あ・し・あ・と・・

ボチボチと・・ 山歩き

二上山 山頂にて、 恒例の鍋宴会

2020年01月13日 | 2020年 山歩き

 麓のふるさと公園より 二上山


 山頂で ラーメン鍋、 八名の登山グループと 10匹ワンちゃんとご主人様 サプライズでもう一人プラス。



 山頂広場 成人の日の祭日で 老若男女・親子や仲良しグループなどなど賑わっています。

 三角点



 アセビの花の蕾がたわわに成長してます


 遊歩道は サザンカの花びらで 赤い絨毯のようです





 馬の背のような 樹林帯の尾根道



 今日のルートはいつもと違い 雄岳をトラバース気味に いきなり雌岳へ



 二上山登山口です


 麓の 二上山神社でとんどの火で竹筒で癇をしたお神酒を頂戴し 家内・登山安全祈願


天王山 山頂へ

2020年01月06日 | 2020年 山歩き







 ” 宝 積 寺 ”



 山頂から 周回しつつ宝積寺へ




 天王山頂と三角点



 頂上付近は広場になっており 子どもたちや老若男女それぞれに 小春日和の昼盛りを満喫





 小倉神社の参道横にも 天王山への登山口があり 
 木の根道 樹林帯の 急斜面を一気に登ります。 天王山ハイキング道に合流



 小倉神社にて おやつタイム



 多方面への分岐がある、 峠です。 
 山頂は後のたのしみに取り置き、 小倉神社へと九十九折に下ります。
 急下りと滑りやすい赤土道を慎重に足を運びます。





 酒解神社





 快晴の空のした 汗ばみつつ天王山ハイキングコースを進みます。



 本日は 令和二年の初歩きです。 
 新年初の集合。 下山後は メンバーさんのお宅で 新年会です。
 よって山での昼食なしで二往復位の上り下り周回コースを歩きました。
 ( 因みに、猪鍋と 各種アルコールの飲み放題の豪華 新年宴会です。)

令和二年 初歩き

2020年01月06日 | 2020年 山歩き
 
 


 展望台から眺め

 ” 秀吉の道 ”
 【山崎(天王山)の戦い】秀吉vs光秀 山崎で激突!
 豊臣秀吉<羽柴秀吉>と明智光秀の決戦は、山崎の地で行われたため「山崎の戦い」と呼ばれるようにありました。
 この山崎の戦いの中で、局地戦となった天王山の戦いがあります。
 このため、秀吉と光秀の戦いを天王山の戦いと呼ばれることもありました。
  山崎の戦いは、兵力の差も加わり秀吉の圧勝に終わりました。
 この戦いの中でも、黒田兵衛の策が功を奏します。
 備中高松城攻めで毛利と講和した際、秀吉軍に毛利軍の旗を譲ってもらいました。
 山崎の戦いの際、毛利軍の旗を掲げる事で、秀吉には毛利が味方していると思わせる事に成功しました。
 敗戦濃厚となった光秀は本陣とした勝竜寺城を密かに脱出して居城である坂本城を目指しました。
 しかしながら、落ち延びる途中で京都市伏見区にあたる小栗栖で、落ち武者狩に出会い竹槍に刺されて絶命したと伝わっています。
















 コース
 JR山崎駅 … 登山口 … 展望所 … 小倉神社 (神社からの登山口) … 天王山山頂 … 登山口 … JR山崎駅  

津和野街道をドライブ

2013年04月08日 | 2020年 山歩き




 樹齢800年の一本杉



 中国地方では唯一ダムのない清流・高津川の水源地です。


 池の、 カキツバタ


 田野原は荷物の集荷場所、つまり問屋の集まる村で大変発展していた地域、
 江戸時代には宿場の一つとして賑わったようです。
 頼杏坪(らいきょうへい)も田野原に宿泊と書いています。
 和紙や林業や農業の産品、遠くは広島から塩なども運ばれていたことでしょう。
 八丁八反八畝八歩は湿地帯を水田として利用していたようです。
 従って地元の人は最近整備を行うまでは、大きな農機具は入れなかったと言われます。
 また津和野のお殿様の自慢の一つであったとも言われます。

 資料館












    
 蔵木の カタクリの里
 中国山地の山間部で冬は雪が多いところです。
 しかし、この場所のカタクリの花は開花が早いそうで、
 一週間前くらいが満開で、この斜面がピンク色に染まっていたそうです。
 母は 初めてカタクリの花を見たそうで 『可愛い花だね!』と目を細めてました