見て、独習するなどというのはもっての外だ。江戸時代の白隠慧鶴 (1685~1768)といえば、臨済宗を復興し、白隠禅と呼ばれる座禅の大き な流れを確立した人としてよく知られている。白隠は熱心に座禅の修行をした が、トレーニング法が悪かったらしく、ひどい「禅病」に見舞われた。
1757年 に発行された彼の著書「夜船閑話(やせんかんな)」に、そのあたりの詳しい記 述がある。「心火逆上し、肺金は焦枯し、両足は氷のよう、耳鳴りがひどく、肝 胆は脆弱になり、いつも恐れ、疲れはて、幻覚にさいなまれ、脇の下はいつ も生汗、両眼はいつも涙……」今日でいえば、強度の心身症、ノイローゼ、あ るいは原因不明の難病として、検査が繰り返されるかもしれない。白隠が30 歳前後のときのことだ。このとき彼は、白幽子という名前の「仙人」に会い、 「なんその法」と呼ばれる内観法を教わる。色も香りも良い清浄なクリーム状 の大きな卵が頭の上にあることをまず想像し、それがだんだん体全体に流れ て浸透していくイメージを頭の中で繰り返す。この方法により、彼の「禅病」は 全快したのみでなく、他の人の「禅病」やいろいろな病気の治療に効果があっ たと記述されている。ただし、これであらゆる「禅病」が治るわけではなく、救う ことができなかった場合の、修行者の精神的な心得などにも触れている。こ のことから、当時の座禅の修行者の中では「禅病」はかなり一般的であり、中 には治らないで一生苦しみ続けた者も多かったと推定される。「気功法」で は、トレーニングにより生じたる障害を「偏差(へんさ)」と総称する。その症状 は大変幅広く、簡単な分類は困難だが、その主なものを示す。
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