障害と英語と夢と

16歳で障害者になった40代主婦。
苦しみ続けた日々と人生を変えた独学英語について

洋書多読セミナー 参加しました。

2016-09-18 20:48:12 | 日記
朝5時過ぎ起床、大阪まで片道2時間
今日は盛りだくさんの一日でした。

人間、勢いのあるときは何でも出来ますね

長年読ませてもらっているブログの大阪の主婦さんが、
今日のセミナーに参加予定、ということを先日知り
「私も参加します。」「主婦さんにお会いしたいです!」
と突然コメントをし、今日初めてお出会いすることが出来ました


主婦さんのブログにどうやってたどり着いたのかは忘れました。

ただ、プロフィールを見て「息子さんの介護をしながら
英語学習を続けている元高校教師。」



ということを知り、突然人生に起こった環境の変化を体験しているところ、
それでも上を向き、自分の人生も充実させている、そこに感動を覚え、
又、喜怒哀楽の描写も非常に上手く、時には元気をもらい、時には涙を流し
すっかりファンになっていました


でも自分に自信もなく、英語力も知的さも人間力もない私は
ずっと読み逃げ状態で主婦さんは雲の上の存在でした


そんな私も英検1級まで何とか頑張ることができた。


英検1級と言っても英語力だけではなく
忍耐力(これはリーディングとボキャビルで)や度胸(これは二次試験で)
までつけてもらったので、

今回、このセミナーに参加できたのも、英検1級の賜物だと確信しています


又、主婦さんはセミナーもランチでも私の横に座ってくれ、オーラ溢れる
主婦さん
の隣でホントに幸せな時間を過ごさせてもらいました。


私は片手しか使えないので、ランチバイキングでも
主婦さんに料理を取っていただくという
そんなあつかましいことまでやってもらいました。


以前の私なら、「ランチバイキングは自分じゃ取れないし」
と参加もしていなかったと思います。


でも今はそうやって自分の行動範囲を狭くするのはもうコリゴリなんです。


他の人に親切にしてもらったら素直に感謝する。
そして又、私も他の人に出来る親切をして返して行けばいい
そう思えるようになりました。





ランチはとっても雰囲気のいいタイ料理でした


主婦さん本当にありがとうございました。


さてさて、洋書セミナーのののさん
すごく話が上手で、話し口調も柔らかく、ずっと聞いていても疲れない
そしてどんな質問にも答えてくれる素敵な女性でした。


洋書を年間50冊ほど読まれているとのこと。

私も早くTOEIC900点達成して、洋書堪能生活したい!と思いました。


アマゾン Fire タブレットの便利な使い方も紹介してくれ、これは、TOEIC900達成したら
自分ご褒美に購入しようと思います


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また、最後に洋書のGIVE AWAYもあり
私はじゃんけんで勝ちこれをいただくことが出来ました
ありがとうございます






これからもいろんな人とつながり、学び
充実した英語人生を歩んで行きたいと思います。


主婦さん、ののさん、みきっちさん、
田舎者ですが、フットワークは軽い方です。

これからも色々教えてもらいたいです。
よろしくお願いします



リハビリについて(1)

2016-09-08 14:59:42 | 日記
今日は私のこれまでのリハビリについて書きます。

意識が戻り、数日後から病院のリハビリ室に行くようになりました。

16歳で初めてみる光景でした。

そして、みんなが私に注目しました。


若いのにどうしたの!?  かわいそうに・・・。

毎日毎日そういう言葉を浴びせられました。


周りの人たちは半身不随の私を見て、これは長期にわたる後遺症であることが分かっていたのですね。


当時の私は左半身がだらりと垂れ下がり、足に補助装具を付け杖をついていました。
頭の手術で髪は剃られ坊主頭。


リハビリもただ療法士にされるがまま、まるで赤ちゃんを世話されているような状況でした。


逃げ出したい・・・。そう思うようになっていました。

そんな時、父親がこんな話を持ちかけました。

長野県にいいリハビリ温泉病院があるから行ってみないか?

私は行くと即答しました。

ただ逃げ出したかったから。
誰にも私の姿を見られたくなかったから。
誰も私のことを知らない所に行きたかったのです。


長野県に行ってリハビリをすれば完治できる。
完治したらみんなの前に出て行こう。

そんな甘いことを考えながら、遠く離れた長野県の山奥のリハビリ病院に一人で入院することになりました。


結果。


初めて親元を離れ一人での入院生活。
周りは大半がお年寄り。

車椅子に乗せられ、重度にマヒした体などで皆の表情は暗く、
言葉に表せないような惨めさを味わいました。

そうして日に日に現実を理解するようになり、
私は心を閉ざし殻にこもるようになっていました。

2ヶ月くらい経ったころでしょうか、主治医から母に連絡があったようです。

この子をここに置いておいたらダメになります。
連れて帰って下さい、と



そして私は一ミリの回復もすることなく、逆に心に大きな傷を負い自宅に戻りました。


頭を激しく損傷したせいもあり、しばらくの間は知能レベルも低く、
幸い、現状を把握するのに時間がかかっていた訳ですが
この頃から知能レベルががはっきりと回復し始め、精神的に苦しむことになりました。


しばらく家に引きこもるようになりました。
友達との交流も全て断ち切り一人ぼっちでした。

何時何分単位で、テレビの全チャンネルの放送を全て把握しているほど
ただテレビを見ていました。(当時はインターネットもスマホもケーブルテレビもありませんでした。)


たまに出会う人が言いました。

日にちぐすりだよ。頑張れ。

そしてこの頃よく母が言いました。

天はね、その人に乗り越えられない苦難は与えないのよ。

黙っていましたが、私はそういう言葉が腹立たしかったです。
八方塞りの私には何の励ましにもなりませんでした。


2階の部屋の窓から、母が出て行く後ろ姿を追いながら妬ましく思ったり
そんな自分が情けなくて泣けてきたりしたこともありました。

事故後2年位経ち、私が18歳になる頃、さすがにこのままではまずい、と
再度近くのリハビリ病院へ外来で通うようになりました。

ひきこもっていたので、これもかなり勇気の要ることでした。



ここのリハビリでも現状維持にとどまるくらいで、身体機能の回復はさほどありませんでしたが、
ここで出会った理学療法士の方は、私の社会復帰に向けて色々と情報をくれました。

障害者手帳を申請すること、車の免許も片手で取れること、障害者の職業訓練センターのことなど。


ちょうど風の噂で「あの子がどこどこに就職した」とか「運転免許を取った」とかを
耳にするようになり、私も正直焦り出していました。


そして社会復帰したい!!

と思うようになります。


それから、車の免許を取得、通信高校への転入、職業センターでワープロ(古っ
を習ったり、秘書検定やワープロ検定などの資格も取りました。

そして、障害者採用ですが企業に就職することもできました。


こうしてリハビリが社会復帰へと変わって行きました。

以来、リハビリには通っていませんでした。


子育てもひと段落した三年ほど前、さすがにこれからの自分の健康、そして
少しでもよくなりたい、との思いから、約20年ぶりに病院の門を叩くことになります。



英語で人生変わるのか??

2016-08-29 20:56:33 | 日記
少なくとも私は変わりました。

障害者であるという劣等感、負い目、そういうものもなくなりました。

障害者になり二十数年経ちようやく、私は幸せだと思えるようになりました。
(遅すぎますね、バカです

もちろん英語だけでなく、人生経験を積み色々見てきたということもあると思いますが、
英検1級に合格し、英語ができるようになった今、確実に違った世界があります。

まず英検準1級に合格し塾講師として採用されたとき、みんなすごいなと言ってくれました。
当時英語力にまだ満足していなかったものの、とりあえず目標としてきた
英語を教える仕事に就くという夢が叶いました。


周りの見る目も変わっていきました。
「あの人英語できるらしい」と近所でも少し噂になって行ったようです。

大したことしていないのに、ただ一生懸命英語やってきただけなのに、
こんなにも簡単に周りの評価を得られるものかと、身をもって知りました。

このときは、英検1級のことなど考えてもいませんでした。
英検1級なんて、特別な人が受けるもの、単語もマニアックなものまで覚える必要があるらしいし
(実際はそんなことありません、実用語彙でした)私には到底無理!といった感じでした。



そんな私が重い腰を上げ、一大決心したのが、去年の3月中頃でした。



だんだん老化も進んでくる。このままおばちゃんになっていいのか?
老眼とか始まったら勉強も億劫になるのではないか?
タイムリミットじゃないか?
英検1級ホルダーになったらもっと人生開けるんじゃないか?

ちょっと古いですが、「いつやるの?」「今でしょ!」
とまた無謀な挑戦が始まりました。

英検1級は甘くありませんでした。
6月、10月と2回落ちました

3回目の挑戦で一次試験合格、二次試験は一発合格でした。(ギリギリですが

このプロセスの中で色んな学びがありました。
それは長くなるので割愛させていただきますが、人生観まで変わりました。

障害者も健常者も老若男女もみんながフェアに挑戦できる場です。
私は意地もあり全力で挑むことができたように思います。(ほとんど意地しかなかったですが


合格するまでの戦略、時間管理など自分をコントロールすることも学び、
怠けたい気持ちに鞭打って勉強をすることで、自分を鍛えることができたように思います。

私は英語学習でしたが、何でもいいと思います。
何かを一生懸命頑張って継続すれば、人生変えられます!!

どこかの誰かの心に響いてくれたらうれしいです。

はじめまして

2016-08-26 19:56:38 | 日記

16歳で交通事故に遭い、二週間意識不明の重体でした。
頭蓋骨骨折、脳挫傷ということで目が覚めると左半身の動かない全く別人になっていました。

自分がまさか障害者になる。全く想像すらしなかったことです。

受け入れられませんでした。


「元の身体に戻るまで誰にも会わない、こんな姿誰にも見られたくない」
家族以外、人と会うことを避けました。

初めは心配してくれた友達も母親に頼んで一切の連絡を絶ちました。
でも後遺症は私が思っていたほど簡単に治るものではなく、
一生付き合っていかなければならないものでした。
誰とも会わないまま月日は過ぎ、ほとんど引きこもりの状態になっていきました。



16歳の未熟さ故、どうしていいのか分からずだんだん心が病んでいきました。



人に会うことを避けるようになった結果、対人恐怖症になりました。
人の前では顔がこわばり、左半身にも不自然に力が入りますます障害が目立つ、
余計に人に会うのを避けるという悪循環でした。



「全てを奪われた。」そう感じていた私はこう考えていたのを覚えています。

「こんな私でも死んだら母は悲しむだろうな、だだ生きてるだけでも死ぬよりはましかもしれない。
なら母親のためにもとにかく生きていよう」



交通事故に遭う前の私は自由のはき違えをしており、無茶苦茶でした。
なのでとうとうバチが当たっんだ、母に申し訳ないと思っていたのです。




これが私の障害者としてのスタートです。
もう二十数年経ちます。



色んな葛藤や経験、出会いがあり今の私があります。



これから色々アップしていきますので宜しくお願いします。
コメントも気軽にしていただけると嬉しいです。