柳田太郎図書館 図書No.66
スローカーブを、もう一球
著者 山際淳司
この短編集に含まれる「江夏の21球」が有名でしょうか。
スポーツも、人々に受け入れられ、受け入れざるを得ない部分への促進という意味もあり、励まし、励みになっていることを学べる。
その先を想い描くことの楽しみもあろうが、辛さや哀しみとしての連帯感、統一感といったことへの仕組みや取り組みへの連続性の感謝や感動も味わえる。
2023.5.13
先日、やっとブックオフで110円に値下がりした「プロ野球史上最高の選手は誰だ?」(第三章途中まで読了。金田さんのインタビューがインタビュー本としてはこの傑作を他では不可能ということでの責務ある傑作のように思う。
人間の尊厳としては、
中西さんのショートライナーとピッチャーライナーがホームランと、岡田さんの口語体と屈伸と、王さんボールと長嶋さんボールと、杉浦さんのカーブがバントのバッターの背中を通過と、榎本さんの手の痛みのくっちゃべり。)を購入した。
当初書く予定ではなかったことを書いてみる。
野球を知る前に、私は朦朧の紺ヘルとして過ごした幼少期があったわけだが、その後、シュウテイクパートツーとしても野球を混沌として意味不明にやってた少年期。
少し野球を知ったかぶりとしての私は、プロ野球選手ほど、基本原理は泥んこの人間だけれども、私は、この本(書籍紹介の方)のお目当てだった江夏投手(プロスピで、それはもう昨年Sランクカード獲得以外ほとんど眼中なかったほど。それより実はカープ津田選手が意外と私は現役をテレビを通じて見てるだけだが)というのは、神より神らしい部分がある。
最近知ったけれど、前々からあったのか、江夏・田渕動画というのは世代としては真弓・掛布・岡田動画と同じに奇跡的な動画だと思った。タイガースファンであったことは一度もないけど。しかし私は昨年まで、人生唯一のマイバットはバースモデルだった。通算二桁に上る素振りはした。ただグリップの底辺に44の刻印入れてただけなのかとも最近思うけれど、そんなもんでもというかそんなもんで十二分のしろものではある。
何事も、基本原理はきれいではない。シェイクスピアはリョウシキでマクベスでやってたけど、基本原理はきれいなことはない。きたなさが基本原理。変質しても。それからでしか5W1Hのきれいごとにならんでしょ。
江夏さんなんて、泥んこ量が人より凄かったというよりは、ピッチャーだから野手とはそれは違うか。
泥んこの性質が違うというで、基本原理の器は変わらんだろう。勉学とか仕事と同じに。
泥んこになるのもつまらんけど、泥んこにならんことが、もっとつまらんからな。
80歳が泥んこになっても、プロ野球選手にはたぶんだけどなれんでしょ。
元朦朧の紺ヘルとして、なんと江夏さんを考えるに至る。
津田さんがおられたチームにもおられたが、ファミスタニュースで投手王国のエース北別府さんの部分も拝読した。
「消耗する前にオマエの野球人生がおわるんじゃないか」
成熟した人間性と社会性の基本原理だけど、このような神のごとき人々の能書きを拝読すると、人類愛の前に人類が消耗しちまうということを考え、それは既に人類は消耗されてるわけで、人類主義というのはそのようなもんであって、本質的に人類主義というのは人類愛以外を呼ばないとすら朦朧としちまってるんだが。
当初書く予定だったことを書くと、皆様ぶったまげるほどの私のオナニー思考に私は邁進しつつあったことを書いてるだけという昨今になるので、恐らく書かないで終わる。
意外と、そのためにそのためにではないことしかそのためにならんという、そのためにたどりつくためがそのためにたどりつかないことでしかそのためにたどりつかんでそのためにたどりつかいことをつづけてるような。
昔より疲れてないけど、ちょっと年齢もあって疲れたといっちまえば疲れた。
皆様差異あっても同じだけど。
神は細部に宿るから、球場ないと、球場までいけないと、そして人間がいないと、そして人間でないとということが、それなりに5W1Hで神ではあるんだろうけども。