憲法前文の中段からは単なる「希望」のようなことが書かれていて、「憲法の無謬性」を展開することは出来ないのですが、
「・・・われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。・・・」
と、書いているように「国際社会」に関する事実誤認が当時から有ったようです。認識不足だったかも知れませんが、先達はウソと知っていても従わばければ「皇統の維持」は勿論の事、更に多くの無辜の一般市民や無実の為政者が「リンチ事件(通称、極東裁判)」の犠牲になるので、止むを得なかったと思います。
続けて、
「・・・われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。・・・」
と書かれていて、世界の国民の「権利」について日本が口出しするのは「内政干渉」に当たることから、「・・確認する。」でうまく逃げています。
上記の文言はまさに「神話」の意味する、「実体は明らかでないのに、長い間人々によって絶対のものと信じこまれ、称賛や畏怖の目で見られてきた事柄。」そのものです。「神話は歴史ではない」と、現在の歴史学者は言いますが、「神話」を書いた当時の「歴史学者(記紀の編纂者)」は、それは百も承知で「神話の部」と「天皇の部」を分けています。ところが、「憲法前文」では「神話・希望・嘘・願望」などが綯い交ぜに書かれているにも拘わらず、現在の「憲法学者」はこれを分離できないでいます。
この場合の「憲法神話」は、千年以上前に書かれた「日本に伝わる神話」等とは違って、「将来、そうあって欲しい他国」を引き合いにした儚い希望を、日本に押し付けたに過ぎません。発効後70年以上経過しましたが、未だにその「神話の世界」を地球上に見出す事は出来ません。
この、実現不可能で「他愛もない願望(思うのは簡単)」のみが行き過ぎた場合を「ポリティカルコレクトネス」と言い、現在では「日本国憲法」を創作したアメリカ自身が「この罠」に嵌まっています。
夢見る国民の表現や思想・信教の自由は「憲法」で保障されていますが、「理想を求める憲法自体の信教の自由」をもこの憲法自身が保障しなければ、「矛盾の無い憲法」を維持することが出来ないのかもしれません。
「・・・われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。・・・」
と、書いているように「国際社会」に関する事実誤認が当時から有ったようです。認識不足だったかも知れませんが、先達はウソと知っていても従わばければ「皇統の維持」は勿論の事、更に多くの無辜の一般市民や無実の為政者が「リンチ事件(通称、極東裁判)」の犠牲になるので、止むを得なかったと思います。
続けて、
「・・・われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。・・・」
と書かれていて、世界の国民の「権利」について日本が口出しするのは「内政干渉」に当たることから、「・・確認する。」でうまく逃げています。
上記の文言はまさに「神話」の意味する、「実体は明らかでないのに、長い間人々によって絶対のものと信じこまれ、称賛や畏怖の目で見られてきた事柄。」そのものです。「神話は歴史ではない」と、現在の歴史学者は言いますが、「神話」を書いた当時の「歴史学者(記紀の編纂者)」は、それは百も承知で「神話の部」と「天皇の部」を分けています。ところが、「憲法前文」では「神話・希望・嘘・願望」などが綯い交ぜに書かれているにも拘わらず、現在の「憲法学者」はこれを分離できないでいます。
この場合の「憲法神話」は、千年以上前に書かれた「日本に伝わる神話」等とは違って、「将来、そうあって欲しい他国」を引き合いにした儚い希望を、日本に押し付けたに過ぎません。発効後70年以上経過しましたが、未だにその「神話の世界」を地球上に見出す事は出来ません。
この、実現不可能で「他愛もない願望(思うのは簡単)」のみが行き過ぎた場合を「ポリティカルコレクトネス」と言い、現在では「日本国憲法」を創作したアメリカ自身が「この罠」に嵌まっています。
夢見る国民の表現や思想・信教の自由は「憲法」で保障されていますが、「理想を求める憲法自体の信教の自由」をもこの憲法自身が保障しなければ、「矛盾の無い憲法」を維持することが出来ないのかもしれません。
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