飯塚事件 その2
事件本人(久間三千年氏)が、犯人であることについて
合理的な疑いを超えた高度の立証がされているとするのは、
下記の4通りである。
1.犯人が被害者両名を略取、又は誘拐に利用した車は、
事件本人(久間三千年氏)の車である。
(1)目撃者による車の特徴は、福岡県内で運行可能車は127台、
使用者は合計130名(借用し運転する者は除く)
その内、血液型がB型の者は事件本人(久間三千年氏)を含め
21名であった。又、似通った車は299台で、飯塚警察署管内の
使用者は、28名であった。
この結果をもって、犯人が事件本人(久間三千年氏)であるとされた。
(福岡地裁 再審判決文 第3の(4)のイのc)
(2)しかし、事件本人(久間三千年氏)の血液型はB型ではあるが、
犯人の血液型はAB型であり、以下の通り証明される。
(科警研が実施した鑑定)MCT118型鑑定(試料は100回分あった。)
ア、被害者V1(A子(A田)) DNA型鑑定
資料(2) DNA 16型、23型、27型のバンドが検出される。
(A子は23-27型であり、犯人は16型である。)
資料(3) DNA(A子(A田))16型、23型、26型、27型のバンドが検出される。
(A子は23-27型であり、犯人は16型、26型である。)
イ、被害者V1(A子(A田)O型) 血液型鑑定
資料(2)及び(3) (ABO式)
O型、B型の血液と、A型ないしAB型の血液の混合したものが
検出される。
ウ、上記1.の(2)のアにおいて、資料(2)及び(3)から、
V2(B子(B山)A型)のDNAは検出されていない。
よって、上記1.の(2)のイにおいて、犯人の血液型はAB型である。
(但し、石山教授によるミトコンドリアDNA型鑑定より、
資料(3)(A子の膣周辺付着物)から、V2(B子)の型が検出されているから、
V1(A子)の資料(3)を除いた資料(2)(A子の膣内客物)から
犯人は血液型がAB型であると確定した。
エ、しかし、上記ウ、の資料(3)における石山教授の鑑定は、再審最高裁に
よって科警研に於いて先行して実施された、MCT118型鑑定等で多く
消費され、かつ状態が極めて不良となっていた。
よって、石山教授の鑑定結果は、証拠採用されていない。
ゆえに、V1(A子(A田))の資料(2)及び(3)から、犯人の血液型は
AB型であると確定される。
オ、筑波大学の本田教授の鑑定(資料(1)木の枝に付着の血痕のようなもの。)
資料(2)及び資料(3)には被害者B山のMCT118型のいずれのバンドも
増幅されていないから、被害者B山の血液が資料(2)及び資料(3)に
混合していた可能性は完全に否定される。
また、資料(1)ないし(5)が混合資料であるとしても、
資料(2)ないし資料(5)に共通している第三者の型はAB型しかない。
したがって、全ての血液型検査の結果を矛盾なく説明できる
犯人の血液型は、犯人が1人であるとすれば、AB型である。
(福岡地方裁判所 再審判決文 第3の(2)のイの(ア)のc)
カ、目撃者による犯人の血液型はB型であるとして、
犯人の所有車を探しても何の意味もなさない。
この行為が「合理的な疑いを超えた高度の立証がされている」と
裁判官らは判示したのである。
キ、以上 アないしエは、福岡地方裁判所 再審判決文 第3の
(2)のアの(イ)のdとeに 記載されている。
2.事件本人(久間三千年氏)の車から、V1(A子)の血液型 O型と、
(DNA)TH01型とPM法によりGc型について、Cのホモが検出された事について
(1)事件本人(久間三千年氏)の車は昭和58年7月に、新車販売されたものをS田が購入し、
S田が約6年間使用した後、平成元年の9月末日頃、
事件本人(久間三千年氏)が購入し使用されていたものである。
事件本人(久間三千年氏)は約3年間使用した後、新車を購入する為、
下取車として、平成4年9月26日に業者に引き取らせたものである。
引き取らせた車は、週2回水洗いをしたり、車内を清掃したと公判で証言している。
この車を捜査機関が押収したものである。(一審判決 六の2の(一)の(1)ないし(4))
(2))一審判決 六の1の(一)ないし(四)
ア、捜査機関は押収した車を、平成4年9月28日及び同年10月5日迄鑑定した所、後部座席及び
その付近のフロアマットから尿反応及び血液反応が認められたが、それ以外の部分から反応が認められなかった。
イ、平成4年10月6日から平成5年3月17日迄の間の鑑定で、O型血液痕の
付着を検出したが、DNAは検出できなかった。
ウ、平成6年5月23日から同年12月8日 大血痕が検出され、血液型A子と同じO型及び(DNA)は、
TH01とPM法によりGc型について、Cのホモが検出されたのである。
(車を押収してから2年以上もたったのである。)
(3)
ア、日本国民の30%は血液型はO型とされており、事件本人(久間三千年氏)の妻、長男、
実母及び義母、更に実弟の家族4人、全員の血液型がいずれもO型であると、
事件本人(久間三千年氏)は公判で証言している。(福岡地裁判決文 六の5,)
イ、筑波大学 本田教授は、「事件本人(久間三千年氏)の車内からPM法のGC型の血痕が検出された事を
状況事実として認定するが、GC型のアレルは3種類しかなく、その証明力は著しく低いものであって、
これを状況事実として挙げるのは全く非科学的である。」と、主張している。
(再審 福岡高等裁判所 判決文)
ウ、上記イ、に対して、裁判官は
PM法に関して、血痕の血液型が被害者A田と同じO型であることと並列する形で
GC型も被害者A田と同じであることを状況事実として指摘しているのであるから、
アレルが3種類しかなく(約16人に1人検出される(福岡高等裁判所 判決文第2の七)、
それ自体の証明力に限度はあるものの、両者相俟って推認力は強まっている。
(再審 福岡高等裁判所 判決文)
エ、上記ウ、に対して、愛媛大学准教授 関口和徳氏は、「血痕や尿痕がV1(A子)のものであることが
証明されているわけではないのである。
本決定は、 「証明が薄いかまたは十分でない状況証拠」の「量的[な]積み重ね」による
誤判の危険を軽視するものといえないか、なお疑問の余地があり得よう。」
(TKC ローライブラリー 4頁)
オ、上記(1)ないし(3)における事件本人(久間三千年氏)の車を
検査したとこで、犯人の血液はAB型であり、事件本人(久間三千年氏)の血液は
B型であるので、いかなる証拠が出ようが、事件本人(久間三千年氏)は犯人ではないのである。
被害者に付着していた繊維についても同様である。
このような事実が合理的な疑いを超えた高度の立証がなされているとは、到底言えるものではない。
3.事件本人(久間三千年氏)の車の目撃証言
①被害者の遺体が見つかった場所の近く、八丁峠という山の中のカーブの崖下か
ら被害者の遺留品、ランドセルとか着衣等が発見されるわけですけれども、その
発見現場近くで、不審な車と人を見たという目撃証言があります。その車が、久
間さんが所有していた車と酷似しているという、そういう証拠が有罪認定の柱と
されたわけです。
目撃者とされるTさんという方が、事件19日後の3月9日付の警察官に対して
述べた員面調書に、車と人の特徴が出てきます。車の特徴として9項目、
不審人物の特徴として8項目、不審人物の動き2項目、合計19項目、
これだけ詳細に不審な車と人を見たという供述書が出来上がっていて、
これが有罪認定の有力な柱にされたのです。
目撃証言の内容(事件19日後の3月9日供述調書)
不審者の特徴
1 ナンバーは不明
2 標準タイプのワゴン車
3 メーカーはトヨタや日産ではない
4 やや古い型
5 車体は紺色
6 車体にはラインは無かった
7 後部タイヤはダブルタイヤ
8 後輪のホイルキャップの中に黒いラインがなかった
9 窓ガラスは黒く車内は見えなかった
不審人物の特徴
1 頭の前の方が禿げて
2 髪は長めで分けて
3 上衣は毛糸で
4 胸はボタン式
5 薄茶色の
6 チョッキで
7 その下は白いカッターの長袖シャツ
8 年齢は30~40歳
不審人物の動き
1 右の雑木林の中から出て来て
2 慌てて前かがみになって滑った
弁護士の主張
「そうすると、誰かがその情報をいれたとしか考えられない。それは、その時に誰がいたかというと、
証人の記録を作った警察官しかいないのですから、警察官が誘導したとしか考えざるを得ない。
なんで、じゃそのここで、コンマ何秒通ってそれだけのことが記憶できるのか、
証明してほしいです。できないですよ。」
②T田は、目撃後19日目である平成4年3月9日の時点で、警察官に対し、
「この車の車両番号はわかりませんが、普通の標準タイプのワゴン車で、
メーカーはトヨタやニッサンでないやや古い型の車体の色は紺色、
車体にはラインが入ってなかったと思いますし、確か後部タイヤがダブルタイヤであった。
更にタイヤのホイルキャップの中に黒いラインがあったと思います。
このダブルタイヤとは、後部タイヤが左右2本ずつの計4本ついているタイヤのことです。
車の窓ガラスは黒く、車内は見えなかったように思いますので、ガラスにフィルムを
はっていたのではないかと思います。」(甲724)と、ほぼ公判供述と同様の供述していることが認められる。
この時点では、T田が被告人車を見せられていないことは明らかであるから、T田の前記公判供述のうち、
右供述と合致する部分については、T田が当初から一貫して供述しているという点からも十分に信用することができる。
これに対して、T田の公判供述のうち、「サイドモールはあったように思う。」という部分と、
「ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた。」という部分については、
前記のとおり被告人車を見せられたことによって記憶が変容した可能性を否定し去ることはできない。
さらに、T田は、目撃した人物の特徴についても、平成4年3月9日の時点で警察官に対し、
「この男の人相は、頭の前の方が禿ていたようで、髪は長めで分けていたと思うし、
上衣は毛糸みたいで、胸はボタンで止める式のうす茶色のチョッキで、チョッキの下は
白のカッター長袖シャツを着ておりました。その感じから年齢は30ないし40歳位と思います。」
(甲724)と供述しているのであるから、これと同旨の公判供述は十分に信用することができる。
③このT供述は、記憶の法則に著しく反しています。
日大の厳島教授によって行われた行動心理学の実験は、
T証人が目撃したという現場に、停止車両と人間を配置して、
のべ90人近く被験者に、車を運転しながら通行してもらって、
運転終了後、どれだけの事実を目撃したか再現してもらいました。
T証人のような目撃事実を再現できた人は一人もいませんでした。
④嚴島第2次鑑定書の内容の要旨
嚴島第2次鑑定書は、嚴島教授による「いわゆる飯塚事件におけるT氏の目撃供述の
信用性に関する心理学鑑定書」[確定控訴審弁第70号証、以下「嚴島第1次鑑定書」といい、
同鑑定書の基礎資料とされたフィールド実験(再現実験)を「第1次実験」という]について
確定控訴審判決で指摘された問題点、すなわち、
①嚴島第1次鑑定は、厳冬期と異なり、車の往来の激しい4月の桜開花期に行われており、
停車車両に不審を抱かせるような厳冬期の目撃状況とは、そもそも全く条件が異なること、
②目撃された車両が、後輪がダブルタイヤであり、前輪と後輪の大きさが異なると
されているにもかかわらず、通常の車両の後輪にもう1個同じ大きさの車輪を重ね合わせたに
過ぎなかったため、タイヤの違いに気付くことが困難な状態で実験をしていること、
③特に、実験時には、対向してきてすれ違う通行車両が、平均して約30秒に1台の割合で存在していたことが
認められる以上、対向車との安全に注意を向けることが必要になり、
途中で停車している車両についての注意、関心が弱まるばかりか、
他の車両についての類似の記憶が入り込むことになって、道路脇にたまたま停止している
車両の細部についての記憶を保持しにくくなることを考慮して、
条件変更を行った上で、T田の目撃状況の再現実験を行ったものである。
その実験結果について、嚴島第2次鑑定書は、被験者について、目撃した車両及び
人物のいずれについても、T田のような詳細な記憶は喚起されなかったことに加え、
被験者のうち15名には、T田より記憶遂行が優れるように「対象車両やその前後に注目する」旨の教示を与えたが、
そのような被験者ですら、T田のような詳細な車の説明ができなかったとしている。
そして、同鑑定書は、T田の記憶は、同人の直接体験したことの記憶を超えて、
他に情報源があるとしか考えようがなく、捜査側の意図されていない情報提供や、
T田が目撃現場以外の場所で得た情報などが誤って目撃の記憶となったと推察されるとし、
T田の目撃供述は誤った記憶であると断言せざるを得ない旨を結論としている。
しかし、第2次実験の条件においても、以下に述べるように、いまだ重要な点で、
T田が実際に不審車両を目撃した条件とは異なっており、第2次実験の結果をもって
T田供述の正確性に疑問が生じるということはできない。
すなわち、T田は、不審車両を目撃した当時、その従事する仕事の関係で、
八丁峠に向かう国道322号線を運転することがあり、実際、平成4年2月には、
20日以外に12日にも目撃現場付近を通行したことがあったものである。
また、T田が不審車両を目撃した際に運転していた車両は、T田の勤務先が保有する車両であり、
T田にとって乗り慣れていると考えられるものであった。
これらの事情は、T田が不審車両を目撃した現場付近の道路において安全に車両を運転するために
用いる注意力の程度が、この道路を初めて運転する者よりも低いもので足り、
反面で、T田が、運転とはかかわりのない周囲の状況に、より注意を向けることが可能であることを
示す事情といえる。また、T田が目撃現場付近の道路を運転することがあったとの事実は、
道路やその付近の状況が普段と異なるときに、普段とは異なるものとして
注意を向け易いということにも結び付くものである。
コメント
車を運転する者は、道路の中心付近を見ながら運転するのが常識である。
まして、曲がりくねった峠のカーブの外側に駐車してあった車と、
外にいた人間の特徴とその行動に目が行くのは、1秒間も無いと厳島先生は言う。
1秒間も無い時間に、19項目もの詳細な特徴を記憶できる人間は、誰一人としていないであろう。
このような事実が合理的な疑いを超えた高度の立証がなされているとは、到底
言えるものではない。
4,被告人に犯行の機会があったこと(アリバイが成立しないこと)について
①被告人は、本件当時の生活状況について、次のような供述をしている(乙5被告人31回等)。
平成4年2月当時、福岡県飯塚市(中略)所在の自宅で、妻C子及び潤野小学校2年に
在学していた長男C男との3人暮らしをしており、自分は就職せずに家事を分担し、
消防署職員である妻の収入や自己の年金で生活していた。平日は、毎朝被告人車を運転して
妻を職場まで送り届けていた。午前8時前後ころ自宅を出ていた。その際、時には、
長男も一緒に被告人車に乗せて潤野小学校前まで送り届け、続いて妻を送ることもあった。
その場合の経路は、いくつか決まったものがあった。その後は自宅に戻り、寄り道したり、
外出したりしても、午後1時ころまでには必ず家にいるようにしていた。
長男は、だいたい午後3時ころに学校から帰ってきた。そして、夕方5時前になると、
被告人車を運転して、妻を職場まで迎えに行くことにしていた。
②ところで、捜査官が被告人の供述に基づいて、被告人が長男を潤野小学校で降ろして
妻を職場まで送るのに主に通っていた2通りのコースを平日に走行してみたところ、
その経路は被害児童の通学路と一部重なっており、妻の職場に午前8時18分過ぎに到着し、
その帰路に被害児童が最後に目撃されたE村方三叉路付近を通過する時間を測定すると、
午前8時28分ころとなった(甲566、567)。
したがって、被告人が妻を職場に送り届けて帰宅する途中、E村方三叉路付近を通過する時間は、
被害児童が同所付近で略取又は誘拐された時間とほぼ一致する。
さらに、被告人は、妻を送り届けた後、長男が学校から帰ってくる午後3時ころまでの間は、
1人で自由に行動することができるところ、潤野小学校から死体遺棄現場まで
自動車で往復しても2時間まではかからない。そうすると、被告人には、家族らに
気付かれることなく本件犯行をする機会が十分にあったことが認められる。
③これに対して、被告人は、本件犯行当日である平成4年2月20日の行動について、
公判で、「この日は、午前7時55分過ぎころ、被告人車に妻を乗せて被告人方を出発し、
午前8時10分ころ、妻を職場まで送り届け、その足で福岡県山田市内の実母方に米を届けに行き、
午前10時05分ころまでの間、実母方で実母と話をするなどして過ごし、実母方から自宅に戻る途中、
午前10時20分ころから午後0時30分ころまでの間、パチンコ店でパチンコをして遊んだ後、
午後1時ころ、被告人方に戻った。その後、長男が学校から帰ってきた。
午後5時前ころ、被告人車を運転して、息子と一緒に妻を職場まで迎えに行き、
そのまま家族3人で外食をして、午後7時過ぎころ、被告人方に帰り着いた。」などと供述している(31回)。
この供述のうち、妻C子を職場まで送った後、まっすぐ実母方まで米を届けに行き、
その後パチンコをして、午後1時ころ自宅に戻ったという点については、
本件のアリバイとなり得るものであるから(以下、同部分を「アリバイ」という。)、その信用性について検討する。
まず、被告人のアリバイを直接に裏付ける証拠は全くない。被告人の実母久間C美は、
期日外尋問において、「山田に住んでいたころ、月に一度の割合で被告人が米を持ってきていた。
被告人は妻子を送ったその足で来ていた。」旨、一部被告人の右供述に沿う供述をしているが(125項以下)、
平成4年2月20日に被告人が米を持って来たかどうかという点については全く記憶がないことが明らかであるから(289項)、
同女の供述は被告人のアリバイを直接に裏付けるものではない。
次に、被告人のアリバイを間接的に裏付ける証拠として、被告人の妻C子は、公判で、
「本件当時、毎月19日に知人から米を買い、翌日に被告人がその一部を実母方に届けていた。
自分も一緒に行きたいと話していた。平成4年2月20日の朝、被告人が車に米を積んでいるのを見て、
この日の仕事帰りに一緒に実母方に行くものと思っていた。
それで、夕方、職場まで迎えに来た被告人に対して、「果物を買っておばあちゃんの家に行こう」と
言ったところ、被告人が、「米はもう持って行った」と言った。
冗談かと思ったが車内に米はなかった。」などと供述している(28回421項以下、29回536項以下)。
しかし、妻C子は、捜査段階では、警察官に対して、「19日ころ米を買ってすぐに被告人の
実母方に届けていたので、事件当日の前後ころだったと思うが、夜、果物でも買って一緒に米を
届けに行こうという話を被告人にして、それから何日経ったとかは覚えていないが、
帰宅途中の車内で「今から果物でも買って行こう」などと言うと、被告人が
「もう持って行った」と言ったことを思い出した。」と供述しており(甲720)、
仕事帰りに被告人の実母方に行こうとしたのが2月20日であると特定して供述していない。
妻C子は、公判で、19日に米を買ってその翌日ということで20日と思い出したというのであるが(29回758項以下)、
それが事実であれば、既に捜査段階でも19日ころに米を買っていたという供述をしているのだから、
捜査段階で20日と特定できたはずである。しかも、毎月19日に買っていたというのは被告人から
そのように聞いていたというだけで、前後にずれることがあるかどうかは分からないというのである(29回882項以下)。
これらのことからすると、妻C子が、捜査段階では思い出せなかった20日という日付を公判で特定できた理由は
不明といわざるを得ないから、この点に関する同女の公判供述はたやすく信用できない。
さらに、被告人のアリバイに関する供述には、以下のとおり捜査段階と公判段階とで変遷が認められる。
すなわち、被告人は、公判で、妻を職場に送った後、まっすぐ実母方に向かった経路について
詳細に供述している(31回96項以下)。しかし、被告人は、捜査段階では、警察官に対して、
妻を送った後、午前8時30分ころ帰宅し、それから実母に米を届けに行ったと供述しており(乙2)、
いったん帰宅したという点で明らかに異なる供述をしていたものである。
また、被告人は、事件当日の行動を思い出した時期について、公判では、「2月25日ころ、森永刑事が
自宅に来た後で考えて思い出した。3月18日に福田係長(警察官)が自宅に来たとき、
実母方に米を届けたというアリバイがあることを言って、福田係長の前で実母に電話もかけたが、
親族の証言ではだめだから、ポリグラフ検査を受けるように言われた。3月20日にポリグラフ検査を受けたところ、
翌21日、福田係長が自宅に来て、「アリバイは要らない、120パーセント白だ。」と断言した。」
などと供述している(33回108項以下、273項以下)。しかし、被告人は、捜査段階では、検察官に対して、
「3月18日に福田係長と一緒に来た井上刑事から、「アリバイがあればポリグラフ検査は不要です。
ただ、家族の証言ではだめです。」と言われたが、事件当日の行動をすぐには思い付かなかったため、
アリバイの代わりにポリグラフ検査を受けることにした。3月20日にポリグラフ検査を受けた後、
アリバイについてじっくり考えてみた結果、当日の行動を思い出した。」と供述していた(乙122)ものであって、
事件当日の行動を思い出した時期についても、公判供述とは異なる供述をしている。
さらに、事件当日の行動を思い出したきっかけについても、公判では、「森永刑事が帰った後で、
あの日は何をしていたのかなあと思って思い出した。妻とは事件の話をしていないので、
妻と話し合っているうちに思い出したということはない。」と供述している(33回292項以下)のに対して、
捜査段階では、「妻から事件当日のことではないかということでいくつか聞いた中の1つに、
夕方、妻を迎えに行き、妻が車に乗り込むときに「米持って行った(か)」と聞いたら、
「持って行った」と答えたということがあって、その話を聞いて思い出した。」旨
異なる供述をしているのである(乙122項)。このように、被告人のアリバイに関する供述は、
その内容、アリバイを思い出した時期とその契機について、いずれも捜査段階と公判段階とで
変遷しており、アリバイを裏付ける証拠もないのであるから、信用できない。
よって、被告人にアリバイは成立しない。
コメント
人間の記憶は時にはちぐはぐになることもあり、上記のアリバイの主張は、特別おかしなものとは言えない。
又、この事実が合理的な疑いを超えた高度の立証がなされているとは、到底言えるものではない。
この事件は、最高裁の法服を羽織った裁判官らが、無実の人間を絞首刑にした
殺人事件である。
続く
事件本人(久間三千年氏)が、犯人であることについて
合理的な疑いを超えた高度の立証がされているとするのは、
下記の4通りである。
1.犯人が被害者両名を略取、又は誘拐に利用した車は、
事件本人(久間三千年氏)の車である。
(1)目撃者による車の特徴は、福岡県内で運行可能車は127台、
使用者は合計130名(借用し運転する者は除く)
その内、血液型がB型の者は事件本人(久間三千年氏)を含め
21名であった。又、似通った車は299台で、飯塚警察署管内の
使用者は、28名であった。
この結果をもって、犯人が事件本人(久間三千年氏)であるとされた。
(福岡地裁 再審判決文 第3の(4)のイのc)
(2)しかし、事件本人(久間三千年氏)の血液型はB型ではあるが、
犯人の血液型はAB型であり、以下の通り証明される。
(科警研が実施した鑑定)MCT118型鑑定(試料は100回分あった。)
ア、被害者V1(A子(A田)) DNA型鑑定
資料(2) DNA 16型、23型、27型のバンドが検出される。
(A子は23-27型であり、犯人は16型である。)
資料(3) DNA(A子(A田))16型、23型、26型、27型のバンドが検出される。
(A子は23-27型であり、犯人は16型、26型である。)
イ、被害者V1(A子(A田)O型) 血液型鑑定
資料(2)及び(3) (ABO式)
O型、B型の血液と、A型ないしAB型の血液の混合したものが
検出される。
ウ、上記1.の(2)のアにおいて、資料(2)及び(3)から、
V2(B子(B山)A型)のDNAは検出されていない。
よって、上記1.の(2)のイにおいて、犯人の血液型はAB型である。
(但し、石山教授によるミトコンドリアDNA型鑑定より、
資料(3)(A子の膣周辺付着物)から、V2(B子)の型が検出されているから、
V1(A子)の資料(3)を除いた資料(2)(A子の膣内客物)から
犯人は血液型がAB型であると確定した。
エ、しかし、上記ウ、の資料(3)における石山教授の鑑定は、再審最高裁に
よって科警研に於いて先行して実施された、MCT118型鑑定等で多く
消費され、かつ状態が極めて不良となっていた。
よって、石山教授の鑑定結果は、証拠採用されていない。
ゆえに、V1(A子(A田))の資料(2)及び(3)から、犯人の血液型は
AB型であると確定される。
オ、筑波大学の本田教授の鑑定(資料(1)木の枝に付着の血痕のようなもの。)
資料(2)及び資料(3)には被害者B山のMCT118型のいずれのバンドも
増幅されていないから、被害者B山の血液が資料(2)及び資料(3)に
混合していた可能性は完全に否定される。
また、資料(1)ないし(5)が混合資料であるとしても、
資料(2)ないし資料(5)に共通している第三者の型はAB型しかない。
したがって、全ての血液型検査の結果を矛盾なく説明できる
犯人の血液型は、犯人が1人であるとすれば、AB型である。
(福岡地方裁判所 再審判決文 第3の(2)のイの(ア)のc)
カ、目撃者による犯人の血液型はB型であるとして、
犯人の所有車を探しても何の意味もなさない。
この行為が「合理的な疑いを超えた高度の立証がされている」と
裁判官らは判示したのである。
キ、以上 アないしエは、福岡地方裁判所 再審判決文 第3の
(2)のアの(イ)のdとeに 記載されている。
2.事件本人(久間三千年氏)の車から、V1(A子)の血液型 O型と、
(DNA)TH01型とPM法によりGc型について、Cのホモが検出された事について
(1)事件本人(久間三千年氏)の車は昭和58年7月に、新車販売されたものをS田が購入し、
S田が約6年間使用した後、平成元年の9月末日頃、
事件本人(久間三千年氏)が購入し使用されていたものである。
事件本人(久間三千年氏)は約3年間使用した後、新車を購入する為、
下取車として、平成4年9月26日に業者に引き取らせたものである。
引き取らせた車は、週2回水洗いをしたり、車内を清掃したと公判で証言している。
この車を捜査機関が押収したものである。(一審判決 六の2の(一)の(1)ないし(4))
(2))一審判決 六の1の(一)ないし(四)
ア、捜査機関は押収した車を、平成4年9月28日及び同年10月5日迄鑑定した所、後部座席及び
その付近のフロアマットから尿反応及び血液反応が認められたが、それ以外の部分から反応が認められなかった。
イ、平成4年10月6日から平成5年3月17日迄の間の鑑定で、O型血液痕の
付着を検出したが、DNAは検出できなかった。
ウ、平成6年5月23日から同年12月8日 大血痕が検出され、血液型A子と同じO型及び(DNA)は、
TH01とPM法によりGc型について、Cのホモが検出されたのである。
(車を押収してから2年以上もたったのである。)
(3)
ア、日本国民の30%は血液型はO型とされており、事件本人(久間三千年氏)の妻、長男、
実母及び義母、更に実弟の家族4人、全員の血液型がいずれもO型であると、
事件本人(久間三千年氏)は公判で証言している。(福岡地裁判決文 六の5,)
イ、筑波大学 本田教授は、「事件本人(久間三千年氏)の車内からPM法のGC型の血痕が検出された事を
状況事実として認定するが、GC型のアレルは3種類しかなく、その証明力は著しく低いものであって、
これを状況事実として挙げるのは全く非科学的である。」と、主張している。
(再審 福岡高等裁判所 判決文)
ウ、上記イ、に対して、裁判官は
PM法に関して、血痕の血液型が被害者A田と同じO型であることと並列する形で
GC型も被害者A田と同じであることを状況事実として指摘しているのであるから、
アレルが3種類しかなく(約16人に1人検出される(福岡高等裁判所 判決文第2の七)、
それ自体の証明力に限度はあるものの、両者相俟って推認力は強まっている。
(再審 福岡高等裁判所 判決文)
エ、上記ウ、に対して、愛媛大学准教授 関口和徳氏は、「血痕や尿痕がV1(A子)のものであることが
証明されているわけではないのである。
本決定は、 「証明が薄いかまたは十分でない状況証拠」の「量的[な]積み重ね」による
誤判の危険を軽視するものといえないか、なお疑問の余地があり得よう。」
(TKC ローライブラリー 4頁)
オ、上記(1)ないし(3)における事件本人(久間三千年氏)の車を
検査したとこで、犯人の血液はAB型であり、事件本人(久間三千年氏)の血液は
B型であるので、いかなる証拠が出ようが、事件本人(久間三千年氏)は犯人ではないのである。
被害者に付着していた繊維についても同様である。
このような事実が合理的な疑いを超えた高度の立証がなされているとは、到底言えるものではない。
3.事件本人(久間三千年氏)の車の目撃証言
①被害者の遺体が見つかった場所の近く、八丁峠という山の中のカーブの崖下か
ら被害者の遺留品、ランドセルとか着衣等が発見されるわけですけれども、その
発見現場近くで、不審な車と人を見たという目撃証言があります。その車が、久
間さんが所有していた車と酷似しているという、そういう証拠が有罪認定の柱と
されたわけです。
目撃者とされるTさんという方が、事件19日後の3月9日付の警察官に対して
述べた員面調書に、車と人の特徴が出てきます。車の特徴として9項目、
不審人物の特徴として8項目、不審人物の動き2項目、合計19項目、
これだけ詳細に不審な車と人を見たという供述書が出来上がっていて、
これが有罪認定の有力な柱にされたのです。
目撃証言の内容(事件19日後の3月9日供述調書)
不審者の特徴
1 ナンバーは不明
2 標準タイプのワゴン車
3 メーカーはトヨタや日産ではない
4 やや古い型
5 車体は紺色
6 車体にはラインは無かった
7 後部タイヤはダブルタイヤ
8 後輪のホイルキャップの中に黒いラインがなかった
9 窓ガラスは黒く車内は見えなかった
不審人物の特徴
1 頭の前の方が禿げて
2 髪は長めで分けて
3 上衣は毛糸で
4 胸はボタン式
5 薄茶色の
6 チョッキで
7 その下は白いカッターの長袖シャツ
8 年齢は30~40歳
不審人物の動き
1 右の雑木林の中から出て来て
2 慌てて前かがみになって滑った
弁護士の主張
「そうすると、誰かがその情報をいれたとしか考えられない。それは、その時に誰がいたかというと、
証人の記録を作った警察官しかいないのですから、警察官が誘導したとしか考えざるを得ない。
なんで、じゃそのここで、コンマ何秒通ってそれだけのことが記憶できるのか、
証明してほしいです。できないですよ。」
②T田は、目撃後19日目である平成4年3月9日の時点で、警察官に対し、
「この車の車両番号はわかりませんが、普通の標準タイプのワゴン車で、
メーカーはトヨタやニッサンでないやや古い型の車体の色は紺色、
車体にはラインが入ってなかったと思いますし、確か後部タイヤがダブルタイヤであった。
更にタイヤのホイルキャップの中に黒いラインがあったと思います。
このダブルタイヤとは、後部タイヤが左右2本ずつの計4本ついているタイヤのことです。
車の窓ガラスは黒く、車内は見えなかったように思いますので、ガラスにフィルムを
はっていたのではないかと思います。」(甲724)と、ほぼ公判供述と同様の供述していることが認められる。
この時点では、T田が被告人車を見せられていないことは明らかであるから、T田の前記公判供述のうち、
右供述と合致する部分については、T田が当初から一貫して供述しているという点からも十分に信用することができる。
これに対して、T田の公判供述のうち、「サイドモールはあったように思う。」という部分と、
「ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた。」という部分については、
前記のとおり被告人車を見せられたことによって記憶が変容した可能性を否定し去ることはできない。
さらに、T田は、目撃した人物の特徴についても、平成4年3月9日の時点で警察官に対し、
「この男の人相は、頭の前の方が禿ていたようで、髪は長めで分けていたと思うし、
上衣は毛糸みたいで、胸はボタンで止める式のうす茶色のチョッキで、チョッキの下は
白のカッター長袖シャツを着ておりました。その感じから年齢は30ないし40歳位と思います。」
(甲724)と供述しているのであるから、これと同旨の公判供述は十分に信用することができる。
③このT供述は、記憶の法則に著しく反しています。
日大の厳島教授によって行われた行動心理学の実験は、
T証人が目撃したという現場に、停止車両と人間を配置して、
のべ90人近く被験者に、車を運転しながら通行してもらって、
運転終了後、どれだけの事実を目撃したか再現してもらいました。
T証人のような目撃事実を再現できた人は一人もいませんでした。
④嚴島第2次鑑定書の内容の要旨
嚴島第2次鑑定書は、嚴島教授による「いわゆる飯塚事件におけるT氏の目撃供述の
信用性に関する心理学鑑定書」[確定控訴審弁第70号証、以下「嚴島第1次鑑定書」といい、
同鑑定書の基礎資料とされたフィールド実験(再現実験)を「第1次実験」という]について
確定控訴審判決で指摘された問題点、すなわち、
①嚴島第1次鑑定は、厳冬期と異なり、車の往来の激しい4月の桜開花期に行われており、
停車車両に不審を抱かせるような厳冬期の目撃状況とは、そもそも全く条件が異なること、
②目撃された車両が、後輪がダブルタイヤであり、前輪と後輪の大きさが異なると
されているにもかかわらず、通常の車両の後輪にもう1個同じ大きさの車輪を重ね合わせたに
過ぎなかったため、タイヤの違いに気付くことが困難な状態で実験をしていること、
③特に、実験時には、対向してきてすれ違う通行車両が、平均して約30秒に1台の割合で存在していたことが
認められる以上、対向車との安全に注意を向けることが必要になり、
途中で停車している車両についての注意、関心が弱まるばかりか、
他の車両についての類似の記憶が入り込むことになって、道路脇にたまたま停止している
車両の細部についての記憶を保持しにくくなることを考慮して、
条件変更を行った上で、T田の目撃状況の再現実験を行ったものである。
その実験結果について、嚴島第2次鑑定書は、被験者について、目撃した車両及び
人物のいずれについても、T田のような詳細な記憶は喚起されなかったことに加え、
被験者のうち15名には、T田より記憶遂行が優れるように「対象車両やその前後に注目する」旨の教示を与えたが、
そのような被験者ですら、T田のような詳細な車の説明ができなかったとしている。
そして、同鑑定書は、T田の記憶は、同人の直接体験したことの記憶を超えて、
他に情報源があるとしか考えようがなく、捜査側の意図されていない情報提供や、
T田が目撃現場以外の場所で得た情報などが誤って目撃の記憶となったと推察されるとし、
T田の目撃供述は誤った記憶であると断言せざるを得ない旨を結論としている。
しかし、第2次実験の条件においても、以下に述べるように、いまだ重要な点で、
T田が実際に不審車両を目撃した条件とは異なっており、第2次実験の結果をもって
T田供述の正確性に疑問が生じるということはできない。
すなわち、T田は、不審車両を目撃した当時、その従事する仕事の関係で、
八丁峠に向かう国道322号線を運転することがあり、実際、平成4年2月には、
20日以外に12日にも目撃現場付近を通行したことがあったものである。
また、T田が不審車両を目撃した際に運転していた車両は、T田の勤務先が保有する車両であり、
T田にとって乗り慣れていると考えられるものであった。
これらの事情は、T田が不審車両を目撃した現場付近の道路において安全に車両を運転するために
用いる注意力の程度が、この道路を初めて運転する者よりも低いもので足り、
反面で、T田が、運転とはかかわりのない周囲の状況に、より注意を向けることが可能であることを
示す事情といえる。また、T田が目撃現場付近の道路を運転することがあったとの事実は、
道路やその付近の状況が普段と異なるときに、普段とは異なるものとして
注意を向け易いということにも結び付くものである。
コメント
車を運転する者は、道路の中心付近を見ながら運転するのが常識である。
まして、曲がりくねった峠のカーブの外側に駐車してあった車と、
外にいた人間の特徴とその行動に目が行くのは、1秒間も無いと厳島先生は言う。
1秒間も無い時間に、19項目もの詳細な特徴を記憶できる人間は、誰一人としていないであろう。
このような事実が合理的な疑いを超えた高度の立証がなされているとは、到底
言えるものではない。
4,被告人に犯行の機会があったこと(アリバイが成立しないこと)について
①被告人は、本件当時の生活状況について、次のような供述をしている(乙5被告人31回等)。
平成4年2月当時、福岡県飯塚市(中略)所在の自宅で、妻C子及び潤野小学校2年に
在学していた長男C男との3人暮らしをしており、自分は就職せずに家事を分担し、
消防署職員である妻の収入や自己の年金で生活していた。平日は、毎朝被告人車を運転して
妻を職場まで送り届けていた。午前8時前後ころ自宅を出ていた。その際、時には、
長男も一緒に被告人車に乗せて潤野小学校前まで送り届け、続いて妻を送ることもあった。
その場合の経路は、いくつか決まったものがあった。その後は自宅に戻り、寄り道したり、
外出したりしても、午後1時ころまでには必ず家にいるようにしていた。
長男は、だいたい午後3時ころに学校から帰ってきた。そして、夕方5時前になると、
被告人車を運転して、妻を職場まで迎えに行くことにしていた。
②ところで、捜査官が被告人の供述に基づいて、被告人が長男を潤野小学校で降ろして
妻を職場まで送るのに主に通っていた2通りのコースを平日に走行してみたところ、
その経路は被害児童の通学路と一部重なっており、妻の職場に午前8時18分過ぎに到着し、
その帰路に被害児童が最後に目撃されたE村方三叉路付近を通過する時間を測定すると、
午前8時28分ころとなった(甲566、567)。
したがって、被告人が妻を職場に送り届けて帰宅する途中、E村方三叉路付近を通過する時間は、
被害児童が同所付近で略取又は誘拐された時間とほぼ一致する。
さらに、被告人は、妻を送り届けた後、長男が学校から帰ってくる午後3時ころまでの間は、
1人で自由に行動することができるところ、潤野小学校から死体遺棄現場まで
自動車で往復しても2時間まではかからない。そうすると、被告人には、家族らに
気付かれることなく本件犯行をする機会が十分にあったことが認められる。
③これに対して、被告人は、本件犯行当日である平成4年2月20日の行動について、
公判で、「この日は、午前7時55分過ぎころ、被告人車に妻を乗せて被告人方を出発し、
午前8時10分ころ、妻を職場まで送り届け、その足で福岡県山田市内の実母方に米を届けに行き、
午前10時05分ころまでの間、実母方で実母と話をするなどして過ごし、実母方から自宅に戻る途中、
午前10時20分ころから午後0時30分ころまでの間、パチンコ店でパチンコをして遊んだ後、
午後1時ころ、被告人方に戻った。その後、長男が学校から帰ってきた。
午後5時前ころ、被告人車を運転して、息子と一緒に妻を職場まで迎えに行き、
そのまま家族3人で外食をして、午後7時過ぎころ、被告人方に帰り着いた。」などと供述している(31回)。
この供述のうち、妻C子を職場まで送った後、まっすぐ実母方まで米を届けに行き、
その後パチンコをして、午後1時ころ自宅に戻ったという点については、
本件のアリバイとなり得るものであるから(以下、同部分を「アリバイ」という。)、その信用性について検討する。
まず、被告人のアリバイを直接に裏付ける証拠は全くない。被告人の実母久間C美は、
期日外尋問において、「山田に住んでいたころ、月に一度の割合で被告人が米を持ってきていた。
被告人は妻子を送ったその足で来ていた。」旨、一部被告人の右供述に沿う供述をしているが(125項以下)、
平成4年2月20日に被告人が米を持って来たかどうかという点については全く記憶がないことが明らかであるから(289項)、
同女の供述は被告人のアリバイを直接に裏付けるものではない。
次に、被告人のアリバイを間接的に裏付ける証拠として、被告人の妻C子は、公判で、
「本件当時、毎月19日に知人から米を買い、翌日に被告人がその一部を実母方に届けていた。
自分も一緒に行きたいと話していた。平成4年2月20日の朝、被告人が車に米を積んでいるのを見て、
この日の仕事帰りに一緒に実母方に行くものと思っていた。
それで、夕方、職場まで迎えに来た被告人に対して、「果物を買っておばあちゃんの家に行こう」と
言ったところ、被告人が、「米はもう持って行った」と言った。
冗談かと思ったが車内に米はなかった。」などと供述している(28回421項以下、29回536項以下)。
しかし、妻C子は、捜査段階では、警察官に対して、「19日ころ米を買ってすぐに被告人の
実母方に届けていたので、事件当日の前後ころだったと思うが、夜、果物でも買って一緒に米を
届けに行こうという話を被告人にして、それから何日経ったとかは覚えていないが、
帰宅途中の車内で「今から果物でも買って行こう」などと言うと、被告人が
「もう持って行った」と言ったことを思い出した。」と供述しており(甲720)、
仕事帰りに被告人の実母方に行こうとしたのが2月20日であると特定して供述していない。
妻C子は、公判で、19日に米を買ってその翌日ということで20日と思い出したというのであるが(29回758項以下)、
それが事実であれば、既に捜査段階でも19日ころに米を買っていたという供述をしているのだから、
捜査段階で20日と特定できたはずである。しかも、毎月19日に買っていたというのは被告人から
そのように聞いていたというだけで、前後にずれることがあるかどうかは分からないというのである(29回882項以下)。
これらのことからすると、妻C子が、捜査段階では思い出せなかった20日という日付を公判で特定できた理由は
不明といわざるを得ないから、この点に関する同女の公判供述はたやすく信用できない。
さらに、被告人のアリバイに関する供述には、以下のとおり捜査段階と公判段階とで変遷が認められる。
すなわち、被告人は、公判で、妻を職場に送った後、まっすぐ実母方に向かった経路について
詳細に供述している(31回96項以下)。しかし、被告人は、捜査段階では、警察官に対して、
妻を送った後、午前8時30分ころ帰宅し、それから実母に米を届けに行ったと供述しており(乙2)、
いったん帰宅したという点で明らかに異なる供述をしていたものである。
また、被告人は、事件当日の行動を思い出した時期について、公判では、「2月25日ころ、森永刑事が
自宅に来た後で考えて思い出した。3月18日に福田係長(警察官)が自宅に来たとき、
実母方に米を届けたというアリバイがあることを言って、福田係長の前で実母に電話もかけたが、
親族の証言ではだめだから、ポリグラフ検査を受けるように言われた。3月20日にポリグラフ検査を受けたところ、
翌21日、福田係長が自宅に来て、「アリバイは要らない、120パーセント白だ。」と断言した。」
などと供述している(33回108項以下、273項以下)。しかし、被告人は、捜査段階では、検察官に対して、
「3月18日に福田係長と一緒に来た井上刑事から、「アリバイがあればポリグラフ検査は不要です。
ただ、家族の証言ではだめです。」と言われたが、事件当日の行動をすぐには思い付かなかったため、
アリバイの代わりにポリグラフ検査を受けることにした。3月20日にポリグラフ検査を受けた後、
アリバイについてじっくり考えてみた結果、当日の行動を思い出した。」と供述していた(乙122)ものであって、
事件当日の行動を思い出した時期についても、公判供述とは異なる供述をしている。
さらに、事件当日の行動を思い出したきっかけについても、公判では、「森永刑事が帰った後で、
あの日は何をしていたのかなあと思って思い出した。妻とは事件の話をしていないので、
妻と話し合っているうちに思い出したということはない。」と供述している(33回292項以下)のに対して、
捜査段階では、「妻から事件当日のことではないかということでいくつか聞いた中の1つに、
夕方、妻を迎えに行き、妻が車に乗り込むときに「米持って行った(か)」と聞いたら、
「持って行った」と答えたということがあって、その話を聞いて思い出した。」旨
異なる供述をしているのである(乙122項)。このように、被告人のアリバイに関する供述は、
その内容、アリバイを思い出した時期とその契機について、いずれも捜査段階と公判段階とで
変遷しており、アリバイを裏付ける証拠もないのであるから、信用できない。
よって、被告人にアリバイは成立しない。
コメント
人間の記憶は時にはちぐはぐになることもあり、上記のアリバイの主張は、特別おかしなものとは言えない。
又、この事実が合理的な疑いを超えた高度の立証がなされているとは、到底言えるものではない。
この事件は、最高裁の法服を羽織った裁判官らが、無実の人間を絞首刑にした
殺人事件である。
続く
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