塞翁さんとこの馬

三日坊主上等!でおくる愚痴と屁理屈が込められた日々。

タイトル付けるの面倒だから『鰰の切り寿司』でいいや

2006-12-20 18:03:34 | [ドーデモヨイコト}(´益`*)

人様の事をうだうた喋る詰まんない人間mechuです。
うーん考えさせられますよ。
やっぱね、もうちょっとじゃなくていい加減考えなきゃいけねぇんだよな。
逃げてたってなんも出てきやしないしな。


どこに行きたいかといったらそりゃ、地元に戻りたいっすよ。
でも、ここも捨てがたくなってきた事に喜びというか驚きも感じる。いい意味で。
どこか、でも求めていたものは既に過去の理想であって手に入らない。
ならば、新しいものを求めようか…しかし、楽しいと思える仕事、やり遂げられると思える仕事はあるのか?否、探し出すしかない若しくは作り出すしかない。
やり遂げられるはずだ乗りえられるはずだ。
色々乗り越えてきた…つもりだから。
しかし、この『はず』とは何か…
goo辞書によると、
(4)(矢の筈は、弓の弦と当然合致するということから)連体修飾語を受けて、形式名詞的に用いられる。
(ア)当然そうなることの意を表す。
「これで電気がつく―だ」「この地図を見ればわかる―だ」
(イ)これからの事柄についてその予定を表す。
「五時に終わる―だ」
(ウ)事柄についての確信・確認の意を表す。
「君にたのんだ―だ」

私が使ったのは(ウ)の確信だな。
出くわしたものに対しての処理の仕方は様々あるのだろうし、逃げたいけど逃げちゃ駄目なんだって追い込んでも苦しいし。
やることやっとかないと後悔するのは誰でもない自分なんだよねぇ(汗)
面倒だが、やるっきゃねぇ。
しかし、不動のままな自分が情けないと思ったり、就職活動という言葉に辟易したり。
なんなるうましかなわたくしでせうか。
斜に構えるよりかは、だるんと構えて風に吹かれてもふわふわのほうがいいのかのう。
臨機応変に対応できるようになれば一番いいのですがね。
全て絵に描いたもち。
もちを食うには、まずもち米からですかね。

もふぅ(*`A´)