海のかなたの水平線は「平らな線」と書いていますが曲線です。これは水面が水平である事を前提に考えると正しいと言えます。但し、「水平線は直線ではない。」事が、大前提になります。
工事現場では建築の初期の段階で水糸を張り、水平を取ります。水糸は重力の影響を出来る限り受けないように、軽く出来ていて両端を強く引っ張ります。この張られた水糸の両端を真っ直ぐ延長すると「直線の水平線」を得ることが出来ます。これは、「水平線は直線で、且つ(時)空間は曲がっていない」事が、大前提になります。
二本の直線が平行な場合、無限に延長しても何処までも等間隔で決して交わる事は有りません。但し、平行線の存在する空間がユークリッド空間である事が大前提になります。非ユークリッド空間では、平行線は交わったり離散したりします。二本の水平線が、その延長線上で交わるかどうかは理論上の定義により、違う結果が出る事は容易に理解できます。
現実の世界で考えると、遠くに見える海の水平線は、その延長線は一周すると元の水平線に接続します。 同じ位置(経度・緯度)で、高さ(海抜)を変えた所から見た水平線どうしは、同心円状になり決して交わる事が有りません。この状態を平行と定義する事も可能で「現実の正しさ」と言えます。
宇宙空間で考えると、夜空を眺めてその視線の無限遠の先端は自分の後頭部かも知れません。また、両目で宇宙の端を見ると、その視線の無限遠の先は交差し左右が反対に見えるかもしれません。これは「理論上の正しさ」と言えます。 非現実的と考えられる非ユークリッド空間の方が現実に近いかも知れません。
「現実の正しさ」は観る人によって違い、「理論上の正しさ」はその定義によって変わります。
現在の日本の政治・経済を主導しているのは「文科系」の人が多く、その政策を「理数系」の人が見ると間違いだらけに見えます。おそらく、攻守入れ替えても同様の結果になると思います。その政策に「正当性」が有っても「正しさ」を担保するものでは有りません。
民主主義は、選挙を通して正しさを競い合う事で、その「正当性」を担保します。これが民主主義下での「現実の正しさ」です。 考え方の違いを理由に、国会審議を拒否したり国会議事堂前でデモをする事は、「正しさの定義」そのものを否定する事になり、民主主義の意義を失います。 但し、民主主義を否定する事が党是である場合は、これはこの時点では「正当性」は有りませんが、「正しい行動」と言えます。革命の結果として権力を掌握した時点で、攻守立場を変えて「正当性」を得る事が出来ます。
民主主義の結果として生まれた政権が「正しい政策を実行する」とは限りませんが、失敗しても「理論上の正しさ」の正当性は保障されています。当然、「現実の正しさ」は見る人によって変わります。 民主主義国家では、どのような政策を施行しても、殆どの場合は失敗と言われます。それは、多くの政策の選択肢の中から選ばれた内の一つしか実行できないので、必ず不備があり、選ばれなかった選択肢の中にその指摘が含まれる場合が多いので、これをもって失敗と判断されます。 これは、民主主義の欠陥とも言えます。
しかし、共産主義国家では常に正しい政策が施行され、その結果として数百万、数千万人が死んでも「成功」とされます。これは、他の選択肢は上程される事が無いからです。 「現実の正しさ」よりも「理論上の正しさ」を優先した結果です。
日本の民主主義が「理論上の正しさ」と「現実の正しさ」の、どちらで成り立っているのかは判りません。