能力が活かされることを願っています。

困っている人がたくさんいます。救いたいのですが・・・

 

 

 

                       北海道テレビ放送株式会社より

 『子どもが産めないことが受け入れられなかった』2度の再発・転移 仕事・恋愛どうするよ AYA世代のがん 両側乳がんになりました。

 

 今回は34歳、長野県に住む34歳、ユキさんのお話です。AYA世代のがん患者は様々な悩みを抱えています。

 31歳で卵巣がんに・・・

 ユキさんは3年前、31歳で卵巣がんと診断されました。

 ユキさん『当時はアパレルで仕事をしていました。仕事の休みも少なく、本当に忙しく働いていて・・・。不正出血と腹のハリが感じてはいたものの、2か月ほどそのまま働いていました。 

 MRI検査し、一週間待たず、即、翌日手術となりました。

 1週間入院して、手術でとった卵巣が、がんか、そうじゃないかがわかる日。病理検査の結果が出る日のことです。

 抗がん剤をやっても子宮と卵巣をとらねばならないのか?と聞いたら進行してるからとらないと命が危ないと言われたそうです。

 とっさにティッシュをくれたのは看護師さん。

 ユキさんに突然、突き付けられた、子供が産めなくなるという現実。周りにいた薬剤師さんも看護師さんもみんな涙していたそうです。

 その日から1週間後からまず、抗がん剤を3クール。そして卵巣と子宮を摘出して、1か月の入院。退院後、3か月間でもう一度、抗がん剤。追加でアバスチン(分子標的薬・ベバシズマブ)を1年受けて、経過観察となりました。

 

 

 一年半後にまさかの再発

 最後の治療から1年半後、去年の8月に再発、横隔膜と骨盤周りでした。腫瘍マーカーがあがってきていたので、抗がん剤5クールと分子標的薬も1年やって再発防止の新しい薬を飲んでいました。

 効果があり、一度がんは消えていましたが、再びの経過観察から7か月で再発。また横隔膜に再発していて、肺、肝臓まわり、(肝臓には入ってない)今は2回めの再発治療、ということで抗がん剤をやっていて、3クール目が終わったところだそうです。

 ユキさん『夜遊びもお酒も飲んでました。乗り越えたなと思っていたら、またなるんだ、と思って。完全になくなることはないから、またそのたびに治療して、という形になる。再発しては休むの繰り返し、5回とかの人もいるそうです。そのたびにかつら、ウイッグを付けるので、何年かつら生活か・・・。』

 最初にがんが見つかったときは仕事はアパレル関係。がんとは伝えませんでした。感染症のリスクもあるし、肉体労働なのでということもありますが体調不良から”そんなんでできるの?”とか”辞めた方がいいのでは?”と心配されたそうです。かつらにもなるし、言われる度に無理なんじゃないかと思って退社を決意。

 その際、店長などには詳しく言わず、察してほしい、一身上の都合ということで辞めたそうです。

 がんであることは周りの誰にも言えず、1年半は仕事をしていなかったそうです。

 『治療がひと段落して、別の会社に入り、現在も仕事にしているWEBデザインの仕事を始めました。しかし、非常にブラックで小さい会社。上司も気づいたらいじわるで、ストレスためながらやっていました。病気も打ち明けて入っていたこともあり、給料も激安だったんです。自分ができないことがあると泣いて頑張っていた。社長に逆らっている人がいなくて、頑張るのが当たり前だった。』

 『そうしているうちに再発。今回は、引き留められたけど、またすぐにやめました。リモートでどうかとも言われたのですが・・。話しているうちに社長に最後に健康な人がほしいんだ、と言われて・・。悲しかった。

 そこから仕事のことを考えて、生きていくのにはどうしたらいいのか。実家に住んでいるけれど親も年取ってくるし、お金を稼がねばならない。病気の治療もあって、それとの両立。治療費をどんな仕事をしてでも稼がねばと考えました。』

 フリーランスでアルバイトでは収入は少ないし、シフトに穴を開ける可能性があるのも難しい。正社員は無理ではないかと考えたそうです。ユキさんはフリーでやろうと決めて、準備して開業。フリーランスのwebデザイン。今の時代だからこそ、クラウドソーシングで仕事を取れるのではと思ったそうです。

 でもそううまくはいきません。半年くらいは収入ほぼなく、開業届を出してから貯金切り崩して・・・生活していけるのか、と悩む日々。

 そこにようやく先月からいい会社と契約できて、毎月、決まった仕事ができて安定してきたそうです。

 本当に仕事とがんの治療は大きな問題です。

 

 ユキさん『日々落ち込んで、ちょっと復活して元気になる、の繰り返し。自分自身がいままでとは違うので、やっていける道を自分で作り出すしかない、と。うまくいかないことも多々あって、落ち込んだり、前向きになったりの繰り返しです。』

 子どもが産めなくなったのが本当に大きい

 『子宮をとらねばならない現実が飲み込めなくて。(抗がん剤の間の)3か月間くらいとらなきゃとずっと思い聞かせて・・・。とったあとも全然飲み込めなくて、処理できなくて・・・友達ともうまくいかなくなって。』

 子育てをしている友達はインスタもブロック。そうしたら友達とも連絡をとれなくなりました。心療内科に通って、薬をもらうことにしました。

 

 ユキさん『なんのために生きているのか、自分の価値はないのか?と思ってしまった。友人の子どもたちは見たくない。デパートへいっても知らない子連れもみたくなくて、いきたくなかった。少子化だけど、子どもは街にいて、自慢しているように見えて。』

 そんなユキさんの心を救ってくれたのは乳児院でした。

                ー以上(一部略)ー

 

 

 

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