徒然なるままに……日々の出来事を

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東海道あるき旅⑫(箱根関所~三島)

2015-06-02 | 東海道あるき旅

   今回は、箱根関所から三島までを歩きました。 

 前日の天気予報では、ほぼ100%雨とのことでしたので、濡れた時のためにタオルや靴下、雨合羽などを用意して行きました。

 そして、なるべく荷物を軽くするために、帽子は必要ないと思い持っていきませんでしたが、

 いざ歩き始めると、雨が降るどころか薄日がさしはじめてきました。本当に、帽子を持ってこなかったことを後悔しました。

 万全の備えをしたつもりが、何処か抜けているという・・・・・・悲しい結果になってしまったのです。

    (なぜか他の人達は、皆~んな帽子を持ってきていました。)

 

  少し暑いくらいです・・・・が、 気をとり直して、箱根宿を出発で~す。 

 
                  芦ノ湖です。山の後ろに富士山が少し見えていました。

           
          テレビでよく見る箱根駅伝の往路到着地点。思っていたのより狭い所でした。

 

 

 
       昔、この辺りには、楓並木があったそうです。       当時、本陣があった所は 現在の箱根ホテルの所です。

     

 箱根宿は、小田原宿・三島宿から人々を半強制的に移住させて開いた宿だそうです。

 気候は寒冷で厳しく、平坦地に乏しく田畑がないので、住人の8割は宿泊業・往還稼ぎ・飛脚業・山稼ぎを生業としていました。

 しかし泊まり客は少なく昼の休憩が主だったので、生活は苦しかったようです。

 現在と違い街並みはひなびて粗末な造りで、湯本や畑宿の立場には及ばなかったようです。

      

★  駒形神社

   箱根神社の末社。箱根宿内の鎮守の神として信仰されていました。

 

 

 

 

  いよいよ、旧東海道に入ります。

   

 
 入口付近には「芦川の石仏群」と呼ばれる、数多くの石仏・仏塔がありました。

 

 この後、箱根峠まで急坂が続きます。

 

 

 

 

 

 

★  箱根峠

   標高846メートル。 相模国(相州)と伊豆国(豆州)の国境で境木がありました。

 ここから湯本側を東坂、三島側を西坂と呼びました。

 
                           現在は、神奈川県と静岡県の県境となっています。


  

 再び、箱根旧街道を歩きます。                                         

  
                                 萌えるような緑          「是より江戸二十五里、京都百里」の道標

  
                                 まるで、トンネルの中を行くようです。

  
   道の両側には篠竹が覆い被さるように生い茂り、なかなか風情がありました。

 

 

★  山中新田一里塚

       日本橋から26里目。 片側の塚が残っていました。

           

 

 

★  接待茶屋跡

   昔の旅人にとって、箱根の山越えはとても大変な事でした。

  箱根を往来する人や馬の苦難を救うため、人には湯茶・粥、馬には飼葉を無料で与えた所だそうです。

  寒い時期には、人足や貧しい人々にも粥を与え、焚火をして暖をとったりもしたようです。

 

 

 
            かぶと石                                      念仏石

 

 

       ◇         ◇         ◇         ◇         ◇         ◇         ◇         

 

 

  

 

 

★  雲助徳利の墓

   墓石に徳利と盃を浮き彫りにした風変りなお墓。    

   西国大名の剣道指南役だった人が、大酒飲みのためお酒で失敗し、藩外追放となりました。そして、箱根で雲助になったそうです。

  元来、教養があり剣の腕が立つことから多くの雲助に慕われたそうです。お墓はそうした多くの仲間達によって建てられたようです。

  雲助というと悪人というイメージがありますが、

  往時の雲助とは箱根の坂を登れない老人や弱い女性、病人の荷物などを運んだ人足のことで、

  決して悪い人ではなかったようです。

         

 

 

★  山中城跡

     永禄年間(1558~70)、小田原に本拠を置く北条氏康が築城した山城です。

   400年前の遺構がそのまま復元されている山城は全国的にも非常に珍しく、堀や土塁が良く残っています。

   箱根山の自然の地形を巧みに取り入れた山城の作り方には目を見張るものがあるそうです。

            
            宗閑寺は山中城三の丸跡にあります。

 

  
              三の丸堀


        

        
         特長のある”畝堀”と”障子堀”・・・ここは用水池も兼ねた水堀で、山城では非常に珍しいものです。

          

 

        

 

                              素晴らしい眺めでした。 
                             

     

        

 

 

 

★  富士見平と芭蕉句碑

      富士見平は、今も昔も富士山を望む景勝地と言われています。貞享元年(1684)、芭蕉が箱根越えした時に詠んだ句です。

 
 「霧しぐれ  富士を見ぬ日ぞ  面白き」              富士見平近くからの富士山

 

 

★  笹原一里塚

     日本橋から27里目。坂の上に左側の塚が残っていました。

 

 

 

★  こわめし坂

   あまりに坂が急なので背負った米が旅人の汗の蒸気で蒸されて、ついに強飯のようになってしまったという長い急坂です。

 本当に、ものすごく急な坂でしかも延々と長いのです。坂の両側には家家が並び人々が暮らしています。

 少々の坂では驚かない私でも、この坂にはビックリしてしまいました。

 坂を下ることに一生懸命なあまり写真を撮ることさえ忘れてしまいました。

 

 

★  松雲寺

   参勤交代で往復する西国大名や朝鮮通信使が休息する寺となり、寺本陣と呼ばれたそうです。

 

  
                             明治天皇お腰掛け石          お腰掛け石からの眺め→富士山が見えます

 

 

だいぶ、下ってきました。  もう少しです。  頑張りましょう!

 

 

 

★  初音ヶ原の松並木

   三島市内に残る唯一の旧東海道の松並木です。両側に約1キロ続いています。

 

 

 

★  錦田一里塚(にしきだいちりづか)

    日本橋から28里目。初音ヶ原の松並木の途中にあり、左右両側の塚が残っています。

  
              南側の塚                                         北側の塚

 

 

★  新町橋と三島宿東見附跡

   大場川に架かる橋。昔も今も富士山の見える景色の良い場所です。

  橋を渡った所に三島宿東見附があったそうです。

 
                                                     新町橋からの富士山

 

 

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   今回のコースは、いつもより距離が長く、

  しかも途中工事中のため迂回しなければならなかったりして、更に歩く距離が伸びてしまいました。

  箱根宿を出てからほとんどが下りの道なので、上りの時より楽なのではないかと思っていましたが、

  そんなことはなく、結構疲れてしまいました。

  でも、今迄に箱根から三島に抜けたことがなかったので新鮮な感じがして楽しかったです。

  とりわけ良かったのは、大きな富士山を歩きながら何度も見ることができたことです。

  そして、その度に疲れがとれたように感じられ、頑張ろうという気持ちになるのです。

  本当に、昔から人々に愛された不思議な力を持った山だと思いました。

  富士山 バンザイ です。