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追悼 伊藤 裕一

2020-06-19 23:28:00 | 愛媛FC
今日はこんな記事が目に止まりました。




【記事全文】 

愛媛FCサポーター死去



愛媛FCを四国リーグ時代から支えてきたサポーターの伊藤裕一さん(西条市出身)が今月初旬、10年余りに及ぶがん闘病の末、51歳で亡くなった。コールリーダーとしてゴール裏を率い、2005年のクラブのJ2入会をめぐる騒動では、先頭に立って署名活動に奔走し昇格をアシスト。功労者の訃報に、サポーター仲間やチーム関係者から追悼や感謝の声が相次いでいる。

愛媛初のJクラブ誕生が現実味を帯びていた05年9月、施設の不備などから「J入りは困難」と突如表明した鈴木昌チェアマン(当時)の発言に県内は揺れた。そこで伊藤さんらサポーターが立ち上がり、自ら企画したシンポジウムを開くなど県民にJ参入の意義を広く周知し、署名を呼び掛けた。

約2カ月で集まった署名は21万人超。リーグへの提出の場に立ち会った関東在住者のグループ「愛媛サポートクラブ」代表の和泉逸平さん(47)=愛南町出身=は「伊藤さんの熱意があったから、あれほどの数を集められた。愛媛FCのことを一番考えていたサポーターで、大黒柱だった」と振り返る。

伊藤さんが愛媛FCに関わるようになったのは00年。結成されたばかりのサポータークラブに加わった。硬派な応援スタイルは時に周囲とぶつかることもあったが、初期からの中心メンバーで「ラランジャトルシーダ」代表の松本晋司さん(53)=松山市=は「愛媛FCを世界に誇れるクラブにしたいという強い気持ちで活動していた。彼の人を巻き込む力で仲間を増やしていってくれた」と回顧。

伊藤さんの後を継いで「ブリガーテ・アランチョ」代表を務めた山崎裕斗さん(35)=同=は「愛媛の応援のベースをつくった人。人前に立つリーダーとして決断力や行動力があって面倒見もよく、さまざまな経験や学ぶ場を与えてもらった」と人柄をしのんだ。

伊藤さんはJ初年の06年途中に転勤で関東へ。その3年後、左肩周辺にがんの一種、脂肪肉腫が見つかった。何度も手術し完治を目指したものの、その後も再発を繰り返した。

最後に行った試合は19年11月のアウェー横浜FC戦。妻の襟子さん(38)=宇都宮市=は「2年ぶりの応援でうれしそうだった。愛媛の皆さんにはいつも温かく迎えてもらい、最期の体がつらい時期もたくさん励ましていただき本当にありがたかった」と感謝する。

「お疲れさまでした」「ありがとう」―。悲報が届いた当日から、会員制交流サイト(SNS)は仲間のねぎらいの言葉や思い出話であふれた。投稿を通じ、伊藤さんと面識のない愛媛FCのファンやスポンサー関係者らが、サポーターの呼び掛けた供花に協力するなど、追悼ムードは各方面に波及した。

それは現役の若手選手の元にも。初めて伊藤さんの功績を知ったという竹嶋裕二選手(21)はツイッターにメッセージを送り「僕が愛媛FCでサッカーができているのは、間違いなく伊藤さんのおかげ。このクラブを名実ともにもっと輝かせていくことが最大の恩返しになる」と誓った。

サポーター有志は後日、お別れの会を県内で開く予定だ。


自分は今年で愛媛FCサポーターの一人として7年目を迎えてます。
先日、Jリーグより今月の27日よりリーグ戦再開(リモートマッチ)の発表があったばかりですが、新型コロナウイルスの影響でまだまだ思うようなクラブ運営、試合開催ができてないのが現実です。
サポーター歴の浅い自分には名前も顔も知りませんでしたが、ただ、クラブ、選手、そしてサポーターがどんなに悔しい思いをしても90分間前を向けるのは、こういった方の存在のおかげじゃと素直に思います。

残念な形ですが、貴方の存在が知れて良かったと思ってます。

オレンジゾーンで飛び跳ねる連中みたいに熱く応援することはないですが、愛媛FCを後押しする者の一員として心よりご冥福をお祈りします。(。-人-。)


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