昨日、高齢者教室の社会見学で「稲むらの火の館」を見学した。
「稲むらの火の館」は「濱口梧陵記念館」(手前)と「津波防災教育
センター」(奥の高い建物)からなる。
「濱口梧陵記念館」は濱口梧陵(はまぐちごりょう)の生い立ちから
晩年までを紹介している。
濱口梧陵の偉業は
① 安政南海地震津波の襲来時(1854年・安政元年)、稲むらに
火を放ち、この火を目印に村人を誘導して多くの命を救った。
② 地震後、被災民救済と復旧に尽力したばかりか、私財を投じ
3年10ケ月の歳月を費やし「広村堤防」を築造した。
稲むらの火の館パンフレットより
①については生半可な知識しかなかった。
稲むらに火を放ち、暗闇で逃げ場のわからない人たちの道しるべにした。
館内のジオラマ
②については全く知らなかった。
村人に仕事を与え、百年後の津波に備えるため高さ5m、
幅20m、長さ600mの大堤防を築いた。
ガイドさんが指差しているのが広村堤防
後にこの堤防は昭和南海地震の津波の際(1946年)などにその役割を果たした。
管内のジオラマ
③ もともと濱口梧陵は銚子で醤油商(現 ヤマサ醤油)を営む経営者であった。
広川に帰省中、安政南海地震に遭遇した。
生家は火災で焼失し、再建されたが
この茶室は火災から逃れた。
茶室。
濱口梧陵が使ったと子孫の話があった。
「津波防災教育センター」では3D映像で津波の恐ろしさを体感した。
ここでは最初に命を守るには「津波てんでんこ」( 2017/12/03 忘年会2017 )
が大切と言っていた。
晴
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