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東海道あるき旅③(川崎~東神奈川)

2014-12-01 | 東海道あるき旅

大勢の人々でごったがえす川崎駅を出て、市内へと向かいました。

市内の大きな通りの両側には、黄色く色づき始めた銀杏の木が植えられ、落ち着いた雰囲気がかもしだされていました。

川崎の街を歩いたのは初めてでしたが、さすが政令指定都市だけのことはあり、素敵な感じでした。

最初に、東海道を少し海側にそれた所にある稲毛神社に行きました。

ここは、平安時代後期に川崎庄の鎮守として建てられたと伝えられている古社です。

境内には樹齢千年と推定される御神木の大銀杏がありました。

 

 

 

稲毛神社を後にしてから、再び東海道に戻りいよいよ東海道あるき旅の開始です。

この川崎宿は、53次中の52番目に出来た宿だそうです。品川宿と神奈川宿の距離が五里(19.6Km)と離れていたので、

伝馬継立ては往復10里(約39Km)になり過重な負担となる為、幕府はその中間に位置する川崎に宿駅を作ったのだそうです。

川崎宿は財政基盤が弱いうえに、富士山の噴火や大火事による被害を受け窮乏していましたが、

田中本陣当主・田中休愚の尽力により、六郷(多摩川)の渡しの経営権を幕府より譲り受けることが出来、

財政を立て直すことが出来たそうです 

 

☆  佐藤本陣跡

 川崎宿上本陣と呼ばれていたそうです。田中本陣より京都に近いので”上”を付けて呼ばれたようです。

佐藤本陣の子孫・佐藤惣之助は作詞家で、その主な作品には「赤城の子守唄」「人生劇場」「新妻鏡」「六甲おろし」などがあるそうです。

 

  川崎宿京方見附

 川崎宿の京都側の出入り口で「京方見附」とか「上方見附」と呼ばれていたそうです。

江戸側の出入り口は「江戸方見附」と呼ばれ、両見附の間が宿場の範囲となります。

  
関札……実際の関札を複製したもので「加藤遠江守宿」と書かれています。
      大名などが宿泊するとき宿泊する宿の前に掲げられた木札です。

 

  芭蕉句碑

 

元禄七年、松尾芭蕉が江戸深川を発ち郷里の伊賀へ向かう途中、川崎まで見送りにきた弟子たちとの別れの時によんだ句です。

  『麦の穂を たよりにつかむ 別れかな』

芭蕉は、この年の10月に大阪で亡くなってしまいました。

この時もうすでに、体が弱っていたのではないかと思えるような句ですね。

 

  八丁縄手(畷)

 縄手(畷)とは真っ直ぐな細長い道のことをいうそうです。八丁は長さを表し、1丁(109m)×8で約880mになります。

川崎宿京方見附から市場村入り口まで田畑の中を8丁続く一本道が続いていて、両側は松並木になっていたそうです。

現在は京浜急行の駅名として残っています。

 

 

☆  市場一里塚跡

 ここは、日本橋から数えて5里目になります。

徳川家康は、日本橋を起点に五街道に1里ごとに塚を設け、街道の整備をしました。

塚は直径5間(約9m)、高さは1丈(約3.3m)ほどの大きさで頂部に樹木を植え、街道を挟んで両側に設けられていたそうです。

ちなみに、1里は約3.9Kmです。

 

 

 

☆  鶴見川

 

 

  鶴見橋関門跡

 鶴見川をわたり終わってすぐの所に、鶴見橋関門跡の石碑がありました。

横浜開港の後、外国人に危害を加えようとする尊皇攘夷派の人々の通行を厳しく取り締まるために設けられたのだそうです。

 

 

この辺りには、鶴見名物の「よねまんじゅう」を出す茶店が軒を連ねていて、鶴屋と亀屋が有名だったそうです。

「お江戸日本橋」の唄・二番に「鶴と亀との米饅頭」と唄われています。

現在では、鶴見駅の近くの和菓子屋さんで復活して売られていました。

江戸時代は塩餡入りの大福に似た品だったみたいですが、現在のものは、ほんのり甘く小形で食べ易いものでした。

 

鶴見をぬけ生麦にさしかかると、みちの両側に魚屋さんが増えてきました。

 

☆  生麦御菜ヶ浦

 この辺りは、江戸城に新鮮な魚介類を供給することの見返りに、

漁場の独占など特権を与えられた御用漁村だった所だそうです。

多くの魚屋さんが軒を連ねていたのですが、午後だったのでほとんどのお店がもう商いを終え閉店していました。


唯一開いていたお店に、新鮮そうな貝だけが残っていました。

 

 

☆  道念稲荷神社

 

 

 

 

☆  生麦事件現場跡

 あの有名な生麦事件の起こったところです。

これがきっかけとなって薩英戦争がおこり、その結果、外国の武力の現実をしった薩摩藩は攘夷を捨てたのでした。

 

 

                ◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇            

 

キリンビールの工場前をとおりすぎ、しばらく行くと神奈川宿江戸方見附跡にたどり着きます。

この辺りは、京急神奈川新町駅の近くで、電車の中から見たことがある見覚えのある公園でした。

まさか、そんな歴史に関係ある所だとは、思ってもいませんでしたのでビックリしました。

 

☆  オランダ領事館跡

 

 

幕末、横浜が開港されると、神奈川宿内の寺院は諸外国の公館として使われたそうです。

 

 
良泉寺……横浜開港当時、諸外国の領事館に充てられるのをまぬがれるため、
        住職は、本堂の屋根をはがし、修理中であることを口実に、
         幕府の命令を断ったといわれています。

 

 

  笠のぎ稲荷

 

 

 

                                                                      

 

お天気に恵まれ、少し汗ばむほどの陽気でした。

紅葉も少しづつ始まっていて、あちらこちらで、赤や黄色に色づいた綺麗な景色をみることが出来ました。

いよいよ次回は神奈川宿に入る予定です。

どんな歴史が待っているのかとても楽しみです。