大東亜戦争の戦況が悪化した1943年以降、日ソ中立条約によりソ連軍との戦闘がなかったため「関東軍の精鋭部隊」は南方軍に戦力を提供しました。その埋め合わせに1945年になると在留邦人を対象に「根こそぎ動員」を行い、数の上では78万人以上に達しましたが、その時点で満州防衛に必要な戦力にはなり得ませんでした。
日本軍の南方重視戦略と日ソ不可侵条約は、実はソ連が仕掛けた「コミンテルンの罠」で、アメリカや日本に対する内部工作に拠るものです。
「ソ連」とは、ソビエト社会主義共和国連邦の略称で、複数のソビエト共和国により構成された連邦国家です。「ソビエト」とは日本語で「議会」を意味し、「ソ連」は「議会独裁連邦」と言えます。普通選挙が無い事からも「独裁」と言え、その国際戦略は「各国の議会」を手中に収める事です。アメリカも日本も議会がかなり浸食され、第二次大戦が「ソ連」にとって有利に動きました。
1945年8月の出来事です。
9日、ソ連は、不可侵条約を破り満州に侵攻を開始。
10日、大本営は関東軍に、朝鮮防衛と司令部の移転を命令。
14日、関東軍司令部は通化に移転。
15日、玉音放送。
16日、降伏と停戦の連絡が入り、関東軍は停戦を決定。
以降、8月末までは散発的に戦闘がある。
「関東軍」が「大本営」の命令で指令本部を移転するまでの期間は「4日間」です。この間に、ソ連や中国・朝鮮人による民間日本人に対する虐殺が有り、これが「関東軍は開拓殖民を見捨て、逃げ出した。」と、後から非難された事件になります。
この短期間で「関東軍」が出来る事は、
① 何時ものように、「大本営」の命令を無視して、国際法違反のソ連と正面切って戦争をする。
② 独自の判断で、民間人を「強制避難」させる。
③ 少し前まで民間人であった新兵を、最前線に送る。
④ 少し前まで民間人であった新兵を、朝鮮半島まで後退させる。
⑤・・・
①は、不可能です。当初の「関東軍」は、朝日新聞などに踊らされた民衆の「お祭り騒ぎ」の後押しが有りましたが、終戦近くになると、民衆は騙された事に気が付き、沈黙を決め込みました。国民の応援が無ければ自由な行動はとれません。
②は、そもそも「軍隊」には犯罪者以外の民間人に対する「強制権」は無く、戦闘時以外は現地の警察の依頼が無ければ強制することは出来ません。但し、軍警察(憲兵)や当時の行政機関との連携や行動が定かでないので判断は出来ません。
③は、有り得ない作戦です。
④は、この新兵の数は25万人ほどいて、その親族を含めると数倍になります。この「関東軍新兵」を撤退させるという事は、当然家族も付いてくることになり、現在考えても正しい選択と言えます。
⑤、「関東軍」は世論の結果です。沈黙した国民による「関東軍に対する非難」を許す事は、将来有事の時の「憲法9条に縛られた自衛隊の行動」も、沈黙する日本人によって非難される事になります。
私は歴史上の事件などについて、失敗と思われることから学ぶ、ことはあっても、後世の人間が間違いだなんだと断罪することは好きではありません。その時代時代、状況によって醸しだされていた空気のようなものを、肌で感じることはもはやできないのですから、結局は現代人の感覚で裁くことになるからです。後世の人間にできることは、ご投稿の記事にあるように、事実を示し、そこから起きた事実、行動の意味を想像することのほか無いように思います。
しかし、同じ状況下から想像するとしても、欧米人や、中国、朝鮮半島人がとりうる行動と、日本人がとりうる行動はおそらく違ってくると思います
そのとき日本人ならばどうした、ということは、ある程度古代からの日本と日本人の歴史を知らなければ導けないとも思います
私は、この度テレビとうさんさんが示された事実と、そこから起きた事実に対するテレビとうさんさんのお考えは、日本人云々をぬきにしても、客観的であり正解だと感じております
長々失礼しました
ありがとうございました
歴史から学ぶにしても、敵もその裏をかくので、なかなか難しいですね。
太平洋戦争が始まる前から、アメリカは日本の歴史や日本人の性格を調べ上げて、戦後の準備をしていたそうです。
日本人には、更にその裏をかくのは出来ないと思うので、バカ正直な方が寧ろ良いかもしれませんね。