さあ、今回最後のご紹介となりましたのがコチラ!
実は今回の児童書デスマッチ、元はと言えばこの本のことを出し抜けに、突然、いきなり思い出したところから始まったのでした。
大海赫(おおうみ・あかし)作・画の「ドコカの国にようこそ!」。
小学校四年生のフトシは、寝小便が治らないのが悩み。
しかし、ある夜不思議な夢を見て目覚めると、寝小便をしていないのです。
喜んで起きあがったフトシのもとに、夢の中に現れた侍の「サラバ」さんからの手紙が届きます。
フトシを立派な人と見込んで、ドコカの国へ迎えたい。
しかし、ドコカの国に来るためには、ちょっとした苦労をしなければならぬ。
不思議な文句の手紙で次々に命じられるおかしな試練。
寝小便を治してくれたサラバさんを信じ、不条理な指示を次々こなしては、新たな手紙を待つフトシ。
さあ、果たしてフトシは試練を乗り越えられるのか?
そして、ドコカの国とは・・・?
とにかく、まずは、見知らぬ誰かから自分のところに、次々と変な指示を出す手紙が来るというところにものすごくロマンを感じます!
変な指示をこなした後の手紙は、必ず「あっぱれぞフトシくん」という文句で始まっていまして、実にこのキーワードこそが、今回この本にたどり着くキッカケになったのでした。
また、この本は、絵がとにかくインパクトが大きいのです。
病的と言っても差し支えないほどの、独特の不気味さ加減。
子供心に、一歩間違えばトラウマレベルの、強烈な印象を残してくれました。
先に挙げたサラバさんからの手紙も、イラストとして登場していまして、その特異な筆跡も表現されているのです。
これは、作者の大海赫さんが、文と同時に絵も手掛けているからこそできたことですね。
特に子供の頃のワタクシは、にせのサラバさんからの手紙が大量に届くシーンが大好きだったのですが、これはまさに大海さんの文章のみに留まらない表現力の真骨頂!
にせの手紙はすべて、ドコカの国なんてうそだった、という内容で、署名もすべて「さらば」なのですが、筆跡と文体がそれぞれ全く違うのです。
本物の手紙が「あっぱれぞフトシくん。たった今○○にまいられよ」という具合の古めかしい言葉遣いで、筆跡もいかにも大人のものであったのに対し、にせものの手紙は
「エライゾ、フトシクン! デモネ、ホントーノコトヲイウトネ、ドコカノクニナンカドコニモナインダ」
とか
「えらいわ、フトシちゃん。でも、ドコカの国なんてうそ。ごめんなさいね」
とかいう調子なのです。
筆跡と文体だけで、キャラクターが自在に変化してしまう、ということを、初めて知った体験だったのですね。
よくわかっていないながらも、それが子供心におもしろかったのでしょう。
おいおい、なかなかやるじゃないか、子供の頃のワタクシ!
さて、今回ご紹介してきた児童書について共通するのは「ラストシーンがどうだったか覚えてない」ってことでした。
例えば、昨日の「ロボット・カミイ」の場合は、遊びに行った子の家で読んだものでしたので、最後まで読めてなかったのでしょうね。
そして、この「ドコカの国」の場合は、それまでのシーンのインパクトが強過ぎて、果たして本当にドコカの国はあったのか、フトシはそこへ行けたのか、なんてことをサッパリ覚えてませんでした。
今回、読み返して、初めてラストシーンを読んだのですが・・・。
読む前に、この本のレビューを数件見てみましたら、共通して「衝撃のラスト!」と書かれていたので、さらにドキドキしながら読んだのですが・・・。
うーん、やはりこの大海赫さんという方は、少し風変りな方のようですね!(← 控えめな表現)
ちょっと拍子抜けっぽくもあるし、決着のついてない疑問が残ったままのような気もするし、これはこれでいいような気もするし、という、実に不思議な後味が残るエンディングだったのでした。
なるほど、子供の頃に最後まで読んでいても、これはやはり途中のインパクトが頭に残るでしょう。
いや、不思議な魅力に満ちた本でした。
お子様の情操教育的な期待は全く持てませんが、子供向けのエンタテインメントとしては、奇妙な存在感を持っている本だと思います。
こういう本の思い出を、一生、
「ああ、そう言えば時々思い出すなあ。あれは何ていう本だったかなあ?」
なんて思い続けることなく、今回、ケリをつけられたことが、何よりもうれしい!
例によって自己満足で終了する「ガチンコ児童書デスマッチ」なのでした。
みなさんの忘れられない本は何ですか?
実は今回の児童書デスマッチ、元はと言えばこの本のことを出し抜けに、突然、いきなり思い出したところから始まったのでした。
大海赫(おおうみ・あかし)作・画の「ドコカの国にようこそ!」。
小学校四年生のフトシは、寝小便が治らないのが悩み。
しかし、ある夜不思議な夢を見て目覚めると、寝小便をしていないのです。
喜んで起きあがったフトシのもとに、夢の中に現れた侍の「サラバ」さんからの手紙が届きます。
フトシを立派な人と見込んで、ドコカの国へ迎えたい。
しかし、ドコカの国に来るためには、ちょっとした苦労をしなければならぬ。
不思議な文句の手紙で次々に命じられるおかしな試練。
寝小便を治してくれたサラバさんを信じ、不条理な指示を次々こなしては、新たな手紙を待つフトシ。
さあ、果たしてフトシは試練を乗り越えられるのか?
そして、ドコカの国とは・・・?
とにかく、まずは、見知らぬ誰かから自分のところに、次々と変な指示を出す手紙が来るというところにものすごくロマンを感じます!
変な指示をこなした後の手紙は、必ず「あっぱれぞフトシくん」という文句で始まっていまして、実にこのキーワードこそが、今回この本にたどり着くキッカケになったのでした。
また、この本は、絵がとにかくインパクトが大きいのです。
病的と言っても差し支えないほどの、独特の不気味さ加減。
子供心に、一歩間違えばトラウマレベルの、強烈な印象を残してくれました。
先に挙げたサラバさんからの手紙も、イラストとして登場していまして、その特異な筆跡も表現されているのです。
これは、作者の大海赫さんが、文と同時に絵も手掛けているからこそできたことですね。
特に子供の頃のワタクシは、にせのサラバさんからの手紙が大量に届くシーンが大好きだったのですが、これはまさに大海さんの文章のみに留まらない表現力の真骨頂!
にせの手紙はすべて、ドコカの国なんてうそだった、という内容で、署名もすべて「さらば」なのですが、筆跡と文体がそれぞれ全く違うのです。
本物の手紙が「あっぱれぞフトシくん。たった今○○にまいられよ」という具合の古めかしい言葉遣いで、筆跡もいかにも大人のものであったのに対し、にせものの手紙は
「エライゾ、フトシクン! デモネ、ホントーノコトヲイウトネ、ドコカノクニナンカドコニモナインダ」
とか
「えらいわ、フトシちゃん。でも、ドコカの国なんてうそ。ごめんなさいね」
とかいう調子なのです。
筆跡と文体だけで、キャラクターが自在に変化してしまう、ということを、初めて知った体験だったのですね。
よくわかっていないながらも、それが子供心におもしろかったのでしょう。
おいおい、なかなかやるじゃないか、子供の頃のワタクシ!
さて、今回ご紹介してきた児童書について共通するのは「ラストシーンがどうだったか覚えてない」ってことでした。
例えば、昨日の「ロボット・カミイ」の場合は、遊びに行った子の家で読んだものでしたので、最後まで読めてなかったのでしょうね。
そして、この「ドコカの国」の場合は、それまでのシーンのインパクトが強過ぎて、果たして本当にドコカの国はあったのか、フトシはそこへ行けたのか、なんてことをサッパリ覚えてませんでした。
今回、読み返して、初めてラストシーンを読んだのですが・・・。
読む前に、この本のレビューを数件見てみましたら、共通して「衝撃のラスト!」と書かれていたので、さらにドキドキしながら読んだのですが・・・。
うーん、やはりこの大海赫さんという方は、少し風変りな方のようですね!(← 控えめな表現)
ちょっと拍子抜けっぽくもあるし、決着のついてない疑問が残ったままのような気もするし、これはこれでいいような気もするし、という、実に不思議な後味が残るエンディングだったのでした。
なるほど、子供の頃に最後まで読んでいても、これはやはり途中のインパクトが頭に残るでしょう。
いや、不思議な魅力に満ちた本でした。
お子様の情操教育的な期待は全く持てませんが、子供向けのエンタテインメントとしては、奇妙な存在感を持っている本だと思います。
こういう本の思い出を、一生、
「ああ、そう言えば時々思い出すなあ。あれは何ていう本だったかなあ?」
なんて思い続けることなく、今回、ケリをつけられたことが、何よりもうれしい!
例によって自己満足で終了する「ガチンコ児童書デスマッチ」なのでした。
みなさんの忘れられない本は何ですか?