ハワイのさとうきびプランテーションについての概要。
1800年代後半、アメリカではゴールドラッシュや南北戦争を契機に、砂糖の需要が高まっていました。
ハワイには、当時すでにさとうきびのプランテーションがあったのですが、ハワイ原住民はあまりさとうきび農場の労働力として適していなかった上に、当時外国人が持ち込んだ伝染病などで人口が減っていたのです。
砂糖の需要増大を受けてプランテーションは拡大し、労働力は不足します。
そこで、外国から安い労働力を移民という形で受け入れることにしたのです。
最初に移民としてハワイに来たのは中国人でした。
彼らは、砂糖精製の技術に通じていたというのが理由でしたが、そのうちあまりにも中国系移民の数が増えたため、他の国からの移民受け入れも始まります。
ポルトガル、プエルトリコ、日本、沖縄、韓国、フィリピンなどから、続々と移民がやって来たのでした。
日本と沖縄を分けている理由は後述します。
現在の人口比率で見ても、白人系が29%に対して、アジア人系が39%(日系人は20%ほど)、ハワイアンやポリネシアンは9%ということで、アメリカ国内でも例を見ない構成になっていまして、プランテーションと移民という歴史が現在のハワイに与えた影響は、非常に大きいと言えるでしょう。
では、資料を見ていきましょうか。
労働者の一日。
5時起床(食事の支度がある女性は4時!)、6時仕事開始、朝食10分、昼食30分、16時半仕事終了(労働時間10時間超!)、20時消灯、という、すさまじい生活。
プランテーションで、英語を母国語としない人のために作られた簡易言語「ピジンイングリッシュ」の一例。
一番上「Bango」は、文字通り「バンゴー」という発音だそうで、日本人労働者は名前を呼ばれず、この「バンゴー」で呼ばれたといいます。
下の方の「Hole hole ホレホレ」は、「さとうきびの茎についている枯葉を取り除く作業」のこと。主に女性が担当したそうです。
重要な言葉ですので覚えておきましょう。
いちばん下「Katchiken カチケン」は、「さとうきびの茎を刈り取る作業」。これは男性の仕事。
そのまんま「cut cane」が訛ったものですね。
ホレホレの後、カチケンをすることで、収穫になるのです。
そばには「ホレホレ節」の歌詞。
これが見たかったのです。
プランテーションで働く日系移民が歌った労働歌で、当初移民としてハワイに多く渡った広島地方の人々が、故郷の民謡に独自の歌詞を載せて歌ったのが始まりだそうです。
ワタクシ、こういう歌が、何となく好きなのですね。
こういうところで作られる歌詞は、実にその生活に密着しています。
歌われるテーマは、労働、お金、男女関係、暮らし向き、など、生々しくリアルでして、彼らの本音が聞きとれる内容なのですよ。
・「行こか メリケン / 帰ろか 日本 / ここが思案の ハワイ国」
・「カネはカチケン / わしゃホレホレよ / 汗と涙の共稼ぎ」
カネはハワイ語で男性のこと。女性は「ワヒネ」。
この詞は、なんだか夫婦の愛情を感じられていいですね。
・「35銭のホレホレしようより / パケさんとモイモイすりゃ / エカヒカラ」
最後の行がよく解りませんが「35¢ぽっちのために1日ホレホレするより、パケさん(監視官?)に売春すれば1$稼げるのに」くらいの意味?
「モイモイ」というピジンが、実にこう、感じの出てる言葉だと思います。
・「頼母子落して / ワヒネを呼んで / 人に取られて / ベソかいた」
「頼母子落して」は、現代の感覚だと「定期を解約してお金を作って」くらいの感じでしょうか。
「ワヒネ」は、ここでは女房のことですね。
この詞の完成度、起承転結のテンポのよさがすばらしいと思うのです。
歌われてる内容自体はヒドい話ですが、それをどこかユーモラスに歌ってしまうところが、作者の人の良さを感じさせます。
そう、つまり労働歌の魅力は「ユーモア、笑いの力」を感じさせる点だと思うのです。
辛い労働の日常にユーモアを持ち込むことで、また頑張れる精神の力。
冗談が好きなワタクシは、そういう「笑いの力」を感じるのが好きなのですね。
作業着。
ワタクシ、不覚にも「オシャレ!」と叫んでしまいました。
黒白チェックのシャツに赤いバンダナがイカス!
帽子もかわいいですよね。
絶賛していますと、コマさんが
「私も同じ柄のベストなんですよ」
ホントだ!
ちなみに、これが「sugar cane」つまり「さとうきびの茎」です。
コ「ここより下に砂糖になる部分が詰まってます」
ああ、これ、何かで見ました!
アメリカ国旗の周りを、ハワイ州旗と移民7ヶ国の旗が囲むんですよね!
沖縄県章をあしらった沖縄の旗もあったんですよね!
文化の違いなどから、他府県からの移民は沖縄からの移民を差別していたという悲しい歴史があって、日本と沖縄は別コミュニティを作っていたんですよね!
ぜひ見たかったんですけど、今日は旗がないんですね。
あ! もしかして、これには、何か特別な理由が・・・どうなんですか、コマさん!?
コ「ああ・・・たぶん今日の当番が旗を忘れてますね」
頼むよ・・・お願いしますよ、当番の人・・・。
国旗の輪、見たかった・・・。
コ「菩提樹なんですが、吉田さん、この木は樹齢何年ぐらいだと思いますか?」
ワ「さぁ・・・100年とかですか?」
コ「実はね、18年なんです」
これには、植物のことはからっきしのワタクシもビックリしました。
ワ「まさか! ウソでしょう!」
コ「いや、実は、私も植物にかかわる仕事をしていたので『そんなはずはない!』って言ったんですけど、確かに記録があるんです」
木のそばの説明プレートには、確かに「planted in December 1991.」と。
いやぁ、ホントに18年だ・・・。
ハワイで育てば、18年でここまでになるんでしょうか・・・?
どなたか、詳しい方、教えて下さい!
中国系移民の集会所の建物。
ポルトガル系移民の住居そばにあったパンがま。
コ「吉田さんは食べましたか、マラサダ?」
ワ「あ、そうか!」
ポルトガルのドーナツがハワイ名物という理由がやっと解りました。
コ「そう、これも移民が持ち込んだものなんですね」
日本人移民の長屋。
仏壇がありますね。
ハワイのどこかから移設された若宮稲荷神社。
稲荷神社なのに鳥居が白いのは、移設の際に塗り替えられたためだそうです。
昔のハワイの風景を残すということで、かなり広いタロイモの水田も!
ハワイの人々の主食、去年ワタクシも食べた「ポイ」の元であるタロイモですが、水田で作るんですね。
最初にハワイに渡った中国の人が、この景色を見てピンと来て、米を作り始めたそうです。
なるほど、それでご飯もハワイでよく食べられるように。
・・・などなどなどなど!
いや、ホント、お見せしたいものはまだまだたくさんあるのです。
本当にキリがない!
コマさんの説明もとても楽しめるもので、ちっともお勉強っぽい感じがなかったのでした。
こういう言い方はどうかと思うのですが、ハワイズプランテーションビレッジは「楽しい」施設です。おもしろいところです。
やっぱり来てよかった!
それも、ツアーじゃなくて、自分でタップリ時間をとって来てよかった!
そして、さらに。
コマさんのガイドツアーが終了して、オフィスに戻りますと、なんとボランティアさん達の昼食にご招待されました!
な、なんてゼイタクな!
みなさん一品ずつ持ち寄りで毎日お昼を共にされてるようで、コマさんに案内されるまま、好きな物を好きなだけ取ってテーブルへ。
コ「これも一種のプレートランチですね」
いやいや! それどころか、これはご厚意でたまたま食べさせていただける貴重なご飯!
仮にみなさんがハワイに行かれて、プランテーションビレッジを訪ねていただいてですね、お金を握って、
「吉田と同じ物を食べさせろ!」
って言っても食べられるとは限らない、スペシャルなお食事なのです!
ミートローフ、豚肉照焼き、なすの天ぷら、ソーセージと玉ねぎの炒め物、自家製キムチ、イチゴなど、どれも美味でしたが、特にコマさんの奥さんお手製のミートローフが美味い!
食後はケーキまで!
ちょっと食べちゃってますが、四角く切られた形も美しかったのです。
とどめに園内になっていた山りんごを1個いただいて、コマさんにお礼と別れの挨拶を。
午前中一杯ってことでしたが、お昼食べて出てきますと1時頃でした。
ワ「本当に長い時間、いろいろ教えていただいて、ありがとうございました!」
コ「いえいえ、いつもこんなもんですから」
ワ「私も60過ぎたら、コマさんみたいにガイドさんになれるように頑張ります!」
ワタクシ、軽く言っちゃってますが、もしも本気なら死ぬほど頑張らなきゃいけませんよね・・・。
売店でTシャツを買いました。
お昼の食事休憩「KAUKAU TIME」に弁当箱「KAUKAU TIN」のイラスト。
厳しい労働の中の、たった30分の食事時間がどれだけ楽しみだったかと思うと、たまらない気持ちになります。
タロイモの水田の向こうに製糖工場の煙突。
その頃のハワイは、こんな景色だったのでしょうかね・・・?
山りんごをシャクシャク食べながら、またワイパフトランジットセンターまで歩いて戻りました。
<つづく>
1800年代後半、アメリカではゴールドラッシュや南北戦争を契機に、砂糖の需要が高まっていました。
ハワイには、当時すでにさとうきびのプランテーションがあったのですが、ハワイ原住民はあまりさとうきび農場の労働力として適していなかった上に、当時外国人が持ち込んだ伝染病などで人口が減っていたのです。
砂糖の需要増大を受けてプランテーションは拡大し、労働力は不足します。
そこで、外国から安い労働力を移民という形で受け入れることにしたのです。
最初に移民としてハワイに来たのは中国人でした。
彼らは、砂糖精製の技術に通じていたというのが理由でしたが、そのうちあまりにも中国系移民の数が増えたため、他の国からの移民受け入れも始まります。
ポルトガル、プエルトリコ、日本、沖縄、韓国、フィリピンなどから、続々と移民がやって来たのでした。
日本と沖縄を分けている理由は後述します。
現在の人口比率で見ても、白人系が29%に対して、アジア人系が39%(日系人は20%ほど)、ハワイアンやポリネシアンは9%ということで、アメリカ国内でも例を見ない構成になっていまして、プランテーションと移民という歴史が現在のハワイに与えた影響は、非常に大きいと言えるでしょう。
では、資料を見ていきましょうか。
労働者の一日。
5時起床(食事の支度がある女性は4時!)、6時仕事開始、朝食10分、昼食30分、16時半仕事終了(労働時間10時間超!)、20時消灯、という、すさまじい生活。
プランテーションで、英語を母国語としない人のために作られた簡易言語「ピジンイングリッシュ」の一例。
一番上「Bango」は、文字通り「バンゴー」という発音だそうで、日本人労働者は名前を呼ばれず、この「バンゴー」で呼ばれたといいます。
下の方の「Hole hole ホレホレ」は、「さとうきびの茎についている枯葉を取り除く作業」のこと。主に女性が担当したそうです。
重要な言葉ですので覚えておきましょう。
いちばん下「Katchiken カチケン」は、「さとうきびの茎を刈り取る作業」。これは男性の仕事。
そのまんま「cut cane」が訛ったものですね。
ホレホレの後、カチケンをすることで、収穫になるのです。
そばには「ホレホレ節」の歌詞。
これが見たかったのです。
プランテーションで働く日系移民が歌った労働歌で、当初移民としてハワイに多く渡った広島地方の人々が、故郷の民謡に独自の歌詞を載せて歌ったのが始まりだそうです。
ワタクシ、こういう歌が、何となく好きなのですね。
こういうところで作られる歌詞は、実にその生活に密着しています。
歌われるテーマは、労働、お金、男女関係、暮らし向き、など、生々しくリアルでして、彼らの本音が聞きとれる内容なのですよ。
・「行こか メリケン / 帰ろか 日本 / ここが思案の ハワイ国」
・「カネはカチケン / わしゃホレホレよ / 汗と涙の共稼ぎ」
カネはハワイ語で男性のこと。女性は「ワヒネ」。
この詞は、なんだか夫婦の愛情を感じられていいですね。
・「35銭のホレホレしようより / パケさんとモイモイすりゃ / エカヒカラ」
最後の行がよく解りませんが「35¢ぽっちのために1日ホレホレするより、パケさん(監視官?)に売春すれば1$稼げるのに」くらいの意味?
「モイモイ」というピジンが、実にこう、感じの出てる言葉だと思います。
・「頼母子落して / ワヒネを呼んで / 人に取られて / ベソかいた」
「頼母子落して」は、現代の感覚だと「定期を解約してお金を作って」くらいの感じでしょうか。
「ワヒネ」は、ここでは女房のことですね。
この詞の完成度、起承転結のテンポのよさがすばらしいと思うのです。
歌われてる内容自体はヒドい話ですが、それをどこかユーモラスに歌ってしまうところが、作者の人の良さを感じさせます。
そう、つまり労働歌の魅力は「ユーモア、笑いの力」を感じさせる点だと思うのです。
辛い労働の日常にユーモアを持ち込むことで、また頑張れる精神の力。
冗談が好きなワタクシは、そういう「笑いの力」を感じるのが好きなのですね。
作業着。
ワタクシ、不覚にも「オシャレ!」と叫んでしまいました。
黒白チェックのシャツに赤いバンダナがイカス!
帽子もかわいいですよね。
絶賛していますと、コマさんが
「私も同じ柄のベストなんですよ」
ホントだ!
ちなみに、これが「sugar cane」つまり「さとうきびの茎」です。
コ「ここより下に砂糖になる部分が詰まってます」
ああ、これ、何かで見ました!
アメリカ国旗の周りを、ハワイ州旗と移民7ヶ国の旗が囲むんですよね!
沖縄県章をあしらった沖縄の旗もあったんですよね!
文化の違いなどから、他府県からの移民は沖縄からの移民を差別していたという悲しい歴史があって、日本と沖縄は別コミュニティを作っていたんですよね!
ぜひ見たかったんですけど、今日は旗がないんですね。
あ! もしかして、これには、何か特別な理由が・・・どうなんですか、コマさん!?
コ「ああ・・・たぶん今日の当番が旗を忘れてますね」
頼むよ・・・お願いしますよ、当番の人・・・。
国旗の輪、見たかった・・・。
コ「菩提樹なんですが、吉田さん、この木は樹齢何年ぐらいだと思いますか?」
ワ「さぁ・・・100年とかですか?」
コ「実はね、18年なんです」
これには、植物のことはからっきしのワタクシもビックリしました。
ワ「まさか! ウソでしょう!」
コ「いや、実は、私も植物にかかわる仕事をしていたので『そんなはずはない!』って言ったんですけど、確かに記録があるんです」
木のそばの説明プレートには、確かに「planted in December 1991.」と。
いやぁ、ホントに18年だ・・・。
ハワイで育てば、18年でここまでになるんでしょうか・・・?
どなたか、詳しい方、教えて下さい!
中国系移民の集会所の建物。
ポルトガル系移民の住居そばにあったパンがま。
コ「吉田さんは食べましたか、マラサダ?」
ワ「あ、そうか!」
ポルトガルのドーナツがハワイ名物という理由がやっと解りました。
コ「そう、これも移民が持ち込んだものなんですね」
日本人移民の長屋。
仏壇がありますね。
ハワイのどこかから移設された若宮稲荷神社。
稲荷神社なのに鳥居が白いのは、移設の際に塗り替えられたためだそうです。
昔のハワイの風景を残すということで、かなり広いタロイモの水田も!
ハワイの人々の主食、去年ワタクシも食べた「ポイ」の元であるタロイモですが、水田で作るんですね。
最初にハワイに渡った中国の人が、この景色を見てピンと来て、米を作り始めたそうです。
なるほど、それでご飯もハワイでよく食べられるように。
・・・などなどなどなど!
いや、ホント、お見せしたいものはまだまだたくさんあるのです。
本当にキリがない!
コマさんの説明もとても楽しめるもので、ちっともお勉強っぽい感じがなかったのでした。
こういう言い方はどうかと思うのですが、ハワイズプランテーションビレッジは「楽しい」施設です。おもしろいところです。
やっぱり来てよかった!
それも、ツアーじゃなくて、自分でタップリ時間をとって来てよかった!
そして、さらに。
コマさんのガイドツアーが終了して、オフィスに戻りますと、なんとボランティアさん達の昼食にご招待されました!
な、なんてゼイタクな!
みなさん一品ずつ持ち寄りで毎日お昼を共にされてるようで、コマさんに案内されるまま、好きな物を好きなだけ取ってテーブルへ。
コ「これも一種のプレートランチですね」
いやいや! それどころか、これはご厚意でたまたま食べさせていただける貴重なご飯!
仮にみなさんがハワイに行かれて、プランテーションビレッジを訪ねていただいてですね、お金を握って、
「吉田と同じ物を食べさせろ!」
って言っても食べられるとは限らない、スペシャルなお食事なのです!
ミートローフ、豚肉照焼き、なすの天ぷら、ソーセージと玉ねぎの炒め物、自家製キムチ、イチゴなど、どれも美味でしたが、特にコマさんの奥さんお手製のミートローフが美味い!
食後はケーキまで!
ちょっと食べちゃってますが、四角く切られた形も美しかったのです。
とどめに園内になっていた山りんごを1個いただいて、コマさんにお礼と別れの挨拶を。
午前中一杯ってことでしたが、お昼食べて出てきますと1時頃でした。
ワ「本当に長い時間、いろいろ教えていただいて、ありがとうございました!」
コ「いえいえ、いつもこんなもんですから」
ワ「私も60過ぎたら、コマさんみたいにガイドさんになれるように頑張ります!」
ワタクシ、軽く言っちゃってますが、もしも本気なら死ぬほど頑張らなきゃいけませんよね・・・。
売店でTシャツを買いました。
お昼の食事休憩「KAUKAU TIME」に弁当箱「KAUKAU TIN」のイラスト。
厳しい労働の中の、たった30分の食事時間がどれだけ楽しみだったかと思うと、たまらない気持ちになります。
タロイモの水田の向こうに製糖工場の煙突。
その頃のハワイは、こんな景色だったのでしょうかね・・・?
山りんごをシャクシャク食べながら、またワイパフトランジットセンターまで歩いて戻りました。
<つづく>