昨日は正統派の名作だったので、今日はちょっとヘンテコ楽しいこの本を紹介ですよ!
アンドレ・モロア作「デブの国ノッポの国」
デブの兄エドモンとノッポ(つまりガリ)の弟チエリーが、ふとしたことで訪れた地底。
そこは、デブの人種とノッポの人種が別々の国に住むという世界だったのだ!
当然それぞれの国に離れ離れになってしまった兄弟でしたが、そうこうするうち、なんとデブとノッポの両国が戦争を始めることに!
さあ、勝つのはデブかノッポか! そして兄弟の運命やいかに!
・・・という内容を、全く緊張感なく、ノンビリと語ってくれるのです!
ノッポの人々は働き者でせっかちで怒りっぽく、デブの人々は食べることと寝ることが大好きでいつもニコニコしています。
ノッポの国にあるものは何でも細長く、デブの国では全てが丸っこい形。
この両国の景色のさし絵がとてもおもしろい!
お子様大喜び間違いなし!
兄弟はそれぞれデブ国の総理大臣とノッポ国の大統領の秘書として働き、ともに前回のデブとノッポの戦争の講和会議に出席します。
デブの国の人々は、王様から
「ノッポ人の言うことは何でも『はいはい』と言っておけばいい。ただし、あの島を『ノッポデブ島』と呼ぶことだけには賛成してはならん。
絶対に『デブノッポ島』と呼ばせるのじゃ。わかっておるな」
と言い含められています。
あの島、というのは、デブとノッポの国の間にある海に浮かぶ島なのですね。
モチロン、それぞれが「デブノッポ島」「ノッポデブ島」と呼ぶことで争っているのです。
結局、講和会議は、この問題のせいで物別れに終わり、両国は再度戦争をすることになってしまいます。
ノンビリ屋ばかりで物にこだわらないデブ人が、なぜこの島の名前にだけはこだわるのか、と子供ながらにワタクシは思ったものでしたが、大人になって読み返してみますと、このシーンには苦笑いが出てしまいますね。
現実世界の争いだって、よく考えればこれと同レベルですよね・・・。
で、いきなりネタバレしちゃいますと、この戦争はノッポ国の勝利に終わり、デブ国はノッポ国に占領されてしまいます。
ところが、ここで話がおかしな展開を見せるのです。
占領されたデブの国には、ノッポ人が入り込んできたわけですが、デブの人々は占領されてもあくまでノンビリとマイペースの生活をやめません。
始めはなんとかデブ人を勤勉にしようと躍起になっていたノッポ人達も、次第にデブライフの魅力に気づきはじめ、だんだん世界全体がデブ風になっていくのです。
会社や組織の中でも、デブ人を重要な役割に置いた方が何かと上手く行くというので、結局働き者のノッポ人よりもノンビリ屋のデブ人の方が出世してしまうことに。
ノッポ人にしてみれば、国土は占領しましたが、精神的に占領された、とでもいう感じでしょうね。
結局、戦争に負けて王様をやめさせられたデブデブ王をもう一度王様に迎え、地下連合王国となってデブもノッポも幸せに暮らしましたとさ、というお話。
ちなみに、問題の島にはデブデブ王が新しい名前をつけて丸く収まったのでした。
ハッピーエンドは当然のお約束としても、そこへ持って行く過程が奇想天外ですばらしいと思うのです。
作者のアンドレ・モロアさんは、デブに思い入れが強いようで、読んでるとたいていの人が
「どちらかと言えばデブの国に住みたい」
と思うように書かれていますね。
それにしても、ノンビリしてばかりのデブ国で産業は発展していたのか!?
両国とも入国に際して体重などの制限があったけど、中肉中背の人はどちらの国にも入れずに、難民になったのでは!?
そして、主人公の兄弟、エドモンとチエリーという名前が、実にこうデブとノッポにふさわしい名前だと思うのです。
試しに逆を想像してみると、ものすごい違和感がありますよ!
で、名前と言えばもうひとつ。
子供のころにこの本を読んだ時は、確か訳者もさし絵も別の方だったと思うのですが、その時に今回書かれていない部分を読んだ記憶がワタクシにはあるのです。
デブの国の人は、名前が必ず「デー」か「ブー」で終わるのだということで、ノンビリ屋のデブ人の中でも、名前が「デー」で終わる人は比較的怒りっぽく、「ブー」で終わる人の方がよりノンビリだという話がそれ。
確かに本筋とは関係ない話ですが、なぜか子供時代のワタクシにはこの部分が印象深かったようなのですね。
ちなみに、戦争の講和会議の場面では、「デブノッポだ」「ノッポデブだ」という争いの中でデブ人の歴史学者が怒って席を立つのです。
このお話の中で、唯一デブ人が怒るシーンなのですが、この歴史学者の名前は「ドドンデー先生」だったのでした。
「デー」族の人を講和会議のメンバーに入れたことで、結局また戦争になってしまうわけで、本筋関係ないとは言いつつも、個人的にはやはりフォローしてほしかった部分なのですよね。
さらにちなみに、講和会議に参加している人の中に「ブー元帥」という人がいるのですが、きっとこの人は、ものすごく家柄のいい人なんだろうなあ、と思うのですよ。
みんな「○○ブー」とかいう名前なのに、この人はただ「ブー」って名前。
いかにも、デブの中のデブ、ザ・デブ、みたいな感じじゃないですか。
もう一人、デブの国の総理大臣も「タラフクブー総理大臣」という名前だったのですが、これまた昔のバージョンでは「ガツガツブー総理大臣」だったような気がするのです。
これまたどうしたことだったのでしょう。
元が外国の作品の場合、訳者が違うバージョンを読むと、実にこうした些細な違和感が時々あって、前回紹介の「飛ぶ教室」でも、固有名詞や人々のセリフなどでしっくりこない部分がありました。
まぁ、しょうがないと言えばしょうがないことですが、訳者も同じ、昔のバージョンをいつか読み直してみたいものです。
アンドレ・モロア作「デブの国ノッポの国」
デブの兄エドモンとノッポ(つまりガリ)の弟チエリーが、ふとしたことで訪れた地底。
そこは、デブの人種とノッポの人種が別々の国に住むという世界だったのだ!
当然それぞれの国に離れ離れになってしまった兄弟でしたが、そうこうするうち、なんとデブとノッポの両国が戦争を始めることに!
さあ、勝つのはデブかノッポか! そして兄弟の運命やいかに!
・・・という内容を、全く緊張感なく、ノンビリと語ってくれるのです!
ノッポの人々は働き者でせっかちで怒りっぽく、デブの人々は食べることと寝ることが大好きでいつもニコニコしています。
ノッポの国にあるものは何でも細長く、デブの国では全てが丸っこい形。
この両国の景色のさし絵がとてもおもしろい!
お子様大喜び間違いなし!
兄弟はそれぞれデブ国の総理大臣とノッポ国の大統領の秘書として働き、ともに前回のデブとノッポの戦争の講和会議に出席します。
デブの国の人々は、王様から
「ノッポ人の言うことは何でも『はいはい』と言っておけばいい。ただし、あの島を『ノッポデブ島』と呼ぶことだけには賛成してはならん。
絶対に『デブノッポ島』と呼ばせるのじゃ。わかっておるな」
と言い含められています。
あの島、というのは、デブとノッポの国の間にある海に浮かぶ島なのですね。
モチロン、それぞれが「デブノッポ島」「ノッポデブ島」と呼ぶことで争っているのです。
結局、講和会議は、この問題のせいで物別れに終わり、両国は再度戦争をすることになってしまいます。
ノンビリ屋ばかりで物にこだわらないデブ人が、なぜこの島の名前にだけはこだわるのか、と子供ながらにワタクシは思ったものでしたが、大人になって読み返してみますと、このシーンには苦笑いが出てしまいますね。
現実世界の争いだって、よく考えればこれと同レベルですよね・・・。
で、いきなりネタバレしちゃいますと、この戦争はノッポ国の勝利に終わり、デブ国はノッポ国に占領されてしまいます。
ところが、ここで話がおかしな展開を見せるのです。
占領されたデブの国には、ノッポ人が入り込んできたわけですが、デブの人々は占領されてもあくまでノンビリとマイペースの生活をやめません。
始めはなんとかデブ人を勤勉にしようと躍起になっていたノッポ人達も、次第にデブライフの魅力に気づきはじめ、だんだん世界全体がデブ風になっていくのです。
会社や組織の中でも、デブ人を重要な役割に置いた方が何かと上手く行くというので、結局働き者のノッポ人よりもノンビリ屋のデブ人の方が出世してしまうことに。
ノッポ人にしてみれば、国土は占領しましたが、精神的に占領された、とでもいう感じでしょうね。
結局、戦争に負けて王様をやめさせられたデブデブ王をもう一度王様に迎え、地下連合王国となってデブもノッポも幸せに暮らしましたとさ、というお話。
ちなみに、問題の島にはデブデブ王が新しい名前をつけて丸く収まったのでした。
ハッピーエンドは当然のお約束としても、そこへ持って行く過程が奇想天外ですばらしいと思うのです。
作者のアンドレ・モロアさんは、デブに思い入れが強いようで、読んでるとたいていの人が
「どちらかと言えばデブの国に住みたい」
と思うように書かれていますね。
それにしても、ノンビリしてばかりのデブ国で産業は発展していたのか!?
両国とも入国に際して体重などの制限があったけど、中肉中背の人はどちらの国にも入れずに、難民になったのでは!?
そして、主人公の兄弟、エドモンとチエリーという名前が、実にこうデブとノッポにふさわしい名前だと思うのです。
試しに逆を想像してみると、ものすごい違和感がありますよ!
で、名前と言えばもうひとつ。
子供のころにこの本を読んだ時は、確か訳者もさし絵も別の方だったと思うのですが、その時に今回書かれていない部分を読んだ記憶がワタクシにはあるのです。
デブの国の人は、名前が必ず「デー」か「ブー」で終わるのだということで、ノンビリ屋のデブ人の中でも、名前が「デー」で終わる人は比較的怒りっぽく、「ブー」で終わる人の方がよりノンビリだという話がそれ。
確かに本筋とは関係ない話ですが、なぜか子供時代のワタクシにはこの部分が印象深かったようなのですね。
ちなみに、戦争の講和会議の場面では、「デブノッポだ」「ノッポデブだ」という争いの中でデブ人の歴史学者が怒って席を立つのです。
このお話の中で、唯一デブ人が怒るシーンなのですが、この歴史学者の名前は「ドドンデー先生」だったのでした。
「デー」族の人を講和会議のメンバーに入れたことで、結局また戦争になってしまうわけで、本筋関係ないとは言いつつも、個人的にはやはりフォローしてほしかった部分なのですよね。
さらにちなみに、講和会議に参加している人の中に「ブー元帥」という人がいるのですが、きっとこの人は、ものすごく家柄のいい人なんだろうなあ、と思うのですよ。
みんな「○○ブー」とかいう名前なのに、この人はただ「ブー」って名前。
いかにも、デブの中のデブ、ザ・デブ、みたいな感じじゃないですか。
もう一人、デブの国の総理大臣も「タラフクブー総理大臣」という名前だったのですが、これまた昔のバージョンでは「ガツガツブー総理大臣」だったような気がするのです。
これまたどうしたことだったのでしょう。
元が外国の作品の場合、訳者が違うバージョンを読むと、実にこうした些細な違和感が時々あって、前回紹介の「飛ぶ教室」でも、固有名詞や人々のセリフなどでしっくりこない部分がありました。
まぁ、しょうがないと言えばしょうがないことですが、訳者も同じ、昔のバージョンをいつか読み直してみたいものです。