オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「国」と「地域」

2019年11月11日 | 歴史

 現在で言う北陸地方は、古代に高志(こし)と呼ばれ「ヤマタノオロチ伝説」で有名な地域です。7世紀ころに「越国(こしのくに)」と云う「地方王国」になり、これが8世紀ころに律令制度によって「北陸道」と呼ばれ複数の「令制国」に区分されたと言われています。

 但し、「越国」に王がいたからと言って「越王国」とは言いません。「越国」を王が統治していたのではなく、王の位を認められた人物が「越国」に住んでいたと云うだけで、当時は「地方豪族の最有力者」を「王」と言っていたと思われます。暴力団の縄張りを「国家」とは言わないのに似ています。

北陸道の令制国:若狭、加賀、能登、越前、越中、越後、佐渡。

 「統治」とは、統治者が被統治者を排他的に管理しうる事を言うので、「国境」が確定しなければ、そこに「王」が住んでいて、自称「王国」と名乗ることは出来ても、「統治王国」とは言えません。また、ある人物を「王」として承認する政体が上部組織としてあれば、その自称「王」は「国王」ではなく、現在で言う「地域の知事」みたいなモノです。大化の改新以降に中央政府から「国司」が派遣される事で「令制国」となり、当時としての「国」が成立しました。この「国」は、あくまでも「地方自治を認められた地域」と云う意味で、現在で言う「県」や「州」の事です。「州」も「しゅう」と読んだり「くに」と読んだりします。

 古代、中世、現代に於いて、「統治」とか「政体」「国・州」等の定義が変わるので、過去に言われた呼称が、現代の意味での名称とは必ずしもその実態が同一とは言えません。

 近年になって言われている「琉球王国」や「ムツゴロウ王国」などは、個人的なテーマパーク名なので、問題外なのですが、勘違いする人が稀に居るかも知れないので説明します。

 「琉球王国」の名称は、観光誘致(沖縄国際海洋博覧会:1975年開催)等のために普及させた俗称であり、「琉球國(ルーチュークク)」が1429年~1879年の450年間、沖縄本島を中心に存在した「国名」です。有力な説によると「琉球」は、現在の沖縄県や台湾を含む地域を、隋が命名した呼称ですが、沖縄に住んでいる人は自分たちの住んでいる土地を「おきなわ。うきなは。」に近い音で呼称していたそうです。

 7世紀初頭に「隋の使者」が「沖縄(隋での呼称は琉球)」に来て「人質や甲冑を奪っていった記録(隋書)」が有り、この事実は沖縄が支那に属してはいなかった事を示しています。支那が明の時代になり、14世紀から15世紀にかけて、沖縄は明によって正式に「琉球」と命名され、沖縄は冊封貿易の為の自国名に「琉球國」を用いたそうです。

 「冊封」とは、「天子国」に対して「冊封(される)国」が「税金」を納める事は無く、「天子国」を支配する「皇帝」の臣下として「冊封(される)側の君主」が認められているだけです。これは、国家同士の取り決めでは無く、「個人的」に「地域」の権力者の力関係を予め決めることで、無駄な争いを避ける為には有効な制度と言えます。勿論、朝貢貿易による経済効果が大きかった事も「冊封」が継続した理由です。

 沖縄には平安言葉が今でも残っていて、例えば沖縄方言の「アーケージュー」は平安言葉の「アケズ」が語源だそうです。古事記では、神武天皇が平定した「地域」を蜻蛉(あきつ:トンボ)に例えた歌にして詠い、この事から日本を「大倭豊秋津島」(おおやまととよあきつしま)と言われるようになったと書いています。

 神武天皇の時代に「蜻蛉」をどのように発音していたかは判りませんが、平安時代(8世紀~12世紀)には「アケズ」と言い、これが沖縄に伝わり「アーケージュー」に方言変化したとされています。他にも多くの文化的共通点や科学的一致点から「沖縄地域」と「秋津洲地域」とは、古くから同じ文化圏だったと言えます。



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (yk-soft-85)
2019-11-12 21:29:50
「朝鮮」も支那から貰った国名なので、似ているかもしれません。但し、これは「支配層の特徴」なので・・・、と言うよりも、一般市民の政治的無関心がそうさせているかもしれません。
返信する
Unknown (goozmakoto)
2019-11-12 17:04:50
 地元では本来おきなわ、というのに、琉球という名前を支那王朝から与えられた、ということには目を開かれました。沖縄県民は日本人なのに、朝鮮のような小中華的発想を時々する、と考える次第です。
返信する

コメントを投稿