「…なのは。誰と話してたの?」
受話器での最後の言葉を言い終わらぬうちに、背後から投げられた冷たい声。
そう、あまりにも冷たく突き刺すような声に、驚いたなのはの手のひらから、機械の重みがするりと抜け落ちていった。落ちたことに気がつかなかったので、機械に触れていた皮膚ごとごっそり剥けてしまったかのようだった。
ぽちゃりとスープが音を立てる鍋の中身。
いささか刺激的な落下物によって、これまでになくみごとなミルククラウンが浮かんだのを、なのはは確認しただろうか。できるはずがない。時ならぬおかえり主に肩を掴まれ、独楽を回すようにあっけなく振り向かせられていたからだった。ぐつぐつと沸騰しつづける鍋の中から、先ほどまでの話し手の声が聞こえたのかどうか。
「ふぇ、フェイトちゃん?! あ、あはっ。お、おかえり~!」
不自然な愛想笑いが返って、お帰りの相手を不審がらせたのはまちがいない。
心の準備ができてないものだから、あちゃー、もうお帰りになったよ、まいったな、という焦りが顔いっぱいに表れていた。
「き、今日は早かったんだね! 今週は帰りが遅くなるからと思って、ゆっくり準備してたんだけど…あは」
この一週間というもの、他の巡航船訓練視察の任務にあたっていたフェイト・T・ハラオウン執務官は、本日の午後九時にご帰宅の予定だったはず。なのはとしては、午後七時にはヴィヴィオと食事を終え部屋に戻らせたのちに、フェイトをねぎらいの晩餐で迎えるつもりだった。いくらなんでも、予定より三時間も早いではないか。そんなの、聞いてないよぉ。
「…事務処理をティアナが手伝ってくれてね。早く切り上げた」
「あ、そ、そーだったんだ、ふぅん。そっかぁ、お疲れ様。ご飯まだなんだけど、お風呂だったら沸いて…」
黒いビロードの制服の前ボタンを外して、おもむろにネクタイも緩めて襟をくつろげいているフェイトに、どきりとさせられる。いつにも増して艶っぽい脱ぎっぷりなのだが、しかし、フェイトは睨むようなまなざしを外さない。
「いま、誰かと電話で話していたね?」
「えっとお、あ、う、うん。そう、だね」
ずいと詰め寄られたフェイトの剣幕に押され気味で、なのはは、うん、とも、いいえ、ともつかない曖昧な返事。
「誰っ?! 誰だったの?」と鬼気迫ってくる表情のフェイトに、しぶしぶ口を割った言葉は。
「あのね、はやてちゃん…だったよ」
「はやて?…ふぅん、そう」
嘘はついてない。
ただし、その連絡が先だっての電話よりも、さかのぼること十分前だったことを除けば。
「そぉ、そーなの、はやてちゃんから。お料理中で手が離せなくて、ながら電話になっちゃって」
エプロンを掴んで、手を揉みもみさせているなのはの様子には、いつになく落ち着きがない。
彼女は本来、このあとにやっかいな任務を控えているはずだった。が、電話主の依頼を果たすどころか、その電話自体を消そうとあくせくしているばかり。どこかで目的を遂げなくちゃ、ともがきつつあったものの空回りしている。海で溺れかけの人間が必死に浮いた板を引き寄せようとするが、いきおいあくせくと伸ばした手がうっかりとそれを遠ざけてしまうような、もどかしさに似ている。