「ハンディキャップ」には微妙な意味の違いがありますが、状況としては同じで「通常の状態よりも不利な条件を課される」と云う事です。主に、競技者間の実力差が大きい場合に、その差を調整するために事前に課されるハンデの事です。
怪我をした人や身障者に対しても「ハンディキャップ」と云う言葉が使われますが、例えば「身体障碍者」の場合は”Physically handicapped person”です。これは、今では“the Challenged”とも言われるように「神からの課題に挑戦する人」と云う意味と考えると理解できます。
ところで、「日本はハンディキャップ国家だ。」とよく言われますが、・・
①『靖国問題と中国』屋山太郎、岡崎久彦(海竜社)抜粋
・・小和田恒元外務次官、元国連大使(現国際司法裁判事)が『日本ハンディキャップ論』を唱えたのは有名だ。日本はハンディを背負っているのだから一人前の行動や発言をしてはいけない、との暴論である。・・
②『渡部亮次郎のエッセイ集』抜粋
・・その小和田が外務事務次官時代(1991年8月~1993年8月)に展開して、未だに外務省員を支配しているのが、「ハンディキャップ国家論」である。日本は他の大国と違って、憲法9条の平和規定が厳然としてある。仮にPKOなどの国際貢献でそれがハンディキャップとなっても、最大限尊重すべきで、あくまでも憲法の許される範囲内で、世界に貢献すべきだ、という論である。 ・・
-- 小和田恒(おわだ ひさし)氏は、雅子皇后陛下の父親で、現在は国際司法裁判事を退職しています。--
①は、まさしく暴論で、「ハンディを背負っているのだから一人前の行動や発言をしてはいけない」のなら、障碍者は少なくても自分の欠損部分の話をしてはいけない事になります。
②の、「日本は他の大国と違って、憲法9条の平和規定が厳然としてある。」はウソです。「平和規定」はほゞどの国の憲法にも書いてあり、日本が強い為「ハンデ」として9条2項に手段としての「手枷・足枷」を具体的に書く事で、「障碍の範囲内で努力せよ」と云う意味になり、トンデモ論と言えます。
今では「ハンディキャップは克服すべき課題」と解釈するのが当然なので、強靭な人に課せられた場合でも、例え神によって課せられた場合でも、これを克服する“the Challenged”でなければなりません。
日米安保を「ビンのフタ論」で説明する人もいますが、これは、「日本に米軍を配備すると日本の軍拡を抑えることが出来る」との思惑からで、トランプ大統領になってからは破綻しています。しかし、米軍基地の利点もあります。
日本に中国人や韓国人の観光客を大量に受け入れても、中国共産党は人民を平気で殺戮するので、人質としての効用はありませんが、欧米の白人を日本に多く住まわせれば、中国もロシアも日本を攻撃する事が出来なくなります。つまり、日本国土全体を「白人製のフタ」で覆う事で、最も効果的な安保戦略が成立します。
但し、憲法9条を盾に自衛隊の集団的自衛権を含む海外展開を拒否すると、「身も蓋も無くなり」、中身の日本人も居場所を失います。
しかし、
神からの課題は健常者の真似をすることではない。
皆さん誤解していますが。
障害は人と違うことに挑戦するチャンスです。
日本だからこそできることがある。
それをしてこなかったツケが回ってきたんじゃないですかねー。
私も「記憶力の悪さ」の克服に「ネット検索を利用して」挑戦しています。
ブログは「自分が考えた事を忘れない為のツール」です。
みんな「チャレンジド」です。