オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「アイヌ」 と 「シャモ」 ②

2020年06月29日 | アイヌ
 「アイヌ」と「シャモ」の意味については以前書きましたが、ここでは地名について書きます。

 2001年1月22日朝日新聞夕刊の「窓」コラムに「四万十川の語源がアイヌ語のシ・マムト(甚だ・美しい)である。」と載っていたそうです。勿論これは朝日だけあって「ウソ」なのですが、実は原典があって、寺田寅彦 全随筆集2(岩波)p560~567 「土佐の地名」より、

『誤解をなくする為に断って置きたいと思うことは、左に地名と対応させた外国語はようするにこじつけであって、唯或る一つの可能性を示唆し、所謂作業仮説としての用をなすものに過ぎないということである。・・・』

の部分を書かないで、「四万十川のアイヌ語説」を記事にしたと云う事です。

 江戸時代の宝永5年(1708年)の土佐物語には「四万十川 わたりがわ」と記されていて、「渡川」が「四万十川」と正式名称になったのは1994年だそうです。若し、「四万十」の語源がアイヌ語の「シ・マムト」だったとすると、アイヌ人が四国に住んでいたか、或いは四国に住んでいた「シャモ(和人)」がアイヌ語を知っていたかの何方かです。

 ここで疑問なのが、逆に「アイヌ語」の由来は「シャモ語」に有るのでは、と何故思わないのか?とか、日本中に住んでいた(とされる)アイヌは、何故アイヌだけ「文字」を失ったのか?です。

 和人が四万十川を指さして「シャモ語」で「しまんと」と言っていたのを聞いた「アイヌ人」が、「非常に美しい」事を「シャモ」は「シ・マント」と言うと理解したとも考えられます。朝日新聞の記者が「二千年以上前から和人も言葉を話していた」事を知らなかったのかも知れませんが、アイヌが文字を持たなかった事は歴史上の事実とされています。

 また、アイヌ人が四国に住んでいたという「科学的根拠」は聞いた事がありません。日本中で「和人」と「アイヌ」が住んでいたのなら、昔から「アイヌ語を使う和人」と「シャモ語を使うアイヌ」、「文字を使わない和人」と「文字を使うアイヌ」などは当然いたと思われるので、「アイヌには文字が無い」と言う史実は間違いであると言えます。しかし、そのような学術論文は見た事は有りません。 

 ネットを調べると、日本各地の「地名アイヌ語説」が数多く見られますが、最初は「うわさ話」「こじつけ」「おもしろ話」から始まり、その話が拡がって「そうらしい」とか「私も聞いた事がある」になり、「学者の文献によると」とされ、報道機関によって「確定事項」として書かれます。

 日本各地に「アイヌ人」が元々住んでいて「シャモ」からの迫害によって北海道に追いやられたと云うのなら、「シャモ」は何処から来たかを証明すれば事は足ります。例えば、支那大陸から「シャモ」が攻めてきたと言うのなら、「シャモ」の祖国は「支那大陸」と云う事になり、「イスラエル」の様に支那大陸に「シャモ国」を建国する事が出来ます。

 しかし、現在の科学で証明されているのは、「シャモ」は縄文人に由来し一万六千年以上前から日本列島に住んでいた「先住民族」であって、アイヌは今から八百年ほど前からしか日本列島にその痕跡は残っていません。後から入ってきた人が「先住民族」に成れるのならば、明治以降に入植した「屯田兵」も「先住民族」になり、「屯田兵保護法」が必要になります。




コメントを投稿