今回は三島から沼津まで歩きました。約9キロの平坦な道なので気分的には楽勝です。
三島までパスモを使って乗車してきましたが、熱海からはJR東海になるとのことで、改札で精算し直さねばなりませんでした。
あ~、やっと関東を脱出して東海地方に来たのだという実感を味わう事が出来ました。
三島駅前は、土曜日という事もあり、人々がのんびりとくつろぎ、長閑な感じがしていました。
東海道からは少しそれるのですが、まず駅近くの「楽寿園」に行きました。
ここは、明治維新に活躍された小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営したものですが、
明治27年より三島市が管理運営しているとのことです。
園内には、約1万年前の富士山の噴火の際に流れ出た溶岩(三島溶岩)の上に生えた樹木や、
富士山の雪解け水が湧きだす池や瀬があります。
以前、これらの池や瀬は常に満水の状態だったそうですが、上流地域の地下水汲み上げ量の増加と供に、
ここ4~50年は、地下水位が年々低下し、現在は一年のうち大半は渇水した状況だそうです。
湧水は、滅多に見られず、満水になるのも7~8年に一度くらいだそうです。
楽寿園正門
溶岩の上に根をはる樹木
渇水の ”小浜池”……池底の溶岩がすっかりと見えています。
三島 「楽寿園」
次に、東海道沿いにある三島大社にむかいました。
★ 三島大社
境内はとても広く立派で、桜の名所としても知られているそうです。
源頼朝が源氏再興を祈願し、旗挙げをしたことでも有名です。
池には、沢山の鯉がいました。亀ものんびりと甲羅干しをしています。 厳島神社
総門 芸能殿(旧総門)
神門 樹齢1200年 天然記念物に指定されている ”金木犀”
本殿
★ 三島市内
この道路沿いを少し進んだ所に「三島宿問屋場跡」 「樋口本陣跡」 「世古本陣跡」 がありました。
市内にはうなぎやさんが何軒もあり、うなぎのいい匂いがしています。行列のできているお店もありました。
三島広小路の踏切を渡ると道は二手にわかれています。左側の道が東海道です。
道なりにしばらく進むと、柿田川湧水へ行く道がありました。前に行った事が有るので、今回はパスすることにしました。
これより清水町になります。
この辺には伊豆・駿河の国境にあたる境川にかけられている、”千貫樋(せんがんどい)”があります。
千貫樋とは、楽寿園小浜池の湧水をかんがい用水として清水町に送水するための掛樋です。
創設については諸説がありますが、天文24年(1555)の今川、武田、北条三家の和睦が成立した時に造られたというのが、有力だそうです。
はじめは木製であったそうですが、大正12年関東大震災の際壊れてしまったので、コンクリート製のものに造り替えられたそうです。
命名の由来は 1 架設が巧なため銭千貫に価する。
2 この用水が高千貫の田地を潤している。
3 建設費が銭千貫を費やした。
などと伝えられていますが、この疎水により清水町は多大な恩恵を受けることができたので、 2の説であると思いたいですね。
★ 常夜燈
弘化3年(1846)、名主をはじめ村人が防災の願いを込めて造ったものです。
均整のとれた美しい姿の石灯籠です。きっと、東海道を行きかう旅人の安全も見守っていたのでしょうね。
★ 伏見一里塚
日本橋から29番目の一里塚。
宝池寺一里塚と向かい側にある玉井寺一里塚で対をなしています。
宝池寺境内には立場(茶屋)があり、道ゆく旅人に湯茶のサービスをしていたといわれています。
★ 八幡神社
境内には、頼朝と義経が対面した時に腰かけたといわれる”対面石”がありました。
★ 長沢の松並木
当時の東海道をしのぶことが出来る松並木。道の片側だけに残っています。
★ 黄瀬(きせ)川
黄瀬川は御殿場市を源流とし、沼津市のほぼ中央を流れている狩野川に合流します。
川を渡ると、いよいよ沼津市です。
★ 傍示石
江戸時代、水野出羽守忠友が城主であった頃の沼津領東端を示しています。
「 従是西 沼津領 」
しばらくは、狩野川に沿って歩きます。
★ 川廓(かわぐるわ)通り
川廓通りは、狩野川と沼津城の間に、城郭に沿って通っていた東海道です。
狩野川に舟運が開かれていた頃の舟着き場に隣接し、物資や人々の交流が盛んに行われるなど、
江戸時代の宿場町、城下町であった沼津の中心的な地域として位置ずけられていたそうです。
現在は、ひっそりとした静かなたたずまいですが、昔をイメージして整備された石畳が当時を偲ばせてくれます。
沼津市でみかけたアートの数々
★ 三枚橋城外堀跡
三枚橋城廃城の跡地に沼津城が築城されたそうです。
外堀の石垣 外堀跡
なんとか、沼津にまでたどり着くことができました。
これから先も、楽しいことにいっぱい出会えますように! 良い旅となりますように!