第66号国道は逃亡する人たちの道である。
土埃と荒廃の土地から、咆哮するトラクターと衰微する所有権から、南からゆっくりと侵入してくる砂漠から、テキサス州から吠え立ててくる嵐から、土地に何の豊かさももたらさず、かえってそこにあるわずかな財産を奪う洪水から、避難する人たちの道だ。
こうしたすべてのものから人々は逃げだしてくるのだ。
そして彼らは第66号国道へと、小さな枝道から、馬車道や轍だらけの田舎道から、集まってくる。
第66号国道はマザー・ロード(母なる道)だ。逃亡の道路だ。
(スタインベック著「怒りの葡萄」より)
ルート66。
1926年、合衆国最初の国道のひとつとして創設。
イリノイ州シカゴから、ミズーリ、カンザス、オクラホマ、テキサス、ニュー・メキシコ、アリゾナ、カリフォルニアのサンタモニカまで8州に及び、その総距離は3755km(2347マイル)。
The Main Street of America。
アメリカの経済産業の発達に大きく貢献し、何よりもアメリカで最も愛された道路。
1946年にボビー・トゥループが作った曲「ルート66」は、ナット・キング・コールの歌唱によって大ヒット、1960年代にはシボレー・コルベットに乗った2人の若者がアメリカを駆け回るというテレビドラマ「ルート66」が人気を博す。
人々を黄金の州カリフォルニアへと誘う、憧れの道・ルート66。
その後インターステイト(州間高速道路)の整備により、表面的にはルート66が廃線となっても、人々は憧れを失うことはなかった。
1990年に入り、沿道の州では、ルート66協会が発足。
歴史ある道として再評価され、沿線の見どころは整備修復されて、アメリカの人々のノスタルジイや祖国への思い入れを駆り立てる存在となった。
そして、そんなアメリカの姿に憧れを持つ、他の国の人々をも。
古き良きアメリカが息づく道、Historic Route 66。
・・・と、大いに盛り上げてみたところで何なんですが、ワタクシは「ルート66」の名前こそ知っていましたが、これまで特に思い入れはなかったのです。
楽曲としての「ルート66」は、その後いろんな人にカヴァーされていましたので、それで聴いたことがあったのですが、古い曲に歌われているような道ですので、もはや歴史の中の存在なのだろうと思っていて、今も車で走ることができるなんて全く知りませんでした。
そして今年の1月。
4回目のハワイ旅行から帰って来たワタクシには、
「ハワイはこれでひと段落」
という気持ちがあったのですね。
いや、モチロン、もう二度と行かないとかではないのですが、そろそろ他のところに行ってみるのもいいんではないかと思えてきたのです。
でもまぁ、特に行きたいところもないしなぁ・・・などと思っていたのですが、そんなタイミングで本屋さんで偶然立ち読みしたのが「ルート66で行こう!(亀井亜佐夫)」という本。
写真がキレイな本で楽しめたのですが、その中で知ったのが「ルート66沿いの街には、伝統あるモーテルや商店が今も建ち並んでいて、その多くは美しいネオンサインを持っている」ということだったのでした。
本に載っていたいくつかの写真を見るうち、
「うわああ、これはいつか行ってみたい・・・」
と思ってしまったワタクシ、とりあえずその本を買ってアジトに帰りまして、ルート66を旅した人のブログなどを読み漁り始めたのでした。
知れば知るほど、通り過ぎる街ごとに見所がいろいろあって、ますます楽しそうに思えるルート66。
しかし、たいへんコンチクショーなことに、やはりいざ行くとなりますと広いアメリカを自動車で旅することになりますので、最低でも2週間くらいは時間が欲しいところ。
そんなもん無理じゃあ、ってことで、まぁやはりこれは「いつか行けたら」という感じの話になるよな、レンタカーだってハワイで1日乗っただけだしな、海外にももっと慣れた頃にタイミングがあればって話だよな、などと思って泣き寝入りを決め込んだのでした。
しかししかし、これはワタクシにも意外な展開だったのですが、どうも急にこの8月に2週間くらいならなんとかなるんでは、という事態が巻き起こったのですね。
えー、だってだって、まだレンタカーにも慣れてないし、海外経験もハワイぐらいだし、お金だってないし・・・などと思ったのですが、やはりいちばん手に入りづらい長い休みが何とかなるんだし、これは行っておく手では、と思い直しました。
アメリカ個人旅行の手配、しかもルート66ならお任せ! みたいな旅行手配会社さんもまんまと見つけてしまいまして、ちょろっとメールを出してみますと、驚くべきトントン拍子で話が進んでしまいまして、あっという間に行かざるを得ない、という事態にまでなってしまったのでした。
いや、そりゃ確かにワタクシが行きたいから手配もお願いしたわけですが、なんだかこう、もう少し心の準備というか・・・。
行きたい気持ちとどこか怖い気持ちがゴチャマゼになって不安なところに、前回書きましたような散々な仕打ちで、すっかりショボンとした気分でオクラホマシティに着いたのでした。
だが! 今日からは! エキサイティングなルート66の旅が始まるんだ!
今回は、ここオクラホマシティを出発点にしまして、ルート66を西へカリフォルニアを目指して走ります。
冒頭で引用した小説「怒りの葡萄」では、オクラホマの小作農だった主人公のジョード一家が、農作業の機械化によって土地を追われ、豊かなカリフォルニアで仕事を得ようということで、家族で1台の車に乗り込んでルート66をひたすら西へ走るのです。
映画をほとんど見ないワタクシは、せめてこのぐらいはということで出発前に読んでおいたこの小説を、元ネタとして力一杯頼るしかないのです。
だから、わざわざオクラホマまで飛んで来て、そこを出発点としたのですよ!
いや、まぁ、他にも理由はあるんですが・・・。
そして、これからの旅の相棒となってくれる、コイツ。
このカローラが、たまたまイリノイナンバーだったという偶然が、なんだかとてもうれしかったのです。
今回はオクラホマから西の州しか行かないわけですが、ルート66の東端のイリノイからここオクラホマまでは、すでにこのカローラが走って来てくれたってことですから!
さあ、それではカローラに乗りこんで、ルート66へいざ出発!
・・・の前に、1件だけ立ち寄った名所がコチラ、「Ann's Chiken Fry House」。
モチロンここもルート66沿いではあるのですが、進行方向と逆でしたので、ちょっとだけ戻って寄ったのです。
この時は早朝でやってませんでしたが、お店の前のピンクのキャデラックがイカス!
キャデラックというのも、ルート66には関係の深い車で、今後も何台も見かけることになります。
ワタクシの頭上にある看板は・・・
ルート66公式のロードサイドアトラクションであることを示すもの。
これのある施設は必ず見てやる! と思っていたのですが、なかなか見つからないところも結構ありそう・・・。
壁画もステキ!
<動画>
はい、そしていよいよルート66に乗っかりましたよ!
そして、これ以降は、車を走らせつつ何かおもしろいものを見たら即停車して写真を撮る、という非常にメンドクサイことになるのです。
例えば・・・
オクラホマのすぐ近く、ユーコンという街のグレンエレベーター(小麦の貯蔵庫?)。
エル・リノの給水塔。
小さな街ですと、必ずこんな風な給水塔が目立つ場所にあって、街のランドマークみたいになっています。
街ごとに形や色が違って楽しいのです。
66看板発見!
こういうものは押さえておきませんとね!
カナディアンリバーにかかるポニーブリッジ。
左右の黄色い半円形の部分をトラスというそうですが、これが仔馬に似てるからポニーブリッジなんだそうです。
38ものトラスがあって、ずーっと直線が続く橋です。
ハイドロという小さな小さな街のメインストリート。
誰一人歩いてもいないのですが、アメリカの小さな街ってのは、そういうものみたいですね。
真っ赤な「ハイドロ・バー」がオシャレです。
ガソリンスタンド「ルシールズ」。
名物主人の故ルシール・ハモンズさんは、「Mother of The Mother Road」と呼ばれた方。
2000年に彼女が亡くなってからは、お店は閉まっているのですが、名所として大切に維持されているようです。
で、「ルシールズ」から少し西へ走りますと、
「ルシールズ・ロードハウス」というレストランが。
ここで昼ご飯にしましょう。
入口でダイナーとステーキハウスに分かれていまして、ワタクシはダイナーの方に入りたかったのですが、やんわりと断られムード。
しょうがないのでステーキハウスに入りました。
後でわかったのですが、この日、ダイナーの方は貸し切りだったようです。
適当に頼んだポークチョップ。
やはり野菜がないのですが、お肉はいい歯ごたえがあって、美味しかったです。
さあ、午後はルート66ミュージアム見学ですよ!
<つづく>
土埃と荒廃の土地から、咆哮するトラクターと衰微する所有権から、南からゆっくりと侵入してくる砂漠から、テキサス州から吠え立ててくる嵐から、土地に何の豊かさももたらさず、かえってそこにあるわずかな財産を奪う洪水から、避難する人たちの道だ。
こうしたすべてのものから人々は逃げだしてくるのだ。
そして彼らは第66号国道へと、小さな枝道から、馬車道や轍だらけの田舎道から、集まってくる。
第66号国道はマザー・ロード(母なる道)だ。逃亡の道路だ。
(スタインベック著「怒りの葡萄」より)
ルート66。
1926年、合衆国最初の国道のひとつとして創設。
イリノイ州シカゴから、ミズーリ、カンザス、オクラホマ、テキサス、ニュー・メキシコ、アリゾナ、カリフォルニアのサンタモニカまで8州に及び、その総距離は3755km(2347マイル)。
The Main Street of America。
アメリカの経済産業の発達に大きく貢献し、何よりもアメリカで最も愛された道路。
1946年にボビー・トゥループが作った曲「ルート66」は、ナット・キング・コールの歌唱によって大ヒット、1960年代にはシボレー・コルベットに乗った2人の若者がアメリカを駆け回るというテレビドラマ「ルート66」が人気を博す。
人々を黄金の州カリフォルニアへと誘う、憧れの道・ルート66。
その後インターステイト(州間高速道路)の整備により、表面的にはルート66が廃線となっても、人々は憧れを失うことはなかった。
1990年に入り、沿道の州では、ルート66協会が発足。
歴史ある道として再評価され、沿線の見どころは整備修復されて、アメリカの人々のノスタルジイや祖国への思い入れを駆り立てる存在となった。
そして、そんなアメリカの姿に憧れを持つ、他の国の人々をも。
古き良きアメリカが息づく道、Historic Route 66。
・・・と、大いに盛り上げてみたところで何なんですが、ワタクシは「ルート66」の名前こそ知っていましたが、これまで特に思い入れはなかったのです。
楽曲としての「ルート66」は、その後いろんな人にカヴァーされていましたので、それで聴いたことがあったのですが、古い曲に歌われているような道ですので、もはや歴史の中の存在なのだろうと思っていて、今も車で走ることができるなんて全く知りませんでした。
そして今年の1月。
4回目のハワイ旅行から帰って来たワタクシには、
「ハワイはこれでひと段落」
という気持ちがあったのですね。
いや、モチロン、もう二度と行かないとかではないのですが、そろそろ他のところに行ってみるのもいいんではないかと思えてきたのです。
でもまぁ、特に行きたいところもないしなぁ・・・などと思っていたのですが、そんなタイミングで本屋さんで偶然立ち読みしたのが「ルート66で行こう!(亀井亜佐夫)」という本。
写真がキレイな本で楽しめたのですが、その中で知ったのが「ルート66沿いの街には、伝統あるモーテルや商店が今も建ち並んでいて、その多くは美しいネオンサインを持っている」ということだったのでした。
本に載っていたいくつかの写真を見るうち、
「うわああ、これはいつか行ってみたい・・・」
と思ってしまったワタクシ、とりあえずその本を買ってアジトに帰りまして、ルート66を旅した人のブログなどを読み漁り始めたのでした。
知れば知るほど、通り過ぎる街ごとに見所がいろいろあって、ますます楽しそうに思えるルート66。
しかし、たいへんコンチクショーなことに、やはりいざ行くとなりますと広いアメリカを自動車で旅することになりますので、最低でも2週間くらいは時間が欲しいところ。
そんなもん無理じゃあ、ってことで、まぁやはりこれは「いつか行けたら」という感じの話になるよな、レンタカーだってハワイで1日乗っただけだしな、海外にももっと慣れた頃にタイミングがあればって話だよな、などと思って泣き寝入りを決め込んだのでした。
しかししかし、これはワタクシにも意外な展開だったのですが、どうも急にこの8月に2週間くらいならなんとかなるんでは、という事態が巻き起こったのですね。
えー、だってだって、まだレンタカーにも慣れてないし、海外経験もハワイぐらいだし、お金だってないし・・・などと思ったのですが、やはりいちばん手に入りづらい長い休みが何とかなるんだし、これは行っておく手では、と思い直しました。
アメリカ個人旅行の手配、しかもルート66ならお任せ! みたいな旅行手配会社さんもまんまと見つけてしまいまして、ちょろっとメールを出してみますと、驚くべきトントン拍子で話が進んでしまいまして、あっという間に行かざるを得ない、という事態にまでなってしまったのでした。
いや、そりゃ確かにワタクシが行きたいから手配もお願いしたわけですが、なんだかこう、もう少し心の準備というか・・・。
行きたい気持ちとどこか怖い気持ちがゴチャマゼになって不安なところに、前回書きましたような散々な仕打ちで、すっかりショボンとした気分でオクラホマシティに着いたのでした。
だが! 今日からは! エキサイティングなルート66の旅が始まるんだ!
今回は、ここオクラホマシティを出発点にしまして、ルート66を西へカリフォルニアを目指して走ります。
冒頭で引用した小説「怒りの葡萄」では、オクラホマの小作農だった主人公のジョード一家が、農作業の機械化によって土地を追われ、豊かなカリフォルニアで仕事を得ようということで、家族で1台の車に乗り込んでルート66をひたすら西へ走るのです。
映画をほとんど見ないワタクシは、せめてこのぐらいはということで出発前に読んでおいたこの小説を、元ネタとして力一杯頼るしかないのです。
だから、わざわざオクラホマまで飛んで来て、そこを出発点としたのですよ!
いや、まぁ、他にも理由はあるんですが・・・。
そして、これからの旅の相棒となってくれる、コイツ。
このカローラが、たまたまイリノイナンバーだったという偶然が、なんだかとてもうれしかったのです。
今回はオクラホマから西の州しか行かないわけですが、ルート66の東端のイリノイからここオクラホマまでは、すでにこのカローラが走って来てくれたってことですから!
さあ、それではカローラに乗りこんで、ルート66へいざ出発!
・・・の前に、1件だけ立ち寄った名所がコチラ、「Ann's Chiken Fry House」。
モチロンここもルート66沿いではあるのですが、進行方向と逆でしたので、ちょっとだけ戻って寄ったのです。
この時は早朝でやってませんでしたが、お店の前のピンクのキャデラックがイカス!
キャデラックというのも、ルート66には関係の深い車で、今後も何台も見かけることになります。
ワタクシの頭上にある看板は・・・
ルート66公式のロードサイドアトラクションであることを示すもの。
これのある施設は必ず見てやる! と思っていたのですが、なかなか見つからないところも結構ありそう・・・。
壁画もステキ!
<動画>
はい、そしていよいよルート66に乗っかりましたよ!
そして、これ以降は、車を走らせつつ何かおもしろいものを見たら即停車して写真を撮る、という非常にメンドクサイことになるのです。
例えば・・・
オクラホマのすぐ近く、ユーコンという街のグレンエレベーター(小麦の貯蔵庫?)。
エル・リノの給水塔。
小さな街ですと、必ずこんな風な給水塔が目立つ場所にあって、街のランドマークみたいになっています。
街ごとに形や色が違って楽しいのです。
66看板発見!
こういうものは押さえておきませんとね!
カナディアンリバーにかかるポニーブリッジ。
左右の黄色い半円形の部分をトラスというそうですが、これが仔馬に似てるからポニーブリッジなんだそうです。
38ものトラスがあって、ずーっと直線が続く橋です。
ハイドロという小さな小さな街のメインストリート。
誰一人歩いてもいないのですが、アメリカの小さな街ってのは、そういうものみたいですね。
真っ赤な「ハイドロ・バー」がオシャレです。
ガソリンスタンド「ルシールズ」。
名物主人の故ルシール・ハモンズさんは、「Mother of The Mother Road」と呼ばれた方。
2000年に彼女が亡くなってからは、お店は閉まっているのですが、名所として大切に維持されているようです。
で、「ルシールズ」から少し西へ走りますと、
「ルシールズ・ロードハウス」というレストランが。
ここで昼ご飯にしましょう。
入口でダイナーとステーキハウスに分かれていまして、ワタクシはダイナーの方に入りたかったのですが、やんわりと断られムード。
しょうがないのでステーキハウスに入りました。
後でわかったのですが、この日、ダイナーの方は貸し切りだったようです。
適当に頼んだポークチョップ。
やはり野菜がないのですが、お肉はいい歯ごたえがあって、美味しかったです。
さあ、午後はルート66ミュージアム見学ですよ!
<つづく>