「アラビアンナイト」は元々、アラビア語では「アルフ・ライラ・ワ・ライラ(千夜と一夜)」ですが、最初にフランス語に翻訳された「千一夜」でも数えると「282夜の物語」だそうです。また、結末が無いことを利用して欧州人が勝手に、その後の物語を追加したようです。
「アラジンと魔法のランプ」「シンドバッドの冒険」「アリババと40人の盗賊」「空飛ぶ絨毯」なども、元々のアラビア語の写本には存在していない物語のようです。原本の「千夜と一夜」自体がイスラム教に則っているかどうかは判りませんが、現在発行されている「千夜一夜物語」に対して、反イスラム的な表現が有るとして裁判が起きたそうです。
日本でも、「南京大虐殺物語」「従軍慰安婦物語」など、多くの「作品」が発表されていますが、証人が他界した時期を見計らって、証明できない「被害者の物語」が創作されました。世界標準では「歴史は勝者が創る」のですが、日本では「敗者が創る」ようです。最近では、この物語が「作り話」である事が国民に知れ渡るようになって、日本の報道機関も大人しくなってきました。
しかし、アメリカの作品である「バターン死の行進物語」を、今でも多くの日本人は「史実」と思っているようです。この作品は、日本軍の勇敢さと優しさを隠す為に創作された「戦中戦後物語」です。元々は、アメリカ軍の「白旗作戦」を題材にしていて、フィリピンを占領していた米軍のダグラス・マッカーサーが、日本のフィリッピン上陸と共にマニラからコレヒドールに逃げましたが、日本軍に追い詰められると自軍の輸送車両を破壊し部下の兵隊を置き去りにして逃げた為に、米軍7万人以上が白旗上げて投降し、日本軍の兵隊一人が百人以上の米軍捕虜を引率する状況に陥った為に起きた悲劇です。
悲劇とは言っても、全行程は140Km有りましたが1/3は鉄道とトラックで、それ以外は日本軍は20Kgの装備を背負い、米兵捕虜は着の身着のままの軽装で、同じ行程を一緒に歩きました。捕虜は、日本兵の監視が緩かったので、いつでも逃げることは出来たのですが、逃げても現地人に嫌われているので、日本の捕虜でいる方が安全だったようです。
第14軍司令官の本間雅晴中将や捕虜移送責任者であった河根良賢少将は、「死の行進」の責任者として「マニラ・リンチ事件(通称、マニラ戦犯裁判)」で死刑になりました。しかし、何故か捕虜に対する「偽の殺害命令」を偽造して、実際に捕虜虐殺の原因を作った辻政信中佐は、戦後GHQのエージェントとして働き、訴追される事は有りませんでした。
辻政信中佐は、この他にも日本軍に多大な被害を与え、戦後には蒋介石国民党政権の国防部勤務という肩書きを与えられていたそうです。現在の日本にも、中共の野戦司令官を自認する「元自民党幹事長」や、中共に恩義を感じる「現幹事長」がいます。
「アラジンと魔法のランプ」「シンドバッドの冒険」「アリババと40人の盗賊」「空飛ぶ絨毯」なども、元々のアラビア語の写本には存在していない物語のようです。原本の「千夜と一夜」自体がイスラム教に則っているかどうかは判りませんが、現在発行されている「千夜一夜物語」に対して、反イスラム的な表現が有るとして裁判が起きたそうです。
日本でも、「南京大虐殺物語」「従軍慰安婦物語」など、多くの「作品」が発表されていますが、証人が他界した時期を見計らって、証明できない「被害者の物語」が創作されました。世界標準では「歴史は勝者が創る」のですが、日本では「敗者が創る」ようです。最近では、この物語が「作り話」である事が国民に知れ渡るようになって、日本の報道機関も大人しくなってきました。
しかし、アメリカの作品である「バターン死の行進物語」を、今でも多くの日本人は「史実」と思っているようです。この作品は、日本軍の勇敢さと優しさを隠す為に創作された「戦中戦後物語」です。元々は、アメリカ軍の「白旗作戦」を題材にしていて、フィリピンを占領していた米軍のダグラス・マッカーサーが、日本のフィリッピン上陸と共にマニラからコレヒドールに逃げましたが、日本軍に追い詰められると自軍の輸送車両を破壊し部下の兵隊を置き去りにして逃げた為に、米軍7万人以上が白旗上げて投降し、日本軍の兵隊一人が百人以上の米軍捕虜を引率する状況に陥った為に起きた悲劇です。
悲劇とは言っても、全行程は140Km有りましたが1/3は鉄道とトラックで、それ以外は日本軍は20Kgの装備を背負い、米兵捕虜は着の身着のままの軽装で、同じ行程を一緒に歩きました。捕虜は、日本兵の監視が緩かったので、いつでも逃げることは出来たのですが、逃げても現地人に嫌われているので、日本の捕虜でいる方が安全だったようです。
第14軍司令官の本間雅晴中将や捕虜移送責任者であった河根良賢少将は、「死の行進」の責任者として「マニラ・リンチ事件(通称、マニラ戦犯裁判)」で死刑になりました。しかし、何故か捕虜に対する「偽の殺害命令」を偽造して、実際に捕虜虐殺の原因を作った辻政信中佐は、戦後GHQのエージェントとして働き、訴追される事は有りませんでした。
辻政信中佐は、この他にも日本軍に多大な被害を与え、戦後には蒋介石国民党政権の国防部勤務という肩書きを与えられていたそうです。現在の日本にも、中共の野戦司令官を自認する「元自民党幹事長」や、中共に恩義を感じる「現幹事長」がいます。
後半は「物語」では無く、「歴史」です。
以前パーティーで一緒になったアメリカ人は、父親がこのバターンの行進をやったそうで、このアメリカ人は父親からバターンの行進についてよく聞かされていたと言ってました。そしてもちろんこの話になると怒りをあらわにし、当時の日本人をけなしていました。いろいろ反論したけど聞く耳あらずで、全部が日本軍が悪いと信じています。こんなもんですよ、アメリカ人の戦争に対する感覚と言うか世界観は。すべてがアメリカ中心でアメリカは正義と思っている。原爆なんて所詮戦争を終わらせるための必要不可欠な行動だった、ですから。腹が立つだけなので、私は主人とも子供とも大東亜戦争については話しません。
アメリカ人が「アメリカは正しい」と思うのは、間違いでも理解は出来ますが、日本人は今でも「日本は間違った戦争をした」と言う人が、私の廻りでも多数派です。しかも、向こう側から口火を切ってきます。多くは「読書家」なので、私に対して「ネットばかり見ているから右翼思想に染まる」と、言います。
その言葉を聞いて、逆に未来は明るいと思えるようになりました。今の若者は、活字媒体を見ないでネット情報を多く見ているので、真実が広まることを期待しています。