関東から九州へ引越して早2ヶ月が経とうとしています
越してきたときは真冬で震えるほど寒くて、でも東京より暖かく、人やお店、公共機関の交通がすごく少ないことにまず驚きました。
季節は変わり、春になり、快晴続きの青空の下、桜はいたるところで気持ち良さそうに風に揺れています
でも
見知らぬ土地、人、聞きなれない言葉、文化。
はじめは旅行気分で楽しかったのですが。
最近はとてもさみしくて、故郷を思い出し、『川崎に帰りたい、横浜に帰りたい』が口癖です。
こちらのほうが生活は楽なのは確かです。
最低賃金は600円台。地元神奈川は800円台。
相応に家賃はやすく、食も新鮮で美味しいのに割安。
有難いことに旦那さんのお給料で十分すぎるほどきちんと暮らせます。
でも、帰りたくなってしまうのはやっぱり、祖父母の代よりもずっと前から住んできている場所だから。
家族も、友人も、思い出も、郷土の誇りも、知識も、愛着も、全てが住み慣れた27年間暮らしてきた故郷にあるのです。
あれがない、これもない。仕方ないね。
こういうことが連なって連なって・・
どうして、ここに住む人たちは欲がないんだろう、不便に思わないのだろうか・・と不思議になってしまい、妙な疎外感を感じています。
電話口で家族や友人、職場の人と話すことで本当に安心します。
私が感じている不安や不満はおかしくないんだと。
今までがあまりに便利だったことに、気づきました。
決して、それを当たり前だと思って享受していたわけではありません。
だからこそ、故郷に誇りを持っているのです。
ただ、私が大学を卒業し、就職するにあたり一番念頭に置いたのは『転勤がないこと』です。
晴れて第一希望の地元の金融機関に就職が決まり、みんなに自慢したのを思い出します。
今でも職場だった場所が大好きです。
私の人生の最初からつい先日までその一駅にあったのです。
東京で働くことだって当然できたけれど、どうしても離れたくなかった。
区外で働いたことがありません、でもそれは望んでそうしてきたことです。
父親が公務員だったこともあり、私たちは神奈川県民の税金で生活してきたわけです。
だから、地元にどんな形でも社会貢献的還元をしたかった。
今ここにいることは、当初の想いからすると相当にぶれた道にいることを意味しています。
夫の栄転という、喜ぶべき事象だったのに正直素直に喜べませんでした。
残ってもいいよ、そう夫は選択肢を私に与えてくれました。
ついてきてくれると嬉しいけどね、そう付け加えて。
結婚式から2ヶ月後の出来事。
ふつうの女性はどうするべきだったんでしょうか。
仕事人間だった訳ではなく、ドジばかりでお給料をもらっていいのかな、と感じてのほほんとしていた私。
夫の仕事は忙しく、さらに身体的にほんの少し助けが必要になる。
周りからは間違っていない選択だと言われます。
当初、ついていくことに反対だった父も今は納得しています。
だから妻の努めをまっとうすることになんの躊躇いも後悔もありません。
ただ、故郷が懐かしくて、ふと苦しくなります。
世界で一番大切な場所。
あの坂の桜並木はきっと今満開で、たくさんの人に愛でられて見る人の笑顔を作っている。
今までの私がそうだった様に、桜色に明るく色づく坂を上るその度、一歩一歩に元気づけられ、歩んで行く。
出会いと別れの季節、緊張と期待の季節。
いつかまたあの桜に会えるよう、遠く離れた場所で毎日を頑張ろうと思います。
今はそれが精一杯。
忘れないで欲しい。みんなに、私がそこに存在していたこと。
戻ったら迎え入れて欲しい。
多分、私のことだから号泣すると思うけど。
明日からほんの少しだけ、新しい扉を開きに行きます。
越してきたときは真冬で震えるほど寒くて、でも東京より暖かく、人やお店、公共機関の交通がすごく少ないことにまず驚きました。
季節は変わり、春になり、快晴続きの青空の下、桜はいたるところで気持ち良さそうに風に揺れています
でも
見知らぬ土地、人、聞きなれない言葉、文化。
はじめは旅行気分で楽しかったのですが。
最近はとてもさみしくて、故郷を思い出し、『川崎に帰りたい、横浜に帰りたい』が口癖です。
こちらのほうが生活は楽なのは確かです。
最低賃金は600円台。地元神奈川は800円台。
相応に家賃はやすく、食も新鮮で美味しいのに割安。
有難いことに旦那さんのお給料で十分すぎるほどきちんと暮らせます。
でも、帰りたくなってしまうのはやっぱり、祖父母の代よりもずっと前から住んできている場所だから。
家族も、友人も、思い出も、郷土の誇りも、知識も、愛着も、全てが住み慣れた27年間暮らしてきた故郷にあるのです。
あれがない、これもない。仕方ないね。
こういうことが連なって連なって・・
どうして、ここに住む人たちは欲がないんだろう、不便に思わないのだろうか・・と不思議になってしまい、妙な疎外感を感じています。
電話口で家族や友人、職場の人と話すことで本当に安心します。
私が感じている不安や不満はおかしくないんだと。
今までがあまりに便利だったことに、気づきました。
決して、それを当たり前だと思って享受していたわけではありません。
だからこそ、故郷に誇りを持っているのです。
ただ、私が大学を卒業し、就職するにあたり一番念頭に置いたのは『転勤がないこと』です。
晴れて第一希望の地元の金融機関に就職が決まり、みんなに自慢したのを思い出します。
今でも職場だった場所が大好きです。
私の人生の最初からつい先日までその一駅にあったのです。
東京で働くことだって当然できたけれど、どうしても離れたくなかった。
区外で働いたことがありません、でもそれは望んでそうしてきたことです。
父親が公務員だったこともあり、私たちは神奈川県民の税金で生活してきたわけです。
だから、地元にどんな形でも社会貢献的還元をしたかった。
今ここにいることは、当初の想いからすると相当にぶれた道にいることを意味しています。
夫の栄転という、喜ぶべき事象だったのに正直素直に喜べませんでした。
残ってもいいよ、そう夫は選択肢を私に与えてくれました。
ついてきてくれると嬉しいけどね、そう付け加えて。
結婚式から2ヶ月後の出来事。
ふつうの女性はどうするべきだったんでしょうか。
仕事人間だった訳ではなく、ドジばかりでお給料をもらっていいのかな、と感じてのほほんとしていた私。
夫の仕事は忙しく、さらに身体的にほんの少し助けが必要になる。
周りからは間違っていない選択だと言われます。
当初、ついていくことに反対だった父も今は納得しています。
だから妻の努めをまっとうすることになんの躊躇いも後悔もありません。
ただ、故郷が懐かしくて、ふと苦しくなります。
世界で一番大切な場所。
あの坂の桜並木はきっと今満開で、たくさんの人に愛でられて見る人の笑顔を作っている。
今までの私がそうだった様に、桜色に明るく色づく坂を上るその度、一歩一歩に元気づけられ、歩んで行く。
出会いと別れの季節、緊張と期待の季節。
いつかまたあの桜に会えるよう、遠く離れた場所で毎日を頑張ろうと思います。
今はそれが精一杯。
忘れないで欲しい。みんなに、私がそこに存在していたこと。
戻ったら迎え入れて欲しい。
多分、私のことだから号泣すると思うけど。
明日からほんの少しだけ、新しい扉を開きに行きます。