地震と津波被害の惨状。兄が釜石入りを敢行。

2011-03-22 10:32:35 | 家族&釜石
盛岡まで夜行バス。そこから、従兄の車で釜石へ。知り合いのところで一泊し再び盛岡へ。夜行バスで戻ってきた。地元に知り合いが居て支援の輪が無ければ、とても敢行できない現地入りだ。(兄・一元氏の強い意志と行動には、敬服します。感謝です。)
話を伺いに、葛飾立石へ。昨日は冷たい雨の中でした。

天神町の自宅へたどり着くのも、やっと、とのこと。--市の防災職員の許可と同伴がなければ、現地立ち入り禁止となっていた。
余震があり家屋倒壊の恐れがある。乗用車の給油も、”給油切符”を持たない他市からの車はさせてもらえない。知り合いのお宅に一泊し、避難所を何箇所か尋ね、遺体安置所も。現地での移動は、すべて歩いて。ガソリンは貴重だから。母・咲子行方不明の諸手続きをしてきた。
本当にお疲れさんでした。釜石の現状を、われわれに話し伝えるのも辛い表情がにじみ出る。これからが長期戦だ。
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なんと言ったら良いか  茫然自失 

港から一キロ少し離れているが、市道に面して隣りにもさえぎる建物がないから、もろに瓦礫が押し寄せて、家屋の一階部分を埋め尽くしていた。車が2台、玄関とリビングに突っ込んでいた。
家屋に円にバッテンの印=家屋全滅=

午後2時46分長い地震が発生し、津波避難警報がなってからわずか10数分で巨大津波が襲った。
町全体を壊滅し、一瞬のうちに多くの人の尊い命を奪った。

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