「停止」している人(S)がいて、ある人(C)がSに対して(相対的に)光速で移動した場合、CはSに比べて場の時間経過が遅くなり、Sの所に戻ってきた時は、Sは過去の人になっていて会えないかもしれません。Cは予めこの「事実」を知っていたのだから、外見上、CがSを「認識した過失」、或いは少なくとも「未必の故意」により殺したように見えます。
つまり、CがSを含む総てのモノをこの世から抹消したくなったら、Cは光速移動して帰って来るだけで、希望が叶うという事になります。勿論、Sは痛くも痒くもありませんし、寧ろCに合わなくて済むので、喜んでいるかもしれません。
相対性理論では、質量のあるものは光速に近づくに従ってその質量が増え、理論上では光速になると無限大の質量になるとされている為、有限の宇宙で無限大の質量を包含することは出来ないので、光速での移動は不可能と言う人もいます。しかし、これは止まっている人Sから見ての光速であり、加速時と減速時或いは方向転換時以外は、Cにしてみれば自分と飛行船は止まっているとしか認識できませんし、「見えている」廻りが動いているだけで、自分には異変は起きません。Cが停止していた時に「同じ場」にあって見えていたモノ(M)は、相対的に光速(を超える速度)で過ぎ去る為に見えないし、干渉もされません。
干渉されないという事は、CがMと「光速で衝突しても影響を受けない」という事で、CがMに対して相対的に光速に満たない時に衝突すると、壊滅的な結果を迎えますが、MとCの相対速度が光速なると、日向ぼっこをする程度の影響しか受けない事を意味します。
物質の成分である素粒子は元々波動であり、その素粒子は相互作用により「相対的に定位置で振動」する事で一つの塊が与えられ、この塊が「モノ」として認識できる物質になります。光速で近づくCとMは、互いに相手を「無限の質量と同時に無限の領域を持つ」波動としてしか認識できないので、透き通っていくか、少しだけエネルギーを貰って何もなかったかのように「安全に」通り過ぎていきます。
紫外線が皮膚がんの原因になる可能性が有るように、放射能も人体に影響します。「光速移動」をする人CはMの「放射線」を浴びガンで死ぬかも知れません。通常は放射線が自分に向かって来るのですが、Cは自ら物体Mを光速で突っ切る為、自分はMの放射線を浴び、MからしてみるとCの放射線を浴びる事になります。これは、互いに相手を波動としか認識できないからです。
天照大御神は光の化身なので、人間には光としてしか認識出来ません。しかし上記の理論からすると、見えないからと言って存在しない訳では有りません。光の波動を認識できると云う事は、その存在を仄めかしています。
自分が観る自分は、実は自分ではなく、単なる素粒子の塊に過ぎません。
光を見る自分は、天照大御神を観ていると言えます。
若し自分に、他人が見えた場合は、天照大御神を通して他人の存在を認識した事になります。
同様に、自分は他人によって、その存在が保障されます。
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