一部のあまり良くない宗教でも、どんな事でも人は何故にそこまで良くない事にハマってしまうのかという問題があります。
一般的にはアルコール依存症やギャンブル、負の借金もありますし、悪い異性にもハマって抜け出せない人もいます。
良い事ならハマったらいいでしょうが、社会の中ではハマらない方が良い事もたくさんあります。
その人がそれに対して依存になった時に身の破滅が起こりますね。
また本人が破滅するだけでなくて家族まで巻き込むと一家破滅となります。
(シマネスイート)
心とは別に意識がありますが、心で思うだけならコントロールは出来ますので大丈夫ですが
その思いが意識までいってしまった場合は本人がコントロール出来なくなりますので、簡単には抜け出せなくなるのではないかと思います。
思いが意識までいくというのは、思いが繰り返されて心にインプットされると次第にその思いは意識下まで入り込んでしまうと考えます。
意識はその人の根底の部分ですから、日ごろに繰り返された考えや思い、習慣なども無意識のうちに意識下に入り込んでいますので
それはその人の人生のナビゲーションとして働いてしまう怖さがあります。
良い習慣や思い、考えなら意識下入り込めばその人の人生をいい方向へ運ぶと考えますのでいいのですが、
その人をマイナスに運ぶ事柄は習慣化してはマイナスの方に人生を運んでしまいます。
人はどういう時に心の隙が出来るのかという事なんですが、
やはり人生が上手く行かない時、大きな病気、自分自身や家庭内の大きな問題が起こった時に、心のキャパを超えてしまうので
その心の重い荷物である問題をどこかに預けたくなる心理が働くと思います。
それが一部の悪い宗教だったり、アルコールだったり、ギャンブルだったり、悪い異性だったりと、
たまたまその人の目の前に現れた事柄に心が向いていきます。心が弱っている時は大変な事より楽に出来る事を選ぶと思います。
それが心のつかの間の救いとなる為に次第にハマって
ついには依存症となって破滅してしまいます。一部の良くない宗教は、宗教内の人達や環境内にどっぷりと入りこませるようになっています。
その宗教外の人間関係を作らせないように囲い込ませるので、外の情報が入り込めなくなる為ニュートラルな判断が出来ない環境になってしまうのだと思います。
人は一つの物事にハマると心がそこに真っすぐに向かい他の事柄に目が行かなくなる危険が潜んでいる事さえ気がつきません。
何かにハマった時に、自分自身や自分の家族までも幸せになれているのかを考えた方が良いと思います。
自分はもちろんのこと、家族まで不幸になるなら、それはハマっている事柄が良くないという答えだと思います。
そういう依存状態から抜け出すにはそこから先ずは離れる事が必要だと思います。難しいでしょうけれどね。