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陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

四月の嘘は馬鹿にならない

2015-04-30 | 自然・暮らし・天候・行事


エイプリルフールですね(←この記事を書いたのが)。
毎年この日は、嘘にまつわる映画レヴューを載せることにしています。互いを偽った二人が本気の恋に落ちる…なんてのは、まあラブコメの常道ですよね。つくりごとだからいいのだけど、現実だったらちょっと、って思うような展開ばかりですが(笑)

このエイプリルフールというのは、世界的なネタとなる日らしくて、海外のメディアもこぞって虚偽報道をしたり。ジョークセンスを争っているものですが、最近のマスメディアは過激な報道がめだって、捏造や誤報を真実だと伝えたりするもの。うちのような瑣末なブログも含めたインターネットの、出所不明の情報による錯誤なども問題視されてきていますよね。

ところで、皆さんは嘘ついたことありますか? もしくは、嘘をつかれたことはありますか? おそらく、人間であるかぎりは、嘘を知らないということはありえない。男性だとたいがい仕事や収入で見栄を張ったり、バレンタインのチョコの数を誇ったりしますし、女性ですと年齢のサバ読みしたり、美容整形したり、化粧で盛ったり、交友関係の豊かさを誇ったり、配偶者や恋人、子どもの境遇を誇張したり、なんてことをよく聞きますよね。

初対面でお会いして、なんだかこの人は胡散臭いなという方は、たいがい、どこかに嘘があります。実在する会社の経営者を名乗った名刺を渡されたりとか。かっこいいカタカナの職業だと自己紹介しているが、実態はそれに満たないものだったりであるとか。どうせ調べたら分かるのに、なぜそんな偽りを言うのだろうかと不思議でなりません。嘘をつく人の多くは、ご自分を必要以上に良く見せたい人なのです。それが可愛いものならいいのですが。

嘘がバレたときに、信頼を大きく落とします。お金が絡んできたりするのならば、なおさら。そして、年齢が高いほど、それは取り返しのつかない人生のロスになります。怖いのは、一見、真面目でそんなことしそうにない、信頼に足ると見える方が、実はとんでもない嘘つきだったりすることですよね。そんな私も、こいつは嘘っぽいと思われているのかもしれません。

エイプリルフールを「嘘をついても許される日」だと認識されている方もいるかもしれませんが、正確にいえば、それは嘘です。ついても水に流されるのは、あきらかに嘘だと万人にとって昭然としている嘘なのであり、あるいは愛情のある嘘でしかない。相手を脅したり、騙したり、慌てふためかせて、それを自分だけが嬉々としたり利するための嘘は御法度。オオカミ少年ではありませんが、悪ふざけで笑ってすませられるはずだと思っていた嘘が、相手にとっては笑えないこともあったりする。嘘なのに、信じてしまわれたらおしまいなのです。

ですので、この日を限らずに嘘をつくことには、まずもって、かなりの高度な知能が必要です。嘘とは、その嘘を守りとおすために、さらに二度三度と複数の嘘をつかねばならない。最初は相手に衝動を与えて喜んだつもりでも、いずれ、その嘘の生活に疲れてしまいます。困った時にいずれ自分を助けてくれるはずであろう人たちまでも遠ざけてしまいます。

どうやって人を欺こうか、驚かせてやろうか、とそればかり考えていると、やがて自分自身を欺き、後年になってこの人生そのものが嘘であってほしい、と願うようになる…かもしれませんね。世の中には、嘘であってほしいと願ってやまない真実もあったりしますけど…。

日本人の多くは、このエイプリルフールの習慣が好きではない模様。
嘘はいけないよ、愛情のない嘘は痛いしっぺ返しをくらうよ、という忠告のために、あえて、この日が存在していると言えるのかも知れませんね。



【掲載画像】
マウリッツ・コルネリス・エッシャー 《物見の塔》
1958年、リトグラフ・紙 横浜美術館 

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