オメガねこ

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「権利」 と 「義務」

2019年06月08日 | 法律

 一般に「権利」とは、与えられた、或いは生まれながらにある、行為の実行・不実行の自己決定が可能な資格を意味します。また、権利は放棄する事が可能とされていて、権利保有者の任意の意思に任されています。 「与えられている」場合は、「与える主体」と「保障する主体」があって初めて有効になります。 「生まれながらにある」場合は、人の生存に不可欠な最低限の「自明な権利」として、「基本的人権」と言います。

 日本で「人権」と云う言葉が使われたのは、江戸末期の西周によるものとされていますが、それ以前にも日本には奴隷制度は無く、人として当然の概念なので「人権」という言葉自体不要だったとも思えます。 最初に「Right(人権)」の観念が生まれた欧州では、奴隷制度が当然の社会システムだったので、「人権」は自然法ではなく支配者と人民の契約によって生まれるとされ、当然ながら「奴隷」には人権は有りませんでした。

 憲法第11条 

国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

 憲法第12条 

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 「基本的人権」の本来の意味としては、憲法の保障に拘わらず、人が生まれながらにして持っている権利を意味しますが、昭和憲法では、基本的人権は憲法により与えられ、更に国民に保持する義務を強いています。「社会契約論」と云う、18世紀に生まれた古めかしい理論から派生したモノです。

 一般に「義務」は、従うべき事柄を意味し、義務に反した場合には制裁があるとされます。 「権利」とは違って、生まれながらにある「基本的人義」は定義されていませんが、日本では「仁義」がそれにあたると思います。「仁」の原義は「二人」と云う意味で、「義」を尽くす相手がいる事で「義務」を果たすことが出来、「仁義」を欠くと「その道」では生きて行けない時も有ります。

 憲法第26条第2項 

べて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 憲法第27条 

すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

 憲法第30条 

国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

 国民には教育や勤労の「権利」が与えられていますが、その権利は公共の福祉の為に利用する「義務」が有り、教育・勤労それ自体に「義務」があるとも書かれています。 つまり日本国民は、基本的人権を含めて、「自分自身の為だけにする教育や勤労等の権利、或いは生きる権利」は保障されないと云う事です。

 昭和憲法は、義務化された「権利」と、従う事を強制された「義務」を定義しています。憲法上「権利」は放棄できません。

 本来の常識としての「権利」は、放棄の可能性を含み、法律の範囲内での自由行使・不行使認められます。 本来の常識としての「義務」は、制裁を受忍する人には、法律の範囲内での拒絶・不行使が認められます。

 卑近な例としては、交通法規を守る義務は軽微な場合に於いて、交通反則通告制度により反則金を支払う事で公訴を免れます。「処罰を受忍すれば、義務に従う必要はない。」との(飛躍した)思考が生まれるのも、現在の法体系から来るものと思われます。 昭和憲法には国民の「法律を守る義務」は書かれていません。法律全般には詳しくないので、正しいかどうかは判りませんが、日本の法律には「犯罪の種類と罰則」は書かれていますが、「法律に従わなくてはならない」とは書かれていないと思います。

 刑法第199条 

人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。 

 「人を殺す事を禁止する。」ではないので、「死刑を受忍すれば人を殺しても良い。」と解釈する「自殺願望の人」も実際に居ました。「自分では怖くて死ねないので、人を殺せば楽に死ねると思った。」と云う類です。正に「一人で死んでほしい。」です。

 本来は常識的な「義務」や「権利」が、昭和憲法にわざわざ「曲げて」書かれているのには理由が有ります。 それは、ごく最近まで白人の世界では人権意識が低く、日本には無かった奴隷制度でも当然の制度と考えていました。しかし白人社会でも戦後、これが間違いである事に気付いた為、戦前の日本も同様であったかのように洗脳する為に昭和憲法が創られたからです。

 更に、昭和憲法の正当性を強化する為に「WGIP」を日本人に植え付けました。 結果として、日本人は占領統治法(所謂、昭和憲法)を70年以上に亘り信じ続けています。

 



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