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9/16毎日新聞
武川紗音さん、医師から告げられた余命は、2週間だった。「楽しいことをいっぱいしたい」。そう語っていた19歳の女性は最期まで自分らしく生きることを諦めず、やりたかったことを実現させた。その一つが、自身をモデルにした絵本の原画展。家族と共にこの夏、開催にこぎつけた。
香川県丸亀市の武川紗音(さやね)さんは、幼少期から相次ぐ病気の治療に臨んできた。
最初の異変は5歳の時。咲子さんによると、2010年1月、紗音さんは肩や手首の痛みを訴え、次第に手が腫れてきた。近所の病院では原因がわからず、同県善通寺市の病院で国指定の難病「若年性特発性関節炎」と診断される。専門医がいる鹿児島の病院へ月2回、泊まりがけで通院し、小学5年からは大阪の病院へ通院を続けた。
中学2年の1月に白血病が判明。
中学卒業までの約1年の入院治療で白血病は症状が落ち着く「寛解状態」となり、紗音さんは通信制高校に進学した。ボランティア部に入部し、丸亀駅前の花壇の管理を任されることが学校に行くモチベーションになっていた。
ところが、高校3年だった22年6月、白血病が再発して入院。
咲子さんによると、紗音さんは我慢強く、治療のつらさをこぼすことはほとんどなかったという。長い入院生活を送る中、家で過ごしたいという思いを募らせていた紗音さんは23年2月の骨髄移植後、「今後何があっても、積極的な治療はしない。やっぱり家が一番いい」と宣言していた。その後、医師から治療の手立てがないため「治療の継続は困難」と告げられ、家族は本人の意思を尊重し、同年10月に退院させた。
余命が2週間だと宣告されたのは24年3月28日。
入退院を繰り返していた中高時代から「支えてくれた人に感謝を伝えたい」と語っていた紗音さん。原画展の開催が実現した時はもう動くことができず、ほぼ一日中眠っている状態だった。原画展に出かけることはかなわなかったが、咲子さんは会場の様子を撮影した写真や動画を紗音さんに見せて、報告した。
原画展開催中の7月27日早朝、咲子さんは、隣で寝ていた紗音さんの呼吸が弱くなっていくことに気づいた。親類に連絡をしようと握っていた手を離した瞬間、紗音さんは「ふー」と一息つき、そのまま静かに旅立った。咲子さんには「19年の人生を生ききった」表情に見えたという。
以上
悲しくてたまりません。
辛いです。
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医療を悪く言うと、来訪者が激減しますが、敢えて、申し上げます。
医療の未熟さに、反吐が出そうです。
紗音ちゃん、救ってくれよ!!
叫びたくなります。
氷山の一角だと思います。
「神山診療所」の存在が世間に知れ渡っていれば、助かる「命」は急拡大します。
医学では、無理なのです。
「数字が成立」すれば、医療はまったく役に立たなくなります。
「死」あるのみとなります。
どのように治療されても助からないのです。
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皆様方が頼りにしている医療の現実です。
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日本のがんに関する最高機関である国立がん研究センターが、がん予防法「がんを防ぐための新12か条」を公表しています。
1 たばこは吸わない
2 他人のたばこの煙をできるだけ避ける
3 お酒はほどほどに
4 バランスのとれた食生活を
5 塩辛い食品は控えめに
6 野菜や果物は不足にならないように
7 適度に運動
8 適切な体重維持
9 ウイルスや細菌の感染予防と治療
10 定期的ながん検診を
11 身体の異常に気がついたら、すぐに受診を
12 正しいがん情報でがんを知ることから
このようなことで、がんは、絶対に、絶対に、絶対に・・・防ぐことは出来ません。
一事が万事です。
「がん」について、驚くほど何も解っておられません。
このようなことで「がん」が防げるのであれば「神山診療所」を閉鎖します。「神山診療所」がなくても大丈夫となります。
現実を考えると、永久に診療所を閉鎖することが出来ないと考えています。
医療科学の未熟さ故、尊い「命」が救えずにいます。
読まれていないブログですが、医療で命の危険を感じた場合、頼ってください。
お待ちしています。
【連絡先】
「神山診療所」 三奈三奈央人