障害と英語と夢と

16歳で障害者になった40代主婦。
苦しみ続けた日々と人生を変えた独学英語について

オンライン講師の現場

2021-07-01 07:40:23 | 講師の仕事
心臓のバクバクはなかなかとれませんでした。
I had like 1000 butterflies in my stomach before each class. 
(まるで1000匹の蝶が私の中でバタバタしている感じ😂

レッスン100回目くらいでようやく少しお腹の中の
蝶の数が減り始めたことを感じることができるようになりました。

「This is a pen. レベルから33歳で独学を始めた学習者です」
とプロフィールにも記載し、丸裸の無防備な感覚でした。

「平日の昼間は主婦たちのゴールデンタイム」

ではありませんでした😂😂😂

あの講師は私の敷居を下げ、背中を押すために
何と巧みな言葉を与えてくれたことかと、
今しみじみ感謝しています。

あれから約1年半が過ぎ、これまで3000回近いレッスンを重ねてきました。

色んな出会いや驚きがありました。

最大の驚きは、なんと私のブログ読者の方が2名
訪れてくれたことです😲 
そして、私のブログへの感謝の気持ちを述べて下さり
お二人とも英語道を精進なさっている様子を伺いました。

ブログは休止中だったにもかかわらず、
誰かが読んでくれていた喜びと感動、
そして実際に会いに来てくださった勇気に心が震えました。

海外からのアクセスもたくさんあります。

タイ、シンガポールの駐在者、駐在妻
アメリカ、イギリス、ドイツで働く人たち。

現役教師、教授、医師の卵、ロケット開発に情熱を燃やす若者。

やり直し英語に汗を流すサラリーマンや主婦

あまりにも多種多様なラインナップ
始めはビビりまくりの連続でした😫 

それでも回数を重ねると、自分はエンターテイナーであり、
彼ら一人一人に寄り添い、もてなす責任があること。
ビビる前にそこを自覚する必要があることに気づきました。

また、ほとんどの来訪者は、事前に私のプロフィールを見てくれており、
私が独学で英検1級、TOEIC900点越えを達成したことに
関心を持ってくれていることにも気づきました。

丸裸の感覚でいた私でしたが、こんな私にも少しなりとも需要があること。

ネイティブのような発音や流暢さは提供できないけれど、
独学者としての経験や知恵を共有するなど、
私の泥臭い経験が誰かを励まして行けることを知り、

今では私にしか出来ないことは何か
私に求められているものは何か
考えられるようになりました。

こうしてビビりまくっていた私のオンライン講師生活も、
様々な来訪者に支えられ、育てられ、着るものを与えてもらっています。
もうしばらくこの現場で成長していきたいと思っています。

いつもありがとうございます😌 

英検1級後の転落 ①

2021-06-13 17:45:36 | 講師の仕事
6年前、何とかぎりぎりで英検1級に合格しました。
1年がかりでもぎ取った資格でした。

当時の私は個別学習塾、そして集団クラス学習塾とかけもちで働いておりました。生徒は中学1~3年生。

仕事にも慣れ、1級にも合格し気付かぬうちに天狗になっていました。

そんな時、転機が訪れます😳 

ひょんなことがきっかけで「私と一緒に働きませんか?」と
英会話教室を経営されている方から声がかかりました。

ちょうど英検1級をパスし、個別塾での仕事もマンネリ状態。
そろそろcomfortable zone から抜け出さねばと感じていた矢先でした。

塾での経験もありこの分野において自信もあった私は、
この降って湧いたチャンスに飛びつきました。

ところが、この教室は私が想像していたものとは全く異なる
世界でした😲 
重きを置いていたのは英語発音指導、人材育成、人間教育でした。

オーナーは発音指導の専門家であり、彼女の発する英語と声は
本当に美しく聞きほれるものでした。
一方で私と言えば、発音なんかどうでもいい、とにかく資格試験に合格できて通じればいいんだと、
発音の分野は放置してきました。
その結果、一番苦手分野となってしまい、臭い物に蓋をし続けてきました。

そんな状態にもかかわらず、新たな教室で新たなクラスを受け持つことになり、
彼女が奏でる英語を耳にしながら、私も隣の部屋でレッスンをスタートしました。

生徒は小学生のグループ。
中学生に受験英語を教えてきた私には未経験の分野でした😲 
この子たちの真っ白なキャンバスに私が色をつけていくのか。
迫りくる責任感。発音も然り😖 

自分が英語を発する度、あまりにもかけ離れたオーナーとの音色に自己嫌悪に陥りました。
そして今まで積み上げてきたものは何だったのだろう。
英検1級の資格も全く役に立たず、振り出し地点まで突き落とされ、
天狗になっていた鼻もへし折られ、終には英語を発することに恥じらいと恐怖さえ感じるようになりました😭 
自信もすっかり失い、これからどうするべきか、悶々と葛藤する日々が始まりました。(続く)


新たな挑戦~そして私を受け入れてくれた人

2016-09-14 13:13:39 | 講師の仕事
ずっとお世話になっている個別塾で
ここ2年ほど受け持つ生徒の数が減っていました。

これはチャンスかも!!
英検に集中できるぞ!
と喜んでいました。

英検1級にも無事合格した2月。
さてこれから自分の人生どうするか?
何がしたいのかと、考えるようになりました。

明確な答えは見つからないまま(まだ見つかってません)
4月を迎え、今年度の受け持ちの生徒の名簿を渡されました。

あれ? 少ない・・・。

明らかに減っていました。

そして、4月から新しい講師の顔をちらほら見かけるようになりました。

そうか、ここで私は求められていない。
必要とされていないのかもしれない。


思い返せば、もうここで英語を教えるようになり4年が過ぎた。
ベースアップも全く無ければ、集団授業に声をかけられたことも
褒められたこともほとんどない。

見えない天井を感じていました。

そろそろここを離れる準備をしよう。
この塾は現役大学生かそれなりのバックグラウンドを持った人材が欲しいのだ。
(私は仕事はきっちりやっていると自負してます。)


そして、何の仕事をしようか色々考え探してみました。
英語を使った興味深い仕事もいくつかありました。

ただ、フルタイム・・・。

日々の仕事に追われ、英語学習が出来なくなる。
自分の体のケアもできなくなる。

やっぱり昼間は家事や勉強や子供のこと、
そしてリハビリの自主トレも出来る
今の生活スタイルがしばらくはベストだという結論に至り

塾を新たに一つ増やすことにしました。


早速職安に行き、いくつか候補を見つけ
面接まで取り次いでもらった中で
一つだけOKをもらった塾がありました。

教科は英語で、片手が少し不自由で階段も駆け上がったりは出来ません
と伝えてもらっていましたが、それでも面接にこぎつけることが出来ました。


そこは集団授業。
 新たな挑戦でした。


そして面接の日。
この歳でまたリクルートスーツに身を包み、
ドキドキともうこんなのイヤだ、との思いが交錯しました。

個人経営の進学塾でした。

塾長のプロフィールをHPで確認すると、
地元出身の人で某有名私立大卒。
大学受験に一度失敗。
それから猛勉強し、予備校の数学の模試で
全国2位になったことなどが書かれていました。

大学時代、モーニングショーの羽鳥真一さんと同じクラスだったそうです 

話を戻して

気合を入れるのだけは得意な私は心に決めていました。

障害のことは素直に全て話そう。

履歴書ももちろんですが正直に書きました。

英検1級ももちろん  ←ここだけマーカーしたかった 笑

(5年前の個別塾面接のときは、怖くて障害のことは言えなかったんです。)


これで採用してくれなかったら障害のせいかもしれない。

というか、もう塾じゃなくて他の仕事を探しなさいということだろうと
そんな背水の陣のような気持ちでした。

「集団授業は私にとって初めてですが、
今まで個別講師をやってきて、ステップアップしたいと思っています。」
「塾講師としての経験もあるのでできると思っています!」


採用してもらうため、かなり大きな事を言ってしまいました
障害のことも詳しく話しました。


ドキドキして返事を待ちました。

・・・一週間後、個別の授業を終え車に乗り
携帯を見ると、塾長さんから不在着信がありました。

心臓ばくばくでしたが平静を装い電話しました。

「採用しますので研修に来てください。」



はぁ・・・

全身の力が抜け、そして受け入れてもらえた。
そんな喜びと責任感が湧き上がってきました。


あれから約半年。
毎週火曜日、中1の英語と社会を受け持たせてもらってます。


授業が終わると塾長は、まるで私の授業内容をモニターで観察していたかのように
ダメだしをしてくれました。

頭がよい人はやはり考えがすっきりしていて本当に勉強になります。
初めは「私なりに一生懸命やってるのに何よっ!!」
と反発心もありましたが、筋の通ったアドバイスをくれるし
わざわざ、言ってくれるのです。
何と貴重なことか
だんだんこのダメだしタイムが楽しみになってきました


今ようやく、「マシになってきたな。」
「みんな変わってきたな。」

とほめてもらえる様になりました。


私を受け入れてくれた。
それだけでも有難い。

もっと成長しよう。

そして
この人を採用してよかった。

そう思ってもらえるように、日々精進あるのみです。


学歴コンプレックス

2016-08-30 14:58:39 | 講師の仕事
16歳で交通事故により左半身付随になった私。

みなさんお気付きのことと思います。

学歴がありません。

まじめに勉強したのは中2の夏まででした。


何のために勉強するのか、今の勉強が何故大事なのか、今の勉強が将来とどうつながって行くのか
全く分からなかった私は勉強しなくなりました。

そして高校一年のとき交通事故。

学校に行ける状態ではありませんでした。
高1で退学せざるを得なくなったわけですが、中卒ではいくらなんでも・・・
という親の計らいで、事故から3年後通信制高校に編入し、22歳のときに一応高校卒業の学歴は得ることができました。

学歴コンプレックスだからこそ、塾講師になりたかったんです。
塾講師をしていると誰も私のことを中卒同然のバックグラウンドだとは思わないだろうと思ったのです。

今思うと本当にありがたい話なんですが、応募した塾が奇跡的に採用してくれました。
(ちょうど英語の講師が足りなかったようです)
あれからもう4年半ほどになります。






教えることが素人な私は、本やユーチューブで教え方を学びました。






今はほとんどの塾が大学卒の学歴を必要とし求人を出しています。
周りの講師たちは現役の大学生だったり、ちゃんとしたバックグラウンドを持った人ばかりです。
正直、肩身がせまいです

障害があり学歴のない私がその中に混じっていること自体、無謀だと思います。
それでも辞めたくない。こんな私だからこそできることもあるし、
足りない部分があるからこそ、一回一回の授業を大切に取り組んでいるつもりです。

学歴コンプレックスでも働く場を与えてもらえたことに感謝しなければいけませんね。
貪欲にいろいろ学んで行きたいと思っています。