「儒教」は孔子を始祖とする思想・信仰で、学問的側面からは儒学、思想的側面からは孔子教と言われます。
日本では儒教を学問として儒学と言い、経世済民(経済)思想や帝王学として受け入れられ、宗教的部分は仏教に習合されました。 那覇市が土地を無償で提供している孔子廟は、中国に由来する久米崇聖会の管理施設であり、孔子を祀っている霊廟なので、宗教施設と言えます。孔子廟で行われる祭礼はその名の通り「宗教行為」そのもので、土地の無償提供は憲法違反に当たります。
憲法第20条 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」
「キリスト教」はナザレのイエス(耶蘇)をキリスト(救世主)として信じる宗教です。元々はユダヤ教の一派でしたが、イエスの死後、イエスの弟子たちがその教えを「キリスト教」として広めました。 日本では戦国時代に「耶蘇教(イエスの教え)」として本格的に伝わり、時代を経て英語表記の「Christian」から「基督(キリスト) 教」に変わりました。「キリスト」は救世主と云う意味なので、キリスト教徒以外の人が「キリスト教」と言うのには違和感があります。仏教では阿弥陀仏などの仏様が「救い主」であり、「救世主」はイエスだけではない事は明らかです。本来は「耶蘇(イエス)教」と書く方が正しいと思います。
一週間が7日である事や日曜日が休日である事は、旧約聖書に書かれています。厳密に言うと公共機関が日曜日に休むことは、「旧約聖書」に従う事になり「宗教的行為」であり憲法違反に当たります。 フランス革命やロシア革命によって、1週間が7日である事はカトリックの教えであるとして廃止されましたが、カトリック教会との和解によって「週7日制」は復活しました。
日本国憲法第20条第3項 「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
日曜日に休む事自体は活動ではないので「宗教的風習」とは言えても、「宗教的活動」とは言えません。しかし、政府が日曜日を指定し国民に休日を与える事は「国の宗教的活動」と言えます。
日本には14世紀頃、六曜が中国から伝わり、六日単位の区切りが使用されていましたが、現在では「解放同盟」が「六曜のような迷信を信じることは差別的行為につながる恐れがある」などの理由から、公共機関での使用禁止と、六曜そのものの廃止を求めています。 ならば、「世紀」や「西暦」「日曜日」等も迷信由来であり、廃止を求めるべきです。 「週7日制」の由来は、神が宇宙と生物を六日で創り七日目に休んだことで日曜日が休日になったとの解釈が主流です。 また、紀元や紀元前はイエス・キリストの生誕に由来します。これを国が率先して使用する事は、他の宗教を差別する事になります。
一方、神道には教祖も経典も無いので宗教とは言い難いにも拘らず、単なる「習俗的行為」でしかない神社参拝は、公務員が公務中にする事は禁止されています。 ところが、相撲は神道に基づいた神事であり、日本国内各地で「祭り」として奉納相撲が行われていますが、公務員である首相が総理大臣杯を土俵の上で贈呈しています。大相撲の土俵の上は女人禁制であり、極めて宗教色が強い場所です。 また、被災者に対する黙祷は、その意味からして宗教的行為です。黙祷とは、無言で神等の人間を超越した対象に対してお願い等をする事です。宗教が無ければ、死んで原子や分子に分解された人体に対して祈る事は無意味であり、更に、神も仏も無いのなら祈る相手もいない事になります。
これらの矛盾は、「宗教活動」と「宗教的活動」の曖昧さから来ます。 しかし、GHQ由来の昭和憲法に「落書き」されているのは「宗教的活動の禁止」なので、公務員が公務中に大相撲に関与する事や、被災者に対し公務中に黙祷する事も憲法違反になります。「宗教活動」ではないにしても、宗教に由来する「宗教的な活動」だからです。
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