最初に世界があり、そこにあなたは生れてきた。
あなたが生まれてきてから世界が存在している訳では無い。
人間は自分で何かを生み出すことは出来ない。人間は外界からの刺激(情報)に反応して動いている。
人間が最初に誕生して、物事を生み出すことは出来ない。最初から用意された世界に誕生し、そこにある情報に反応して、この世界を構築(認識)した。
人間は外界の刺激に反応しているだけであり、実際は何も思考していない。
単なる脊髄反射で自動的に動いているだけなのである。
それを自分が思考して動いていると錯覚している。あなたの考えは、あなたが生み出したものではない。
あなたがこの世に誕生した時点で、ある程度のプログラムはあなたの身体に情報としてすでに存在しており、そのあとに外界からの刺激(情報)に晒されて動き出す。
あなたの考えたことは、自らの中から出てきたものは一切ない。それはすべて外からやってきた情報をインストールして刺激に反応しているだけなのである。
そもそも生れてきた時のスペック(器)が違うので、インストールするプログラムも違う。
どれが良いか悪いかではなく、全てが決まっているということである。
僕らの今生における”生”とは、生まれてきた時にすべて決まっており、あとはそのすでに決定されているプログラムを感覚器(視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚)によって解読して体験することに尽きるのだ。
あなたがそれを努力して、変更できるものではない。もし、変更して努力して自らを変えることが出来たと言う人がいて、そうではない人に、自分を変えられないのは、環境のせいではなく、あなたの努力が足りないからだ。という人がいたとしても、
それは、ただその人がそうプログラムされているだけのことであり、それが努力したから自分は変わったと体験しているだけなので、他人には一切当てはまらない。
だから、あなたは努力が足りないと言うのは勘違いの指摘であり、指摘された人は、自分は努力が足りないからダメなんだと思う必要は無い。
努力しても変えられない自分を責めることなく、あなたにはあなたの体験すべきことがあるのである。
あなたが頑張るかどうかは、すでに決まっていることなのである。
だから、あなたは安心して、今生を体験するといい。物事はもうすでに決まっている。
先に世界は存在し、あなたは後からそこに誕生したのだから。
僕らの感覚器は、先に存在したものを認識するのに0.何秒かずれて認識しているのだ。
認識がずれているのに、身体は先に動いている。要するに、認識する前に行動は先に起こっているのだ。
これは言葉も同じで、認識してからは話している訳では無い。あなたが言いたいことがあった時に、すでに口は言葉を発している。
そのあとに、認識して解読している状態であり、あなたの思考が話している訳ではない。
あなたの認識や思考は常に後付けになる。
考えてみると、物事が先に起こっていないと僕らは一切動けない。
同時だと動けない。
では、認識が先にあり、物事が後であればどうなるかというと、その物事は人間の認識が作り出したことになる。
その場合、この記事の”世界が先にあり、そこあなたが生まれてきた”という前提が崩れる。
そうなると人間は何もないところから常に物事を生み出し続けなければならなくなる。
僕は、世界が先にあったと考えている。
実際に僕らの感覚、知覚認識は遅れているのだ。
そうなるとすべてが決まっていることになる。
全てが決まっているので、あまり右往左往しなくていいのだ。
あなたがどこかに旅する時に、あなたは自分で確認しながら地図を作成するだろうか。
いや、あなたは先に存在する地図を見て、そこに出かけるはずである。
そもそも地図がなければそこに行くと言う発想もないだろう。
もし、地図のない場所があったとしても、そこは地図が無い場所として先に認識されている場所で、そこに行く方法は示されている。
あとは冒険というジャンルになる。冒険とは言うものの、そこにはすでに場所は用意されている。
地図が無い場所と言う認識がなければ、そもそもそこは存在しない。
このように物事は常に先に存在して、すでに起こっているのだ。
だから、あなたは心配せずに自分の人生を解読して体験してください。
あなたの人生は全てが完璧に間違いなく起こります。
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