オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「共産主義」 と 「宗教」 ③

2022年01月11日 | 主義・体制
 神を信じる人にとって「神の下に平等」は、その平等の定義は兎も角、絶対善と理解していると思います。

 【私の解釈】
神の下に平等 :神を信じる限り、平等は保障される。
神の下の平等 :神は、あまねく平等を保障している。
神の下での平等:神が居る時は、平等が保障される。

 ここで問題なのは、他の神を信じる人や神そのモノを信じない人に対しては、多くの場合は平等では無い事です。その証拠に、宗教対立や戦争が起きます。それは、「私の存在を認めている絶対神を否定する人は、私の存在を否定するに等しい」との解釈も成り立ち、自己防衛本能から自衛戦争とも言えるからです。

 この「混乱」から人民を救う為に、共産主義(唯物)思想では「神の下に平等」の「神」を「法」に替え「法の下に平等」としました。所謂「法による支配(法の支配とは異なる)」です。共産党の決めた法律によって、共産党を信じる人民のみを平等に支配する事で宗教覇権を奪い「宗教戦争」を抑え込む事に成功したようです。

 論理的には正しいように見えますが、更なる問題が起こり、その解決策として「総ての宗教者と神の共産党化」が行われました。その結果、これに従わない多くの人民が抹殺され教会が壊されました。チベットや東トルキスタン(通称、新疆ウイグル自治区)では、現在進行形ですが、
バチカンはこれを認めたようです。

  共産主義以外の宗教の排除の結果、その地域から共産主義を否定する人がほゞいなくなりました。外見上、共産主義が人民を平和に導いたかのように見え、その誤解によって共産主義が世界中に広まりました。これは、情報不足から起きたようにも見えますが、実際には「虐殺の事実」を知っていても、ウイグル問題に対して「人権問題というよりも政治問題であり、われわれは常に政治的に中立だ」と言って現在でも金儲けに勤しんでいる経済人もいます。

 これだけ情報産業が発達した時代に於いても、共産主義や神を信じる人はいます。情報産業が未成熟な時に、神の啓示を受けたという人を数人確認できますが、その真偽は証明できません。つまり、否定できない事で「神の存在を証明している」との主張を許しています。

 同様に、「共産主義は間違いである。」事も証明できません。科学的には将来予測は不可能であり、過去の間違いを例に挙げても「将来の成功」を否定することは出来ません。これが「共産主義」を主張する人のモチベーションになっています。

 過去の共産主義の失敗は「人間の失敗であって思想が間違っている訳ではない」と言うのが、現存する共産主義者の言い分です。現在の中国では壮大な「共産主義実験」が行われています。「共産主義の下での平等」を企てていて、共産主義が唯一「人民の平等を保障出来る制度」と主張しています。

 共産党は国家の上部組織なので、共産党が法を決め国家を統治します。中国憲法に「習思想」を盛り込み、国家主席の任期を無制限にする事は、共産党の無謬性から当然と言えます。共産主義は神を否定していますが宗教は否定していないようです。バチカンも認めたように、習近平が教祖となり世界中が「習思想の教え」を認めるかも知れません。

 神は神の意志で、多くの人を戦争や災害などで殺戮してきましたが、地球も人も神が創造したので正当な行為とも言えます。事実、信者は神を批判しません。

 理想的な共産主義国家では、共産主義に反対する人は存在していないので、虐殺が起こっても、それは正当な行為となります。これを批判する人が出て来ても抹殺され、結果としていなくなるので「真の民主主義国家」が成立します。

 「共産主義」は、進化論で言う「適者生存」を実践する、究極のユートピア思想と言えます。そして、人民は「細胞」と呼ばれ「頭脳」に従うことで成立します。

 但し、科学的には「頭脳」は「体の細胞」の命令に従っているだけと言えます。それは、体に傷が付けば「脳」が苦しみますが、「脳」が無ければ痛みを感じないとされています。また、お腹が減ると胃が「脳」に命令して食事の準備をさせます。
 
 「脳」が無くても存在出来る事を、ウイルスやバクテリアが証明しています。つまり、「共産主義者は少なくとも単細胞以下」という事です。



「共同富裕」 と 「ベーシックインカム」

2021年11月09日 | 主義・体制
 理想的な民主主義では、どんなに金持ちでも、如何なる成功者でも「一人一票」が保障され、且つ運と能力次第で無制限に資産を持つ事が許されます。

 一方、理想的な共産主義(科学的共産主義ではない)では、総てが共有されているので私有の概念は無く、人民の投票権も意味を持ちません。選挙は、自分の意志を国政に反映する手段なので、総てが共有されている場合には「意見の偏り」が有る筈はなく、誰もが欲しいと思うモノが其処に有り、不満が有る時は全員が不満に思うからです。

 意見自体が共有されているので、不満かどうかを決めるのは誰でも良く、偶々「共産党の指導者」がいて、その指導者も共有者の一人で有る事から他人と意見が違うと云う事は有り得ません。つまり、選挙は不要と云う事です。当然「報道機関」も同じ意見なので、素晴らしい体制を自画自賛する事で用は足ります。

 これに憧れる人がいて、これを実現しようと、その前段階の「科学的共産主義」を考え付き、世界はこの方向に突き進んでいる様に見えます。

 但し、「科学」とは、本来は多様な考えを認めなければ成立しない学問なので、「科学的共産主義」自体が矛盾を包含しています。つまり、例えば「温暖化する・しない」「ワクチンは有効・無効」「資本主義は善・悪」「共産主義は人道的・非人道的」・・・等々、様々な思考を認めると、多様性を認める事になり、共有を否定する事になります。これを防ぐ為に、「粛清」が有ります。結果として、理想的な共産主義では科学は否定され、誰かが考え付いた事は誰もが考えている事になり、誰かが「ワクチンは有効」と考えたら全員がワクチン接種を望む事になります。

 「科学的共産主義」で革命が成功した後には、その革命家が粛清されるlことを以て「理想的な共産主義」が成立すると云う過去の歴史を見れば理解できます。しかし「真の共産主義」と云うのが次の出番を待っているので、安心はできません。

 一方「民主主義」も流行っているようですが、これは「共産主義」とも相性がよく、「真の共産主義」では人民全員が同じ意見を持っているので、選挙をすることなく民主主義が成立します。勿論、形式的な選挙は行われますが、結果は決まっているので意味は有りません。それは、現在のアメリカが証明しています。

 理想的な自由主義の場合は、共有するかしないかも自由ですし、労働も自由です。その自由社会を実現するためには「ベーシックインカム(BI)」が必須アイテムとなりますが、受け取る義務は有りません。また、選挙権(投票権)は保障されますが、当然、結果に従う義務は無く、好き勝手なことを言って生きていけます。その類の人民は、今の日本でも良く見かけます。

 「一人十万円」は、「BI」とか「共同富裕」への一里塚で、この思想は「労働は苦役」と考える国では、過去の資産を食い潰した段階で終了します。

 但し、「本来の日本国」のように、神様も労働し、国民が「労働は権利」と信じていた国の場合は、「BI」も良い結果を齎すかもしれません。

 飲食店経営者が「コロナ騒動」で働かずして数百万を手にした話を幾つか聞きましたが、これが「働けない事に対する補償金」と考えているのなら問題はありません。しばらく様子を見て「BI」が今の日本人に向いているのかを、判断したいと思います。



「真」 と 「眞」

2021年10月27日 | 主義・体制
 「自由」とは、「他の自由に拘束される状態」である事は以前説明しましたが、例えば、「自由落下」は重力(引力)の法則に完全に拘束された状態で、落下物の意志が入り込む余地は有りません。ビルの屋上から「自由」を求めて飛び立つ人は、確実に落下し、運が良くても天国のシキタリに拘束されます。

 そこで考え付くのが「真の自由」です。「真」は「眞」の新字体で、旧字体の曲がった部分を真っ直ぐにした所に特徴があります。新旧共に字義は同じですがイメージ的には「完全な」「嘘偽りのない」が「真」で、「生まれたままの」「自然のままの」は「眞」が合っているような気もします。

 これを「科学的」に考察すると、「真・眞」はそれ自体に正反対の意味が有ると言えます。「真円」は自然には存在しない形状で、人間の想像物でしかありません。自然の時空間には(確率的に)歪みが有る為に、「真円」は「時間」を止めるか「場」を固定しなければ存在は当然のごとく、描く事すら出来ません。

∴「真(完全)」は「眞(自然のまま)」では無い。

 この時の「自然」に、「人」が含まれるかどうかも考慮する必要が有りますが、通常は相反する概念とされます。相反する概念に同じ漢字を当てる事も「自由」であり、多様性を認める社会には必要な事です。

 但し、「真」と「眞」は互いに「偽」である事も容認しなければ、「真の多様性」を認めた事にはなりません。この事から「眞の自由主義」とは、嘘偽りが蔓延る状態を容認する思想と言えます。

 一見すると「共産主義」と「自由主義」は相反する概念の様に思えますが、
「真の共産主義」と「眞の自由主義」は方向性は逆でも、同じ思想と言えます。

 「共産主義」は生産手段を共有する思想ですが、「共有」には利害関係の調整が必要になり、その手法は「民主」か「独裁」或いは「合議制」が考えられます。

民主的共産主義;普通選挙による共産主義で、多数(無産階級:人民)の意見に少数(生産手段の保有者:資本家)が従う事を強制されるので、誰もが生産手段を放棄し、全員が多数派の人民になる事を望む為、不経済・非効率に陥る。

独裁的共産主義;選挙による場合はナチス、武力による場合はスターリン・毛沢東などが実践したが成功例は無い。

合議制共産主義;代表者を選挙で選出する場合は現在の日本の体制と似ているが、利益代表者は統一できない。ベトナムは共産主義を標榜しているが「ドイモイ(刷新)政策」により「偽共産主義」と言える。「中共」は、共産党が支那大陸を支配しているだけなので「共産主義国家」とは言えない。

 つまり、「真の共産主義」は実際には有り得ず、嘘偽りから始まる「思想」でしか有りません。一方、「眞の自由主義」はウソから生まれたマコトである「F‼!J倍伝」のアメリカの思想で、結果として嘘偽りが必要不可欠になります。

 何れも、「真偽不明で誤った情報が事実であるかのような話」を大量に放出する事でしか成立しない思想と言えます。


「グローバリズム」 と 「消費税」

2021年08月13日 | 主義・体制
 世界が統一され、誰もが「自由に好きな所に移動できる地球」を理想とする思想を「グローバリズム」と定義します。その「グローバル社会」では、当然「土地の占有権」は保障されません。何故なら、「国家」とは、支配者に土地の占有権が有る状態を云うので、占有権を認めると「グローバル社会」が成立しなくなるからです。

 民主主義国家では、国民が「国家の所有者」なのでグローバル社会とは相性が悪いのですが、共産主義の場合は共産党が国家の所有者になり、世界を単一の共産党が支配した場合は、グローバル社会が完成した状態になります。

 また、若しも「個人の完全な自由」が認められると、その究極は、世界が一人の覇権下に置かれる事も容認する事になるので、必ずしも「共産主義」だけが「グローバリズム」とは言い切れない事は明らかです。

 「世界」の「界」は「この世」と「あの世」の境界を意味し、この場合の「世界」には「あの世」は含まれません。つまり、死んだら終わりの世界です。その「グローバルな世界」では、自由往来が保障されているので少なくとも「土地の所有権」は規制され、精々「居住権」が与えられるだけです。

 現在の国際社会では、国家ごとに土地には所有権があり他人が自由に(許可なく)往来することは出来ません。また、個人の居住地も決まっているので、国家として住民税や固定資産税をその「縄張りの長」が徴収するのに便利です。

 ヒトを除く「動物社会」では、土地の所有権が無いので「先住権」を優先させ、早い者勝ちになりますが戦いに負けたら追い出されます。この思想は古くからあり、と言うよりも動物の世界では当たり前の法則なので「グローバリズム」とは言っても、有史以前からある自然則とも言え、「知能が未発達」なら誰でも思い付く思想と言えます。

 この「バカ思想」の代表例が「大侵略時代(通称、大航海時代)」であったことは以前書きましたが、これに終止符を打ったのは「大東亜戦争」です。世界を民族別に分割統治をし、対外的には平等な貿易関税で「国際社会」を安定化させる役割を持つのが「国際連合(戦勝国連合ではない)」の筈でした。

 しかし、この「平等」が曲者で、決して「公平」ではなく、強い者が勝つと云う現存の「戦勝国連合(通称、国連)」が誕生していまいました。近い将来、正義感から「民族自決の為の大世界戦争」が勃発するかも知れません。

 それは兎も角、「消費税」は貧富の差も居住地も関係なく、人なら誰でも消費をする特性を利用した平等な課税方式なので、「グローバリズム」には最も適した税制と言えます。「グローバル社会」の人民は、決まった土地に住む必要もなく、「この世」なら何処でも移動は自由ですが、「誰かが生産したモノ」を買うか盗むかしなければ生きて行くことは出来ません。

 買うと「消費税」を負担しなければなりませんが、盗むと「あの世」に逝くかもしれません。

 農家にしても「農地の所有権」は無く、誰でも使用可能で、結果として「強い者が占有可能」となり、生産に従事するのは「この世」の人民です。当然、盗み食いも自由ですが「あの世」に送られるだけなので、「この世」では何の問題も起きません。

 現在の様に、国境のある「国際社会」の場合、「消費税制度」で得をするのはドロボー(或いは輸出企業)か、消費税の安い国へ行く事の出来る富裕層なので公平とは言えません。「グローバル社会」なら、何時でも何処でも消費をするたびに同じ税率を負担しなければならないので、消費性向を無視すれば平等と言えます。つまり、「グローバリズム」と「消費税」は最も相性の良い平等な税制と言えます。

 当然「輸出関税」も無く、自由競争で強い企業が生き延びる事が出来る、合理的で平等な社会システムと言え、人民は自然界の野生の動物の様に暮らす事が出来ます。

 これこそが人類の自然な姿であり、歴史が繰り返す理由です。



「新自由主義」 と 「真自由主義」

2021年08月05日 | 主義・体制
 「自由」の定義は、見る方向や生活環境によって人様々です。

Free ①(強制的自由);自由落下や自由貿易などの、法則や法律の影響下での自由。
Free ②(解放的自由);グルテンフリーやフリーパスなど、影響を受けない自由。
Freedom(蓋然的自由);自然発生的で当然有る自由。我儘・放蕩。

Liberal(開放的自由);寛大で偏見のない自由、及びそれを他人に強制できる自由。
Liberty(特権的自由);人為的に獲得した自由。権利を行使する自由。

 私は「英語」に詳しくないので、品詞を考えない日本語で言う「自由」な分類です。日本語と言えば、「人として、自分の意志で行う義務遂行の自由」の意味である「道徳」の場合は、現在は「倫理(morality)」に含まれているようですが、厳密に言うと違います。「倫理」は他人の目から見た行為ですが、「道徳」は他の影響を受けず、自分の意志のみに「拘束される自由」の問題なので、「道徳」の英訳が有るかどうかは判りません。

 それは兎も角、「自由」には多様性が有るにも拘らず、「自由主義」は硬直的です。

liberalism(自由主義);自由と平等な権利に基づく政治的・道徳的哲学。

なので、「平等」は全ての「自由」を規制し、自分の「権利」は他人の「自由」を拘束します。そこで考え出したのが「自由民主主義」で、国民の多数意見を正しいと仮定し、総ての規制と拘束は「国民の自由意思」に由るものとして正当性が与えられました。

 これは「人為的な定義」によるもので、蓋然的な自由(Freedom)は勿論の事、実質的な自由(Liberty)も奪われますが、その代償に平等(公平とは限らない)と権利は担保され「ニューリベラリズム(新自由主義ではない)」と言われているようです。日本語で言う「社会(主義)的自由主義」のことです。

 これに対し「ネオリベラリズム(Neoliberalism)」が流行りだし、これを日本語で「新自由主義」と言います。「Neo」は「新しい」と云う意味なので紛らわしいですが、「国家社会主義」では無い事は確かです。

 「ネオリベ」の目指すところは「グローバリズム」で、日本語に直訳すると「八紘一宇」ですが、意味は全く違います。と言うより、方向性が正反対です。

 「グローバリズム」では、「自由を強制」し
欲しいモノはカネを媒介し、自由に手に入れることが出来ます。この事により「植民地主義」の欠点である「直接統治(土地と原住民の管理)」を、覇権を利用した「間接統治(国家として承認された統治者に委ねる)」で、大幅な経費の削減を齎しました。

 これを利用し、貿易での「(国際)基軸通貨」の主導権を握れば「個人」でも世界覇権を手中に収める事が出来ます。「民主主義国家」では、国家は国民の意志で動く事になりますが、恐らく世界広しと雖も「国家が自国の全ての通貨発行を握っている国」は無いと思います。通常は、民間(半官半民)の銀行が通貨発行権を握っていて、国民の意志は排除されています。

 この事に不満を抱いた人士や国家は悉く排除されました。通貨発行権を握っている銀行に対する支配権を掌握しているのがDSと呼ばれる「深層国家」で、実質的に国家を所有していると言えます。

 「国家の所有」と言えば「共産党国家」を思い浮かべますが、実は「共産主義」も「自由主義」の亜流です。その証拠に、人民解放軍を使って資本家から人民を解放した「CCP」は「XiCEO」を頂いています。また、マルクスはロスチャイルド家と親族関係に有り、当然「大富豪」です。

 ロスチャイルド家はユダヤ系ドイツ人で、19世紀には欧州を中心に世界最大の私有財産の保有者になり、明治維新以降の日本にも大きな影響を与えました。日本は日露戦争に勝ってもロシアから賠償金を貰う事が出来ず金欠に陥り、ロスチャイルド家の力添えで難を乗り切る事が出来たそうです。

 マルクスは、当時の資本主義体制に矛盾を感じ、「資本論(第一部:1867年)」を書いたとされていますが、私は「本を読まない」ので内容は知りません。そんな私が想像するに、「資産家であるマルクス」が矛盾を感じる資本主義とは「金持ちの不自由さ」であり、どんなに金儲けをしても人民から後ろ指を指されない理論の研究成果が「資本論」だと思います。

 実際に、「マルクスの信奉者」である共産主義者の代表は、莫大な資産を手に入れることが出来、しかも後ろ指を指した人は「正当に」粛清された為、完全一致型の「民主主義」を構築する事に成功しました。つまり、支配者一族以外、理論上全員が同じ自由を獲得すると云う「真の自由主義」です。

 ロスチャイルド家が、「中共」が支那大陸を支配する為に資金を提供した話は有名ですが、この「真の自由主義(共産主義)」の魅力に憑りつかれたからではないかと思われます。DSは今でも「ダミー大統領」を利用してアメリカを「真の自由主義国家」に仕立て上げようと鋭意努力中です。

 誰かの「自由」は、他の誰かの「自由」を奪います。「真」の自由ならば「対立する自由」は存在せず、世界に自由な二ヶ国以上が共存できないのは当然で、世界統一支配が「理」に適っています。これを「真理」と言います。